第0話 御園出雲の回想(下)

険しい顔付きで秋本たちを睨んでいたのは、堀本翔輝の隣に座る男子生徒、廣瀬雪矢だった。


中性的な見た目で身長もそれほど高くないのだが、常に不機嫌そうな表情をしており、実に取っ付きにくいクラスメートという印象だった。


教室で誰かと交流している姿はほとんどなく、昼休みもギリギリまで教室に戻ってくることはない。それどころか授業に遅れることもしばしばあり、出雲の要注意リストにそろそろ入るところである。


現在は部活動でやらかしたのか、左腕にギブスを巻いて首から包帯で固定しており、事情を伺おうとしたのだがまともに返答をもらうことができなかった。


人との接触を限りなく避けようとする彼が、堀本翔輝を庇うように声を掛けたものだから、出雲は驚いていたのだった。


「おいおい廣瀬、俺たちは仲良くしてるだけだぜ? 注意される謂れはないと思うんだが?」

「そうそう、俺たちはただじゃれあってただけ。そうだよな堀本?」

「あっ、うん……」


秋本と三好は、自分たちは悪くないと言わんばかりに話を堀本翔輝へ振る。ここでいつも堀本翔輝が肯定するから出雲はこれ以上突っ込めなかったが、



「あっ? 何勘違いしてるんだ君らは」



廣瀬雪矢は、苛立っている表情を隠すことなく、右手の親指を教室の外へ向ける。



「僕の隣で騒いで鬱陶しいんだよ、じゃれ合うなら教室の外でやれや」



それは堀本翔輝への助け舟ではなかった。あくまで教室内で騒がしくしていることへの注意だった。


出雲は少なからず廣瀬雪矢に失望する。隣の席のクラスメートがひどくからかわれている状況でも、自分のことしか考えていない。


秋本と三好も初めは呆気に取られていたが、見当違いの指摘に笑い始める。


「はははそうか! そりゃそうだよな!」

「いやあすまんすまん! お前も俺らと堀本のじゃれ合いを勘違いしているのかと思ったぜ!」


2人が豪快に笑う中、堀本翔輝は頬を引きつらせるだけでとても2人に同調しているように思えなかった。どれだけ言葉で取り繕うと、この表情こそが彼の本心だ。


これのどこが勘違いなのか、出雲は軽く唇を噛む。今すぐにでも止めに入りたかったが、廣瀬雪矢との会話は終わっていなかった。


「勘違いする要素なんてないだろ、底辺同士のじゃれ合いなんか」

「……あっ?」


明らかに少し前と雰囲気が変わる。先程までお腹を抱えて笑っていた秋本と三好が、廣瀬雪矢へ鋭い視線を送った。


「底辺って、誰のこと言ってんの?」

「君ら以外のどこにいるんだ。ガキみたいに喚き散らして、小学生からやり直した方がいいんじゃないか?」

「……お前さ、口の利き方に気を付けた方が良いよ?」


秋本が、隣に座る廣瀬雪矢に顔を近づけて、低い声を漏らす。


「じゃれ合う相手、お前に変えてもいいんだけど? その左手、使い物にならなくなるかもな」

「別に構わないぞ? その代わり、君らこそ分かってるんだろうな?」


そう言った廣瀬雪矢の表情は、思わず後ずさりしたくなるほど怒りに満ちていた。


「そこの堀本ていへんと一緒にするなよ、やった以上僕は必ず全力でやり返す。その覚悟があって僕とじゃれ合いたいって言ってるんだよな?」

「っ……!」


秋本は反射的に、廣瀬雪矢から距離を取った。自分よりも背が低く女子のような顔立ちをしている男に、これ以上ない恐怖を抱いた。自分が彼にじゃれ合おうとすれば、間違いなく反撃がくる。たった数回のやり取りで秋本はそれを確信していた。


だが、ここで引き下がってはカッコがつかない。秋本は、廣瀬雪矢に対して攻め方を変えることにした。


「まっ、まあ、お前が何を言おうが関係ないけどな」

「そうだぜ。今は休み時間、教室で騒ごうが俺たちの勝手じゃねえか!」


調子を取り戻したように、2人は矢継ぎ早に廣瀬雪矢へ対抗する。彼らが言うように、休憩時間に少し騒ごうが何も問題はない。他に談笑しているクラスメートはどこにでもいるし、少しうるさいくらいで廊下に出る必要はないのだ。


「知るか。君らの声で僕が集中できないんだよ」

「集中? まさか休み時間まで勉強?」

「そりゃ大変、学力底辺だと休み時間まで使わなくちゃいけないんだなぁ」


ギャハハと、秋本と三好は廣瀬雪矢を嗤う。彼の中間試験の成績を詳しくは知らないが、返却時に教師から何度か怒られているのは知っている。ここまで生意気な言葉遣いをする相手が、休み時間まで必死に勉強しているかと思うととにかく笑えてきた。



「馬鹿じゃないのか、わざわざ休み時間に勉強なんてするわけないだろ。そもそも、やろうと思えばいくらでも良い点取れるってのに」



――――そして、廣瀬雪矢が強がりのような言葉を吐くものだから、2人はますます笑いが止まらなくなった。堀本翔輝ですら、どこか憐憫に満ちた目で彼を捉えている。


「はは、やろうと思えばできるって、お前こそ小学生の言い訳かよ!」

「じゃあやってみろよ、やれば次のテストで青八木にも勝てるんだろ?」


三好が青八木雨竜の名前を出したのは、入学後の実力テストと中間試験で1位を取っているからである。今の廣瀬雪矢の成績と比べれば、天と地ほどの差はあるだろう。


「やるわけないだろ、そんなことしたって僕に一切の得はない」

「やらないんじゃなくてできないんだろうが! よくもまあそこまで堂々とホラが吹けるな!」

「まあまあ秋本、得がないんじゃ『やればできる廣瀬君』もやる気出ないって」

「じゃあテストで青八木超えたら堀本とのじゃれ合い止めてやるか? うるさくて困ってるんだろコイツ?」

「いいなそうするか! じゃあご褒美やるんだからちゃんとやってくれよ廣瀬君!」

「ギャハハハ!」

「……アホくさ、付き合い切れるか」


これ以上の会話は無駄だと思ったのか、廣瀬雪矢は立ち上がった。


そして、少し離れた席から彼らを見守っていた出雲へと目を向ける。


「委員長、気分が悪いから授業休む。教師にはそう言っといてくれ」

「はっ? ちょ、ちょっと!」


出雲が止める前に、廣瀬雪矢は廊下へと飛び出してしまう。その姿を見て、秋本と三好はさらに腹を抱えて笑い始める。


「逃げたよあいつ! どうにもならないからって逃げちゃったよ!」

「あそこまで口だけ野郎だとは思わなかったわ! いやあ、笑った笑った!」

「可哀想な堀本、あんな奴が隣だなんて!」

「酷いこと言われないように一緒に居てやるからな、安心しろよな!」

「……う、うん」


結局、何も変わらずいつもと同じように落ち着いてしまう。廣瀬雪矢が体調不良(?)を訴えたことを考えるとマイナスでしかない。


出雲は、大きく溜息をついた。


「廣瀬君、喋ってるところちゃんと見るの初めてだけど、なんかすごいね」

「すごくないわよ、好き放題言って」


晴華の声掛けに、素っ気なく返してしまう出雲。秋本たちといい廣瀬雪矢といい、Bクラスを荒らすクラスメートに何もできておらず、少なからず参ってしまう。


「ズーちん、あんまり気を張っちゃダメだよ?」

「ありがと。ゴメンね晴華、なんか当たっちゃって」

「いいってば、ズーちん頑張ってるの知ってるし!」

「そ、そっか」

「あたし、ミハちゃんのところ行ってくるね? ミハちゃん、騒いでたみんなと席近いし」

「うん、お願い」

「えへへ、任されたよ!」


嬉しそうに頬を緩めると、晴華は親友である月影美晴の方へと向かう。


「……しっかりしなきゃ、ね!」


晴華に元気をもらった出雲は、両手で両頬を叩いて気合いを入れる。委員長としての責務を果たすためにも、気持ちを切り替えなければならない。いつまでもくよくよしていては、改善できるものも改善出来なくなる。みんなの力を借りながら、前向きに立ち向かおうと出雲は思った。



――――この時の男子のやり取りを、出雲も晴華も忘れてしまっていた。というのも、秋本や三好が堀本翔輝とじゃれ合うのは日常茶飯事だったからだ。廣瀬雪矢と秋本たちがやり取りしていたことを漠然と覚えていても、話の内容までは記憶に残っていなかった。夏休みに入ってしまったこともあり、当人たち以外の記憶からは完全に抜け落ちてしまっていた。


だから出雲は、素直な驚きしかなかった。



夏休み後の実力テストで、廣瀬雪矢が満点の成績を収めて学年1位になったことを、ただ純粋に驚いていたのだった。

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