第16話 いとも容易く行われる残虐な行為

「いい朝だ」


土曜日の朝7時半。僕はリビングの窓から漏れる陽光に照らされながら、穏やかな心持ちで食後のコーヒーを一口啜る。調子に乗った、苦すぎて舌を口内から脱出させたい気分になった。


誰だ休日の朝はブラックコーヒーに限るとか言った奴は。紛れもなく5分前の僕だった。


「ゆーくん、機嫌良さそうだね」


そう言いながら、テーブルの上にスティックタイプのシュガーとミルクを置いてくれる父さん。

見てるか人類、こういうさりげない気配りこそが世界を平和にするために必要な要素なんだよ。まったく、いつになったら父さんはノーベルさんから平和賞をいただけるのやら。


「機嫌いいというか、先週末は慌ただしかったからさ。時間を気にせず優雅に飲めるコーヒーは最高だと思って」


先週末は青八木家の末っ子殿の相手に追われていて、肉体的にも精神的にも休む暇がなかった。日曜日は朝早くから心頭滅却滝行ツアーに行っていたし、こういう落ち着いた朝は久しぶりなのである。


「そっか、ゆーくんが嬉しいならお父さんも嬉しいよ」


太陽なんて陳腐に見える眩しい笑顔を浮かべる父さん。間違いない、マイナスイオンが光の速さで地球上を飛び回っているな。ほどほどにしておかないとまた近所の奥様がファンになっちゃうというのに、我が父ながら罪な男である。


「そうだゆーくん、お願いというかお誘いがあるんだけど」

「何でも言ってよ、お願いもお誘いも大歓迎」

「あはは、それは頼もしいね」


休日に父さんから誘いや頼み事をされることはよくある。父さんが家族3人で過ごしたがるからだ。ただ、試験期間は僕に遠慮して誘いや頼み事をしてきたことがなかったのでちょっと意外ではあるが。


「実は久しぶりに母校を見に行きたいと思ってね、ゆーくんに案内してもらえないかなと思って」


父さんの頼み事は、いろんな意味で予想外の内容だった。


「それは構わないけど、父さん去年学園祭見に来てるよね? ほとんど変わってないと思うよ?」


それに休日に訪れても部活で出てきている先生しかいないし挨拶もほとんどできない。今は休部期間だから学校にいるのは試験問題の作成ができていない先生くらいだろう、それなら長谷川先生を改めて紹介できそうだが。どちらにせよ、父さんのお願いにしては違和感を覚えるものだった。


「見に行きたいって言ってるのお母さんなんだ」

「……成る程」


ようやく少しだけ腑に落ちた。去年の体育祭と学園祭だが、どちらも急な案件が入ったらしく、母さんは来ることができなかった。まあ人混みが嫌いな人なので、用がなくても来ていたかは怪しいが。


確かに母さんは陽嶺高校にしばらく来ていないだろうし、人が居ない休日に見に行きたいというのも分からなくもないが、そもそも母さんにそういう母校愛があるとは思えない。父さんさえいればそれでいいという人間が、母校なんて気にするだろうか。父さんからの頼み事なのに、僕は正直釈然としていなかった。母さんのために動かなきゃいけないからだと思うが仕方あるまい、他ならぬ父さんの頼みだ。


「お父さんはお母さん起こして9時半頃に向かうから、先にゆーくんは先生方に話を通してもらえると助かるよ」

「了解」


ミルクとシュガースティックを2本入れたコーヒーを飲み終えると、僕は制服に着替えるために自室へ戻る。


父さんとゆっくりお話はできたものの、結局今週も慌ただしい朝になってしまった。



―*―



「……絶対おかしい」


家を出て普段より人の少ない電車に乗り込んでから約1分後、僕は少なからず狼狽えていた。


理由は2つ。

1つ目は、制服を着たら父さんに「私服でいいから」と衣服をチェンジさせられたこと。休日とはいえ、学校に行くには制服の着用が義務づけられている。部活動が絡むため体操服であれば問題はないが、さすがに私服は先生に指摘される気がする。何を以て父さんは問題ないと言ったのだろうか。


そして2つ目は、行く前に持たされたリュックと謎の紙である。僕は暇つぶし用にノートパソコンだけ持って行こうと思っていたのだが、玄関を出る際に父さんから有無を言わさず渡され、中身を確認することなく担いでいる。謎の紙も、学校に着いてから見て欲しいと父さんから言われていた。


どう考えても怪しいのだが、父さんが僕の嫌がることをするとは思えないし、学校の見学が終わったらどこかに行くつもりなのかもしれないと思い、本人には何も言ってない。ポケットにしまった紙もホントは見たくて仕方ないのだが、学校に着いてからというのが父さんとの約束なので、違えることはしたくない。


僕は人目を気にせず、軽く手を広げて大きく深呼吸をした。


落ち着け僕。私服なのはともかく、今日は学校を案内するだけ。それ以外は何もなし。不安になることはない。先生に私服を指摘されたら、「この後家族と遊びに行くから」って言えばいい。試験期間なんだから勉強しろと言われるかもしれないが、それでその場は凌げるはずだ。



…………あれ? そういえばあいつらってどこで待ち合わせしてるんだっけ?



勉強というワードによって呼び起こされた御園出雲発案、僕企画の例のアレ。僕の手から離れたためその後を追っていなかったが、今日から1泊2日で始まるはず。僕のところに少しくらい情報が下りてきてもいいはずだが、詳細は結局分からないままだ。よく考えたら、昨日まで誰ともその話題で話していなかった気がする、一応僕が企画したにもかかわらず。



『絶対雪矢さんには参加してもらいますから! 週末会えるの楽しみにしてますから!』



何故かとある末っ子の言葉を思い出し、身体に悪寒が走り始める。


頭の混乱が解けぬまま陽嶺高校の最寄り駅に無事到着した僕だが、このまま進んで良いものか悩みに悩み、父さんの顔を思い出して突き進むことを決定した。


いつもの通学路を歩きながら、僕は思考を落ち着かせる。


僕が行かないと言ったら行かない、それは揺らぐことのない事実だと思っていた。


しかしながら、僕の決定を簡単に覆すことのできる人間が身近に居る。もしその人物と接触できる相手が居るとするなら、その人物に僕の決定を覆すよう頼んでいる人が居るなら、僕に決定権などなくなってしまう。


何故なら僕はその人が大好きで、誘いも頼みも全て聞いてあげたいと思っているからだ。


しばらくすると、陽嶺高校の校門から少し外れたところにマイクロバスが停まっているのが見えた。どこかの運動部が遠征か何かで使用しそうなものだが、バスの前で僕のように荷物を持つ見慣れた面々を確認して僕は全てを悟った。


ここでようやく、父さんから受け取った謎の紙を取り出し目を通す僕。



『嘘ついてゴメンね。ウチのことはいいから、勉強合宿楽しんできてね。お父さんより』



やられたよ末っ子。僕が抗えないところを容赦なく突いてきやがった。

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