第35話 紳士の嗜み2

「そろそろ上がるか」

「えっ!?」


最初に浸かった湯船を堪能すること約15分、そう言うと堀本翔輝は素っ頓狂な声を上げた。


「何だよ?」

「いやその、他にも浴槽あるのにいいのかなと思って」

「今日は利用者が多そうだからな、狭い場所に割って入ることもないだろ」

「でも修業しなくていいの? 廣瀬君ああいうの好きそうじゃん」


堀本翔輝が指差したのは、竹の中を伝って上から湯が落下する通称打たせ湯と言われるものだ。


それにしてもコイツ、打たせ湯を見て修業とのたまったか? あんなちょろちょろ落ちてくる温かいお湯ごときで、修業という言葉を使ったのか?


「テメエ、滝行ナメてんのかコラ」

「ええ!? どうして僕怒られたの!?」

「コイツ、本物の滝行経験してるからな。それと一緒にされたくないんだろ」

「当たり前だ、あんなもんで修業できると思われたら滝が可哀想だろ」

「滝が可哀想って何……?」

「黙れ。そんなに言うなら打たせ湯がいかに生ぬるいか体感してこいや」

「生ぬるいも何も、僕滝行知らないから比較できないんだけど……」


ぶつくさ言いながらも、湯船から出て打たせ湯の方へ歩みを進める堀本翔輝。既に利用者がいるため順番待ちをしているが、空いてるのを確認してから行けば良かったんじゃないのか。


その光景を見守っているのもアホらしいので、僕は僕で行動することにした。


「ちょ廣瀬君!? どこ行くの!?」

「サウナだよ、一汗流してくる」

「えっ何! 全然聞こえないんだけど!?」

「あいつには風情の欠片もねえな」


飼い主を求める小型犬のような瞳を向けてくる堀本翔輝を完全無視し、僕は水風呂の横に敷設されているサウナへと移動する。


「なんだ雨竜、お前も来るのか?」

「堀本見ててもしょうがないしな」

「全く以て同感だ」


重くなっている木製の扉を引くと、中から熱気が一気に流れ出してきた。正面には暖炉のような暖房が設置されており、その脇に腰をかけるための簀の子が二段で並んでいる。運の良いことに他の利用者は居なかった。


ちょうどいい、コイツとは話したいことがあった。


窓枠のところに置いてあった砂時計をひっくり返してから、僕と雨竜は並んで座る。この熱い空気を吸ってむせそうになるのを体感すると、改めてサウナに入っているという感じがする。


「どうよ雨竜、勉強の方は」


しばらくして、僕は雨竜へ声を掛ける。今日の勉強会について僕は訊いておきたかった。


「まあボチボチだな」

「あんだけ人に教えてても問題ないのか?」

「蘭童さんはともかく、名取さんに教えてるのは試験範囲だからな。そこまで時間を取られてる認識はないぞ」


まったく、これだから完璧超人は困るのだ。御園出雲からすれば今日で雨竜との差を縮めた認識だが、当の本人はあれだけ周りに時間を割いても勉強を阻害されたと微塵も思っていない。これは試験が始まるギリギリまで気を抜くことができないな。


まあいい。それはそれ、これはこれ。訊きたいことはもう1つある。



「どうだ、少しは女子共と仲良くなったか?」



そもそもの話、勉強合宿をしようと思ったのは雨竜の恋愛事情を進行させるためだ。御園出雲から言われて企画したとはいえ、僕にとっての本題はこちらである。


「いやいや、そんな時間なかっただろ?」

「アホか、2人に勉強教えてただろうが」

「訊かれたことに答えてただけだぞ、仲良くなるもないだろ」

「はあ……」


ある意味予想通りの返答でげんなりする僕。面倒な素振りを見せていないから嫌ではないはずなんだが、女子を女子として認識していないきらいがある。さすがに蘭童殿と名取真宵が可哀想に思えてきた。


「お前、女に興味ないのか?」

「あるに決まってるだろ、何言ってんだお前」

「言葉と行動が一致してないんだよ……」


何度行ったか分からないやり取り。女に興味があるという割には、異性に関する会話はほとんどしない。そのせいで、未だにコイツがどういう女子がタイプか分かっていない。梅雨が雨竜に過保護気味になるのも分かった気がした。


「いい加減にしろよ。何度も言ってるが僕は迷惑してるんだ、お前の周りが鬱陶しくてな」


雨竜と話すようになって増えた女子との会話、雨竜と仲良くなりたいという相談。どうして僕が話を聞いてやらなきゃいけないんだ、ずっとそう思ってた。


「だからさっさと彼女でも作って鎮静しやがれ。僕はもっと穏やかに過ごしたいんだ」


だが、雨竜に恋人がいない以上、女子からの相談は続いていく。ならば雨竜が恋人を作ればいい。それが広まれば自分への声掛けは格段に減少する、だから僕は考えを改めて女子を手伝う方向にシフトした。


しかしながら、雨竜に彼女ができる気配は一向にない。理想が高いのか本人にその気がないのかさえ分からない。時々聞いても女には興味があると言うから余計に分からなくなる。


だから今日、改めて言った。目を覚まさせるように言葉を投げた。全ては、コイツの本心を曝け出させるために。




「――――まるで、お前だけが迷惑を被ってるような言い方だな」




それは、僕がまったく予想していなかった返答だった。サウナの熱も相まって、思考がなかなか定まらない。


「……どういう意味だよ?」

「そのままの意味だ。俺だってお前のせいで迷惑していることはある」

「何だと? 女子とくっつけようとしてることなら省みるつもりはないぞ」

「そっちじゃねえ。はっきり言うからよく聞け」


そう言うと、雨竜は一呼吸置いてから僕に向けて言った。



「お前は、全ての女子が俺を好きになると思ってるのか?」

「はっ?」



はっきり言うと言った割に、質問の意図が読めなかった。さっきからコイツは何が言いたいんだ。


「はっ、じゃねえよ。いいから答えろ」

「なるわけないだろ。そりゃお前は尋常じゃなくモテるが、会った人間100%を牛耳るなんてのはあり得ない」

「なんだ、分かってるのか。それなら話が早いな」

「さっきから何なんだよ、はっきり言うならはっきり言えよ」


僕を馬鹿にしたような言い回しにイライラさせられる。こんな道を辿るような言い方なんてしなくていい、さっさと言いたいことだけ言えばいい。そう思いながら雨竜の返答を待っていると、



「なら、俺じゃなくてお前が好きな女子がいたっておかしくないよな?」



再び雨竜の口から、とても理解が追いつかない言葉が出てきた。


「馬鹿か、そんな奴いるわけないだろ?」

「でもお前は、自分が梅雨に好かれてるってまったく思わなかったんだろ?」

「っ……!」


痛いところを突かれ、僕は思わず言葉に詰まってしまう。確かに僕は、ずっと梅雨の恋心を疑っていた。告白された後でさえ、そんなはずはないと思い続けていた。


「そんなお前が、誰かに好かれてるなんて気付けるはずないか」

「気付くも何も、僕とお前が並んで、僕を選ぶような物好きがいるわけ――」

「――そんな物好きがいるのが恋愛なんだよ」


胸に突き刺さる雨竜の物言いに、僕は二の句を継げなくなっていた。好かれているだけ恋愛もしていないはずの雨竜の言葉が、嫌に頭の中を反芻する。


「そんなことも分からないで女子の恋愛相談なんて、俺からすればお笑い種だ」

「……」

「まっ、理解してくれればいいがな。困ってるのはお前だけじゃないってことをさ」


そう言うと、雨竜は立ち上がって扉の方に歩いて行く。こちらの言いたいことを言ってやるつもりのサウナだったが、満足して終わったのは雨竜の方だった。


「待て」


そんな雨竜の背中を僕は呼び止めた。最後の捨て台詞を聞いて、聞かずにはいられなかった。



「お前が困ってるということは、捉えていいのか?」



僕は雨竜に迷惑している。その理由は先ほど雨竜にもぶつけた。


そして今、雨竜は自分も困っていると言う。その原因が僕と同じなのだと言うなら、それはつまり――――



「さあな、自分で考えてみろよ。ガキじゃないんだから」

「っ……」

「ただまあ、困ってるとは言ったが半分は楽しんでるからな。俺としては、梅雨がポロッと口を滑らせてくれることを期待するが」

「はっ? 一体何の……」



意味深なことを吐き捨ててニヤリと笑うと、雨竜はサウナから出て行ってしまった。


頭がぐるぐる混乱したまま、一人サウナに残される僕。


困ってるって言ったくせに楽しんでるって、結局何を言いたかったか全然分からなかった。考えれば考えるほどサウナの熱で集中できなくなる。


「……あっちぃ」


最初にひっくり返した砂時計は、とっくに時間経過の役割を果たしていた。

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