第32話 乙女たちの語らい6

「いやあ、極楽極楽だねえ」


午後7時半。総勢8名で温泉へと足を運んだ女性陣は、浴室内で身体を洗うと、敷設されている露天風呂へ浸かりにいった。


外はシンプルな湯船の他にも泡風呂や水風呂、滝のように上から水が滴るもの等があったが、皆で交流できるよう最初は1番広い湯船に入る一同。自分たちの他にも客はちらほらいたが、タイミングが良かったのか、その湯船には彼女たちしか居なかった。


「晴華、あなた少しオヤジ臭いわよ」

「しょうがないよ出雲ちゃん、バス移動からのずっと勉強だったもん」


トレードマークのポニーテールを後頭部の上部で行ったり来たりさせながらまとめ、石の背もたれに寄りかかりながら目を瞑る神代晴華に声を掛ける御園出雲と桐田朱里。女子らしくない物言いが気になってはいたが、ここまで疲労するほど勉学に勤しんだのもまた事実。温泉に来てまで説教染みたことはしないでおこうと出雲は思った。


「てか神代、いい加減そのだらしない乳沈ませておきなさいよ」


名取真宵の何気ない指摘に、晴華は反射的に身体を戻して胸元を隠した。


「マヨねえのエッチ! なんでそんなこと言うの!?」


羞恥心から顔が真っ赤になる晴華だが、真宵に悪びれる様子はまったくない。


「いや、あんまり無防備に放り出してるもんだから揉まれたいのかと思って」

「そんなわけないでしょ!? だいたいマヨねえだっておっぱい浮いてるじゃん!」

「あたしはあんたと違って無防備じゃないもの、だらしなくもないし」

「あたしだってだらしないわけじゃ」

「はいはいストップ、胸の話は他所でやりな。後輩たちがびっくりするでしょうが」


大人のようで子どものようなやり取りに見兼ねた出雲が、ヒートアップしている2人の間に割って入る。


出雲の言うように、1つ後輩であるあいちゃん、そして青八木雨竜の妹である梅雨は、唐突に始まったおっぱい談義に呑まれていた。


しかしながら、出雲の注意を受けても真宵は止まらない。


「別に女同士なんだから気にする必要ないでしょ。それに、背丈も胸元もちびっ子な悲しい人間が随分と神代の乳を凝視してるようだし」

「えっ?」


真宵の言葉を受けて、晴華は湯船の中にいる人たちとゆっくり目を合わせる。


そして、体育館で良く顔を合わせる後輩が、自分を睨むように凝視していることに気がついた。


「あ、あの、空ちゃん?」

「なんでしょうか?」

「えーっと、いつまで見てるのかなと思って」

「触らせてもらえるまでですかね」

「さわっ!?」


驚き狼狽える晴華だったが、当の本人はどう見ても本気だった。お湯に浸かっていた両手が空中に飛び出し、何かを掴まんと両手をグッパーさせる。


「な、なんで触る方向に?」


身の危険を感じた晴華はすぐさま正気を失った後輩に交渉を試みるが、返ってくるのは悲しい言葉だけ。



「――――大きな胸に触れば、私のも大きくなるかなと思って」



蘭童空は、更衣室に入る段階から何度も心を折られていた。


背丈がそれほど変わらない親友であるあいちゃんは、明らかに自分よりワンからツーランクは上の戦闘力を保持していた。あいちゃんからは『遺伝だから』と謎の言い訳をされてしまったが、つまりまだ大きくなる可能性があるということであり、さらなる絶望を植え付けられただけであった。


そして極め付けは1つ歳下であるはずの梅雨。義務教育を受けているまだまだ子どもにトリプルスコアをつけられ、あまつさえ『母やお姉ちゃんがもっと大きいのでまだ伸びるかもです!』と悪気なく言われてしまう始末。癒しを得るはずの温泉という空間で、空の心はすでにズタボロだった。


「落ち着いて空ちゃん! そんなことしたって意味なんかないよ!」


悲痛な面持ちで制止を促すあいちゃんだが、空の進行は止まらない。ホラー映画に出てくるゾンビのように晴華に近付いていく。


「ふふ、面白くなってきたわね」


全ての元凶たる真宵は、その光景を腕を組みながらとても楽しそうに見つめていた。おっぱいの悩みをおっぱいで解決しようという『おっぱい願掛け』、それを実行せんと動くライバルの姿を見て、笑いが込み上げてしまう。自分で仕掛けておいてアレだが、なんだこの光景は。


「…………隠さなきゃ」


晴華の2つ隣の位置にいた朱里は、自分が標的にならないよう両手を胸元でクロスして、顔だけをお湯から出していた。隣の出雲から不審な視線を送られるが、我が身を守るためなので完全無視である。


「ちょ、待つんだよ空ちゃん」


第一ターゲットは、湯船の中を膝歩きする後輩に怯えながらも身体を動かせずにいた。湯船から出てしまえば解決しそうな話なのだが、すでにタイミングを逃してしまっている。


このまま目の前のゾンビに乳を差し出すしかないのかと晴華が諦め掛けたそのとき、隣から救いの手が差し伸べられていた。



「空ちゃん、落ち着いて」



こんな状況でも優しい声色で呼び止めたのは、穏やかな笑みを浮かべている月影美晴だった。


親友の声ですら止まらなかった空が、ゆっくり身体の向きを変える。


「ほら。私なんて空ちゃんより先輩なのにすっとんとんだし、気にする必要なんてないよ」


お湯に浸かっていて分かりづらかったが、美晴の胸元はそれほど膨れあがっているように見えなかった。自分と同じか、それ以下の戦闘力の存在を認識し、真っ黒だった空の瞳に光が宿る。


「あ、あれ、私はいったい何を……?」

「空ちゃーん! よかった、正気を取り戻したんだね!」

「あわわ! あいちゃん!?」


湯船の真ん中で意識をはっきりさせる空。それに心底安心したあいちゃんが後ろから空を抱きしめる。湯船のお湯が飛び散り、他の客がいたら確実に迷惑になっていた。


「ミハちゃんありがと~! あたし、すっごく怖かったよ~!」

「よしよし、もう大丈夫だからね」


底知れない緊張感から解放された晴華は、助けてくれた大親友に思い切り抱きついていた。それを決して嫌がることなく、あやすように頭を撫でる美晴の姿はまるで母のようである。


「そもそも月影はさ、胸どうこうの前にちゃんとご飯食べなさいよ。そんなんじゃ育つもんも育たないっての」

「どうかな、しっかり食べててもあんまり変わらないと思うけど」


それと同時に真宵から絡まれるが、美晴は動じることなく対処する。こういった場では自分の腕が他の女性陣より細いことなど容易に分かってしまうが、だからといって食生活で改善できるものとも思っていない。無論、改善できる部分はすべきだと思っているが。


「……」


そして、これらの一部始終を黙って見つめていた梅雨。


僅か2分の間によくここまでのやり取りができるものだと思いながらも、来年はこの中に入り込めるものなのかと少し呆然としてしまうのであった。


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