*31話 精神魔術[健忘]


2021年7月17日 夕方


 田有のマンションを出た俺は、里奈との待ち合わせ時間の10分前には原宿駅に到着していた。そこで少し待ち、ほぼ約束通りの時間にやって来た里奈と合流する。


 土曜日だというのに出勤日だった彼女は、白のブラウスにストレッチジーンズ、上から濃紺のブルゾンを羽織り、足はトレッキングシューズで背中に大き目のバックパックを担ぐという……普段通りの格好・・・・・・・をしていた。


 いつ「巡回課」としてメイズに赴く事になるか分からないので、動きやすい格好が里奈の仕事着、つまり制服兼作業着になる(身分を示す物は腕章1つで事足りるとのこと)。そう言う意味では里奈の体捌きを妨げないストレッチジーンズや、四肢を守る防具を装着する時に素肌を守るために一枚羽織れるブルゾンやジャンパーも、背面を守るバックパックも、全部理にかなっている。


 長年の音信不通の末、再会したのが第1期受託業者認定試験の会場だったが、その時の里奈はパリッとしたパンツスーツ姿だった。アレはアレで似合っていたと思うが、その後の業務の変遷によって、このような格好に落ち着いているのだろう。俺としては、こちらの姿の方が見慣れてしまったので違和感はない。


 ただ、本人には絶対に言わない事だが、よくこのラフな格好で虎ノ門にある[管理機構]の本部オフィスに出勤できるな、とは思う。場所柄、お堅い団体職員や公務員、サラリーマンが多いところだ。出勤中はさぞ浮いた存在に見えることだろう。


 そう思うとなんだか笑えてくるが、そうは言いつつ、今の里奈の格好は妙に「キマッて」いる。もともと、シュッとした「ややキツメの美人」といった風貌の彼女は化粧が薄目であっても人目を惹く。「生気」のようなものを発散している感じだ。それに、五十嵐心然流で鍛えられた姿勢の良さとキビキビした立ち居振る舞いが加わると、ラフな格好がさまになるのだ。さっそく、ただ歩いているだけでモデルさんのようなオーラが……いや、流石にこれは惚れた目の贔屓目か――


(そうでもないニャン。すれ違う10人中8人は意識を里奈様に向けるニャン。その内6人くらいは目で追う感じニャン、コータ様も鼻が高いニャン)


 とは、俺のお惚気のろけを肯定してしまうハム美の【念話】。


(でも、それに比べてコータ殿は普段から【隠形行】を使っているように目立たないのだ。ステルス・コータなのだ)


 うっせぇ、ハム太。なんだよその「ステルス・コータ」って。それに[魔素]が無いところで【隠形行】は使えないんだぞ……って、それはつまり……


(ナチュラルに存在感が薄いニャン、で、でも、ワルい事じゃないニャン……敵の不意を突いたり、とにかく無駄な注意を惹かない事はつまり、利点、そう、利点ニャン!)


 「敵の不意を突く」って、そんな必要がある敵が現代日本のメイズの外にそうそう居るはずないだろう。くそ、ハム美まで……中途半端に慰めようとしないで欲しい。心が痛いから……


「……どうしたの、コータ?」

「え、う、うん、何でもない」

「もしかして、疲れてる?」


 俺の内心の葛藤に気が付いていない里奈は、そう言って俺の顔を見る。


 俺と里奈の身長差は10センチくらい。だから、ヒールの有る靴を履かない里奈は俺の顔を見上げるような上目遣いになる。そこに心配そうな表情が加わると、「キツメの美人」顔は一気に「可愛らしい少女」のような感じになる。そんな顔を見せられると、未だに「ドキッ」としてしまう。


 でも、可愛らしい「少女」は流石に言い過ぎか。お互い27歳だし……あ、今のはオフレコな……特にハム太。絶対にチクるなよ!


「大丈夫なの?」

「お、おう、大丈夫、大丈夫。それより、そろそろ約束の時間だよな」

「そうね、行きましょ」

「だな」


 俺は2重の意味でドキドキしながら竹下通りを歩き出す。そんな俺の右手に温かい里奈の手が重なったので……ドキドキは3重奏になってしまった。まったく、これじゃ、そこら辺を歩いている中学高校生のカップルと同じだな……


*********************


 待ち合わせ場所は全国チェーンを展開しているカラオケ店。期間限定で少し変わった、所謂いわゆるえる」フードメニューを出すことが有名で、半分外食チェーンに足を突っ込んだような店だ。


 元業界人・・・・(?)な俺からの評価としては、FZアメージングフード社よりも、100倍はマーケティングが上手いと思う。その上、グループの店舗展開はかなり堅実で、少し前から日本全土を襲っていた「コロナ禍」からの立ち直りも早い。


 一時期「カラオケ」を介したクラスター感染が全国で発生したことにより、風評被害めいた損害を受けたが、簡易なカラオケ機材とフード類のデリバリーサービス等を展開し、そんな風評を払拭していたことも記憶に新しい。


 と、割とどうでも良い感じの事を思い浮かべつつ、俺は里奈の後に付いて小ぎれいな店内の廊下を進む。


「ここね」


 そして目当ての部屋を見つけた里奈は、俺の方を「良いわね?」といった感じで見る。


 実は、これから会う富岡さんも吉池さんも、俺は全く面識がない訳じゃない。しかし、それは「小金井・府中事件」のドタバタの中で出来た面識ものだ。それほど深く知り合っている仲ではない。なので若干の緊張を覚えるが……別に相手は只の人間だ。ゴブリンナイト重装ホプリタイ豚顔オーク赤鬣犬レッドメーンやレッドドラゴニルでもない。そう思うと気が楽になるので不思議。


 それに、これから一方的に明かされる秘密に対して、万が一吉池さんが予想外のリアクションを取った場合、ある程度以上、例えばこちらに危害が加わるような反応になった場合はハム美の[魔術]が炸裂することになる。


 まぁ炸裂といっても、ハム美(とハム太)は、人間に危害を加えるような行動はとれない。なので、恐らく使用される魔術は精神に作用する[健忘]というものになるだろう。直近一定時間の出来事を忘れるような魔術だそうだ。それが富岡さんと吉池さんに掛けられた場合、ハム美やハム太の存在を含めた「打ち明け話」はリセットされるはずなので、改めて単なるダブルデートと言った感じになるだろう。


 そんな事を考えつつ、


「行こう」


 俺は里奈の視線に頷いて返事をする。それで里奈がドアに手を掛けた。


――ガチャ


 とぶ厚いドアが開く。


 室内から歌声が漏れてくることは無かった。代わりに7,8年くらい前に流行ったラブソングのカラオケが流れてくる。どうやらカラオケをBGM的に使っている様子。それで、部屋の主はと言うと……コの字型のソファーの奥で、ピタッと2人でくっついて、ブチューッとやってました……。


「ちょ、ちょっと里奈。呼び鈴を鳴らしてからにしてよ!」

「……いや、参ったな、ハハハ」


 顔から火が出るような勢いで文句を言う富岡さんと、驚きながら苦笑いをしている吉池さんの2人に、


「す、すみませんッ!」


 里奈は平身低頭の勢いで謝っていた。


 俺はと言うと、ハム美の[健忘]という魔術の正しい使い方を見出したような気になっていた。



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