第26話 アシスト
「なんでこんな問題が分からないんだ……」
女性陣が雨竜へ質問をしやすくするという仕事を終えた僕は、雑談もある程度で切り上げて戻ろうと思っていたのだが、神代晴華が本当に勉強の質疑があったようで仕方なく付き合うことになった。
物理の問題だからと分からない箇所を聞いてみれば、なんてことはない引っかけ問題に見事にハマっているのだった。
「だっておかしいよ、摩擦でエネルギーロスしない条件なら球は最初の高さまで上がるはずでしょ?」
神代晴華が悩んでいる問題は、
ここで重要なのは、弧の右側部分は45度程で欠けており、球は空中へ飛び出してしまうということである。
この問題を見てコイツは、『エネルギー保存則が成立するから、空中へ飛び出した球も同じ高さまで上がる』と結論付けたようだが、見事に制作者の意図にハマってしまっている。
「それはあくまで、運動エネルギーが全て位置エネルギーに変わってる前提だろうが」
「? どういうこと?」
「ああもう。力学なんだから公式だけじゃなく一般常識に当てはめて考えろ」
僕は神代晴華が持っている参考書に図を描き、説明する。
「お前が言ってる通りなら、坂を飛び出した後でもこんな風に同じ高さまで上がってくるよな?」
「うん、そうだよ」
「一応聞くが、転がす前の球の運動エネルギーは?」
「0でしょ、転がす前なんだから」
「じゃあ坂を飛び出して同じ高さまで上がったら運動エネルギーは?」
「それも0だよ、じゃなきゃ同じ高さまで上がらないし」
「成る程。お前の言うことが正しいなら、放物線を描いている球が急に真下に自然落下するってことになるんだが」
「……あれ?」
右上方向に進んでいる球が突然真下にいく絵を描くと、ようやく神代晴華が自分の回答に疑問を持った。
念のため、僕は神代晴華の消しゴムを取って距離を取り、彼女に向けて下から消しゴムを放った。消しゴムはある程度上がると上向き方向の力を失い、落下しながら神代晴華の手元に落ちていく。その際、水平方向の力は失われず残ったままであった。でなければ、神代晴華の元に到達する前に落下してしまうだろう。
「分かるか? こんな風に水平方向の力がなくならない以上、運動エネルギーは0にならない。つまり、運動エネルギーが全て位置エネルギーに変換されないため、同じ高さまで球は上がらない。どうだ、理解したか?」
「おお!!」
先程まで意固地に考えを変えなかった神代晴華だが、説明を終えると目を輝かせながら拍手を始めた。どうやらすっきりしてくれたようだ。
「すごく分かりやすい! ユッキー先生になれちゃうよ!」
「力学なんて分かれば誰でも教えられる。波動と電気に比べれば100倍マシだ」
「ユッキーって意外とすぐに謙遜するよね、いつも自信満々な態度なのに」
「誰でも分かることを得意げに話してたら馬鹿なだけだろ」
「……あたし、今の今まで分かってなかったんだけど」
「今分かったんだからいいんだよ。分からないことを分からないままにしない、その精神があれば充分だ」
「そっか」
神代晴華は、僕の落書きのような絵を見て嬉しそうに笑った。
「それ、消しといていいからな。隅とはいえ参考書に描いちまったし」
「ううん、残しとく。これあった方がずっと覚えられそう」
「いや、汚いだろ? せめて自分で綺麗に描き直して」
「このままでいい、その方が良いよ」
「……まあお前がいいなら僕は構わんが」
確かに、綺麗な清書より汚い文字列の方が覚えやすいと感じる場合もある。その方がインパクトがあり、頭の中に残りやすいからだ。暗記する際に何かに関連づけて覚えることで忘れにくくするのとよく似ているが、これだと次見たときに思い出せるか少々疑問だな。自分で描いておいてだが。
「じゃあユッキー、次の問題なんだけど」
「はっ? まだあるのかよ!?」
神代晴華は、僕の返答に目を丸くしていた。
「だってユッキーがあたしに質問あったら言って来いって」
「そりゃ雨竜の件があるからで表面上の話だったろ?」
「そんなこと言われてないよ? それに、分からないことを分からないままにしない精神が大事なんでしょ?」
「ぐぬぬ……!」
ついさっき僕が言った言葉を、神代晴華はニヤニヤしながら引用してきた。畜生め、事前に細かい説明をしなかったことが仇となったか。
「大丈夫だって、ユッキーのために物理と化学しか準備してないから!」
「びっくりするくらい謎の気遣いだな」
おそらく中間テストで僕が勉強に励んでいる教科をピックアップしたのだろうが、今回は期末テストでどちらも取り組むつもりはないし、化学にいたっては2年に上がって初めての実力テスト以来ほぼノー勉強である。先ほどの質疑はたまたま答えられたが、基本分からず何も出来ないのがオチだ。
えっ? 分からないことを分からないままにしてていいのかって? 僕はやりたい科目以外は理解する気がさらさらないのでオールオッケーである。
とりあえず質問内容くらいは聞いてやろうと思っていると、談話スペースの扉をノックする音が聞こえた。
一瞬息を呑んで扉の方を見ると、しばらくして入ってきたのは勉強大好き雨竜君と、問題集やら参考書やらを両手に抱えた蘭童殿だった。
「お取り込み中悪いが、場所借りるぞ」
「どうぞー」
蘭童殿と目が合った僕は、表情が綻びそうになるのをなんとか堪えた。
よし、さすがは蘭童殿。僕が一旦空気を緩めたとはいえ、集中しきってる雨竜によく声を掛けた。イケイケ猛攻ガールの先手必勝は未だ健在である。
そうとなればこっちは退散だ、2人きりでなければ踏み込んだ話もできないかもしれない。僕は僕なりにやれることをしなくては。
「よし、僕らは戻るぞ?」
「えっ!? まだ質問あるのに!?」
「……」
先程まで良いアシストをしてくれていた神代晴華だが、ここへきて
「チラッと見たが全て僕の理解を超えていた。恐ろしい問題たちだ」
「教科書開いてないのに!?」
「僕くらいになればお前の質問内容くらい全て想像が付く」
「想像つくのに答え分からないの!?」
「不思議なことにな、そういうわけだから仕切り直しだ」
そう言って神代晴華の腕を取って強引に立たせる。細そうに見えて案外柔らかかった二の腕を掴んだことに、少しだけ罪悪感を抱く。そうだった、一応コイツには彼氏がいるんだった。
「ユッキー、仕切り直したところで分からないことは分からないよ」
「アホか、訊く相手を変えればいいだけだろ。堀本翔輝なんて最適だぞ、理科系を網羅するために生まれてきたような男だ」
「えっ、そうなの!?」
「ああ、自らをアインシュタインの生まれ変わりと主張していた」
「おお! じゃあ後で訊いてみよ!」
僕の意味不明な発言を疑うことなく、神代晴華の勉強質問先は堀本翔輝に変更になった。堀本翔輝め、僕のアシストを心の底から堪能することだ。私服姿のコイツも、普段と変わらず無自覚な淫靡テーションを放っているからな。しかと目に焼き付けやがれ。勉強の方は知らん。
僕は部屋を出る前に、再度蘭童殿とアイコンタクトを取り、ウインクと同時にエールを送る。
(頑張れ蘭童殿!)
(ありがとうございます!)
完璧なる意思疎通を図った僕は、若干状況が気になりつつも、蘭童殿を信じてロビーの方へ戻るのであった。
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