第33話 紳士の嗜み

「おお……!」


露天風呂へと抜ける半自動のスライドドアを開けると、目の前には屋外とは思えない素晴らしい光景が目に入った。


真っ先に目を奪われたのは外へ出てすぐ左手にある1番広い湯船。雨が降っても楽しめるよう茅葺きの屋根が設置されており、既に何人かがその中でリラックスしていた。右手の方の湯船は小さいがお湯が僅かに濁っており、効能がつらつらと書かれた立て札がある。


真っ直ぐ進むと石の階段があり、そこを上がったところにもどうやら湯船があるようだ。


やばい。僕は今ものすごく興奮している。待ちに待った温泉、待ちに待った露天風呂だ。


「いいよなここ。毎年来るんだけど山が近くてさ、自然の中にいるって感じがするんだよ」


しみじみと感動している僕の隣に立つのは、肉体までも完璧な細マッチョ代表たる青八木雨竜である。どうやら雨竜は、あの別荘を利用する際は必ずここに来るらしい。


「お前にしてはいい趣味してるな、こう薄暗い中ぼんやりと山の稜線やら木々の揺れやらが見えるのが乙だ」

「秋だと紅葉が咲き乱れてまた違った一面を見せるんだよな」

「この野郎、テメエのせいで秋にもやってこなきゃいけなくなっちまったじゃねえか」


朱に染まる山を想像して僕の口角は思わず上がってしまう。夏とはまた異なる風流な光景、これを見に来ずして何を見るというのだろうか。


「あ、あの、2人とも」


全身で自然を感じながら雨竜と語らっていると、やけに低姿勢な堀本翔輝が声を掛けてきた。


「遅かったなお前、僕らと同じタイミングで身体を洗い終えただろ?」

「そりゃそうなんだけど、2人があまりに堂々としてるもんだから気後れしちゃって」

「何の話だ?」


こんなにも心躍る環境だと言うのに、堀本翔輝はおどおどしながら視線をさまよわせていた。


そしてゆっくり、こちらを見ないように僕らの下半身に向けて指を差す。



「2人は、タオルとか巻かないの?」



僕と雨竜の肩に掛かっているタオルを見て、堀本翔輝は困惑しているようだった。よく見れば、彼は下半身をしっかりタオルでガードしている。


「巻いてもしょうがないだろ、湯船にタオルを入れるのはマナー違反だぞ?」


僕からすれば、困惑する堀本翔輝に困惑してしまう。どうせすぐ外すのにどうしてわざわざ腰にタオルを巻かなくちゃいけないんだ。


「それは分かってるけど、移動中とか恥ずかしくないの?」

「意味分かんねえ。合法的に外で全裸になれるんだぞ、自然と一体になる以外の選択肢があるのか?」

「雪矢の言い分こそ意味分からんが、男同士で恥ずかしいもないだろ」

「ええ……僕がおかしいのかな……?」


僕らの言い分を聞いても、堀本翔輝のガードが解除されることはなかった。なんだコイツ、こんないろんなものがブラブラしている状況で自分のナニが注目されると思っているんだろうか。自意識過剰にも程があるだろ。


「まさか、僕らと比べて立派なご子息をお持ちなのか?」

「逆だよ逆! 僕のなんてお粗末過ぎて見せられないよ!」

「いや、別に見る気なんてさらさらないわけだが……」


どうやら息子さんの成長が伸び悩んでいるようで、それを露呈するのが恥ずかしかったようだ。


「ああ、2人がもう少し標準的なサイズだったら良かったのに……」

「あのな、デフォルトのサイズで比較してもしょうがないだろ。大切なのは膨張率なんだぜ?」

「元の値が小さかったら膨張したって意味ないよ!?」

「うっさ、さっきからああ言えばこう言う奴だな。ったく、雨竜も何か言ってやれ」

「うーん、そもそもサイズなんて気にする必要あるか? 誰が見るわけでもないし」

「ほ、ほら、将来的に女の子がさ」

「「はい解散」」

「なんで!?」


アホの世迷い言をこれ以上聞くのは無駄だと思った僕たちは、早速1番大きな湯船に浸かることにした。


ああ、これだよこれ。心地よい水温に身を委ねながら上半身では自然の風を感じる。これぞ露天風呂の代名詞ともいえる最高の瞬間だ。


「ああ……やっぱ温泉はいいな」


僕の隣に腰を下ろし、手を組んで大きく真上に伸ばす雨竜。さすがのコイツも勉強会はそこそこ堪えたらしい。体力的になのか精神的になのかよく分からないが。


「ちょっとちょっと! 無視しないでよ!」


しかしながら、雅なる空間を情けない声で掻き乱すのは息子さんの成長に自信のない堀本翔輝。テンションが上がってるのは分かったが、他のお客さんもいるので静かにしてほしい。


「2人だってその、妄想するでしょ? 女の子とイチャイチャするのとか」

「「しない」」

「ええ!?」


堀本翔輝は、リアクション芸人に引けを取らない大袈裟な反応を見せた。僕と雨竜の返答が心底信じられないようだ。


「おかしくない!? 今日来てる女の子たちなんて可愛い子ばっかりだよ!?」

「そうだな、見た目に関しちゃ一級品だ」

「だったら妄想するじゃん!? 今壁一つ隔ててお風呂入ってるんだよ、妄想するじゃん!?」

「声がでけえよ」

「いたっ!」


決して下がることのない堀本翔輝のテンションを正すべく、いつもより強めにチョップを入れる。ここは公共の場ですので、周りに配慮した行動を心掛けましょう。


「あのな、あいつらの裸なんて想像したって意味ないだろ。妄想じゃあ何にもやることできないってのに」

「そこはイメージトレーニングだよ! 具現化系の必修項目だよ!」


堀本君? それ、漫画の世界の話じゃない?


「てかなんだ、可愛い女子と会う度に妄想してたらアホになりそうだな」

「アホでいいんだよ! 男子高校生なんて脳内ピンクのアホばっかりなんだから!」

「そ、そうか……」


すげえ、いつも雨竜にはどこか引き気味の堀本翔輝が今日は問答無用で圧倒している。そんなにも譲れない内容なのだろうか、僕からすれば下らなさすぎて笑えてくるんだが。



「……畜生……! 僕がおかしいっていうのか……!」



水面をグーで弾きながら堀本翔輝は悔しがっていた。心の底から納得がいっていないようで、僕と雨竜は少しだけ狼狽える。


まあ……うん。そこまで拘りがあるならお前の言い分の勝利でまったく構わないのだが。


「雪矢、これって俺らが悪いのか?」

「知るか」


荒ぶる堀本翔輝の勢いに呑まれながら、僕と雨竜はただただ頭を捻るのであった。

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