第1話 混濁

男子が泊まる部屋に戻った僕は、畳んで置いてあった敷き布団を自分の分だけ引っ張り出し、そこに寝そべった。枕がないことに違和感を覚えるが、取りに戻る気力がなかった。


目を閉じて、今日あったことを順に思い出す。


父さんに謀られて勉強合宿に参加、バスの中では堀本翔輝からスマホを借りてひたすらゲーム、青八木家の別荘に着いたら鳥谷さんの準備してくれた昼食、それから長い勉強会を挟んで旅館でお風呂、梅雨の天然で生まれた茶番過ぎる裁判ごっこ。


そして――――さっきの出来事。


「なんでだよ、父さん……」


布団に顔を埋めながら、そんなことを口にしてしまう僕。


今でもよく分からない、どうして父さんは梅雨に加担したんだ。


僕のことは父さんが1番よく分かっている。だから僕が、を望まないことだって知っている。それなのに父さんは、僕を勉強合宿に参加させる選択をした。


僕の嫌がることは絶対にしない父さん、他の家庭のどの親子よりも親しい自信はあるし、可愛がられているという自負もある。


だからこそ、父さんが梅雨に加担した理由をすぐにでも知りたかった。



――――ここにいるのは場違いだと、何度も思ってしまう僕に答えを与えて欲しかった。



「廣瀬君、って寝てる? いや起きてるか」



敷き布団の上でずっと頭を悩ませていると、扉の方から脳天気な声が聞こえてきた。


高2デビューを果たした作れるイケメン、堀本翔輝だ。


寝転んだまま目だけ彼の方へ向けると、勉強道具だけでなく、僕のノートパソコンがその手に握られていた。


「これ、扉の前に置かれてたんだけど廣瀬君のだよね? なんで通路に置いてたの?」

「……」

「あっ、もしかして何か実験してた!? ゴメン、今すぐ戻してくる!」

「……いい。どっかその辺に置いといてくれ」

「えっ、いいの?」

「何度も言わせるな」

「あっ、うん。いいならいいけど、なんであそこに置いてたんだろう?」

「……」


何も事情を知らない堀本翔輝は、不思議そうに首を傾げながらも、机の上にノートパソコンを置いてくれていた。


そうか。桐田朱里は、わざわざ僕の部屋の前まで持ってきてくれていたのか。


あんな酷い言葉を掛けた、僕の所有物をわざわざ。


「はあ、それにしても参っちゃったよ」


勉強道具をカバンに仕舞った堀本翔輝は、ペットボトルのお茶を飲みながらそう切り出した。


「勉強会やってるんだけど、僕の居場所が全くなくて……思わず部屋に戻ってきちゃったよ」


へらへら笑いながら、後頭部を搔く堀本翔輝。何が面白いのか、僕には理解できなかった。


「そこへいくと青八木君はすごいよね、あんな女の子だらけの場所でも堂々としてて。妹さんがいるから慣れてるのかな、僕も姉か妹がいたらもっとうまいこと女の子と話せたりして。そんなわけないか、あはは」


そこまで言って、10秒ほど沈黙が生まれる。僕が話す気がないことを悟ってくれたのかと思ったのだが、そうではなかった。



「廣瀬君、何かあった?」



堀本翔輝は、眉を曇らせながら僕を見つめていた。自分自身の話ではなく、僕の話をしたがっていた。


「……なんだ急に」

「いや、普段の廣瀬君なら僕が情けないことを言う度に叱ってくれるからさ。もしかして今、元気ないのかと思って」

「見りゃ分かるだろ、眠いんだよ。バスの移動やら何やらでもうくたくただ」

「あっ、そういうことか。確かにもう結構遅いしね」


鋭いところもあるんだなと思ったが、僕の言い分で堀本翔輝はあっさり引き下がった。コイツもそれなりに疲れているから共感したのだろう、大きな欠伸を漏らしていた。


だが、堀本翔輝の言葉はそれで終わらなかった。


「今は眠いってことだけど、何かあったら何でも言ってよ。僕、廣瀬君の力になりたいし」


コイツの言葉は、僕が1番思い出したくない出来事を連想させた。



『私――――好きなの。廣瀬君のことが、好きなんだ』



つい先程僕に衝撃を与えた、桐田朱里の告白。決して寄せられることはないと思っていた想いをぶつけられ、僕の頭は再度混乱する。


「なんでだ」

「えっ、何が?」

「なんで僕の力になりたいんだ、おかしいだろそんなの」


僕は最近までコイツの顔を忘れていた。僕にとってはその程度の奴で、力になりたいだなんて言われる謂れはない。


コイツといい彼女といい、どうして僕に好意を向けようとするのか。



「おかしくなんてないよ。廣瀬君がいなかったら、今の僕はいないんだから」



しかしながら、僕の思いなど知るよしもなく、堀本翔輝は穏やかな笑みをこちらへ向けた。


「廣瀬君が居たから、僕はあの環境から抜け出すことができたんだ。感謝なんて、してもし足りないくらいだよ」

「それなら前も言っただろ、僕が1位を取ったのはただの偶然だ。解決したのもお前自身の力だ」

「だとしても、僕に一歩踏み出すきっかけをくれたのは他ならぬ廣瀬君だ。『何事もやってやれないことはない』、廣瀬君がそれを教えてくれたから、僕は立ち向かうことができた」

「……」


堀本翔輝は不自然なくらい僕を上げるが、彼にそんなことを教えたつもりはない。それが正しいことならば、僕は入学してすぐに腕を骨折などしない。


覚悟を決めたのは堀本翔輝で、その後頑張ったのも堀本翔輝だ。頑張り続けてきた自分を褒めることはあれど、僕に感謝する必要はない。


そんな風に、僕はずっと思っていた。



「って何マジモードで話してるんだ僕は、あはは。と、とにかく、廣瀬君が困ってたら助けたいと思ってるのはホントだから。何かあったらいつでも言ってね!」

「……」

「じゃあ廣瀬君は先寝てて良いよ、僕は青八木君が戻ってくるまで待ってるから。帰ってきて2人とも寝てたらさすがの青八木君も怒っちゃうかもだからね」



だから今、こんな風に感謝を伝えられ、いろんな感情が身体の中で混濁していく。


何が正しくて何が間違っているのか、とてもじゃないが整理が追いつかない。



重い瞼をゆっくり落としながら、僕は無性に父さんに会いたくなった。

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