*2話 徒然なる日々② 回想


「コータどの~」


 とは、少し呂律ろれつが怪しいハム太。俺は元千尋の部屋のドアへ向けていた視線を正面に戻す。


「ん? どうした?」

「もう1本、いいのだ?」


 目の前の酔っ払いネズミはそう言いながら、空になった1合瓶を専用の箸でコンコンと叩く。放って置けば、そのまま念仏でも唱え出しそうなリズムだ。


「好きにすればいいだろ」

「いえ~い、コータ殿も呑むのだ!」

「あ~、俺は良いわ。止めとく」

「なぁ~にぃ~、吾輩の酒が飲めないのだ?」


 はぁ、面倒臭い。


「つまみを出してやるから1人で呑んでてくれ」


 俺はそう言うとハム太を食卓に残してキッチンへ向かう。確か冷凍庫に作り置きのきんぴらゴボウがあったはずだ。ハム太の「今日の感じ」だと、2合も呑めば潰れて寝てしまいそうだ。だから、きんぴら一皿で十分に持つだろう。


 ちなみにハム太の「酒の強さ」はどうもその日の気分次第なところがある。今日のように日本酒の1合瓶で出来上がる事も有れば、岡本さんと同じ量の焼酎を飲んでも平気にしている時もある(飲んだ分が何処に消えるのかは全くの謎だ)。酒量についてハム太は「調整可能なのだ」と言っているから、多分そうなんだろう。だったら、普段から直ぐ酔っ払うようにしてもらいたいものだ。ガバガバ酒を呑まれると不経済過ぎて困る。


 と、そんな事を考えながらレンジで温めたきんぴらを皿に盛って出してやる。それでハム太は、「この濃い目の味付けが堪らないのだ」とか「米に合う物は酒にも合うのだ」とか言いながらモキュモキュとゴボウを頬張り、パカパカとぐい吞みの冷酒を流し込む。そして、


「ご馳走様なのだ」

「お粗末様でした」

「ああ、良い具合なのだ~」

「寝るのか?」

「寝るのだ~、昨日の夜は遅かったのだ~」


 となった。


 ちなみに「昨日の夜は遅かった」とのたまうハム太だが、別に何か重要な用事があった訳ではない。自分で勝手に動画配信サイトを徹夜で見ていただけの話だ。1泊2日のメイズ潜行が終わった日の夜は大体徹夜で動画を見ているハム太だから、翌日は昼過ぎに寝て夜に起きる生活になる。


「お休みなのだ」


 ハム太はそう言うと、フラフラとした足取りで食卓から床に降りて、そのままリビングを横切ると、サイドボードの上によじ登り、そこに置かれていた菓子箱に頭から身体を突っ込む。


 菓子箱はスライド式の立派なもので、先々週、手島が退院した際に「お祝いに」として千尋が買って持って行った物と同じものだ。自宅用としてついで・・・に買って来たらしい。元の中身は高級カステラだったが、今は脱脂綿が詰められており、ハム太のお気に入りのベッドになっている。


「ゴミと間違えて捨てる、というのはナシなのだ」

「お、おう……なんで分かった?」

「もう2回ほどやられているのだ」

「そうだったっけ? まぁ気を付けるよ」

「じゃ、お休みなのだ」

「はいはい、お休み」


 そんな会話でハム太は菓子箱の上蓋を閉めると、お休みモードに突入した。って、まだ14:00だぞ……本当にいい御身分のネズミだな。


 俺は何とも憎たらしい気持ちで、一度だけ菓子箱にデコピンを喰らわせると、気分を入れ替えて洗い物を済ませることにした。


*********************


 5月半ばの「双子新地高架下メイズ」に於ける一連の事件で銃撃を受けて負傷した手島敦は、1か月ほど入院した後、6月半ばに退院を果たした。入院中は俺も一度だけ義理でお見舞いに訪れたが、その頃には簡単なリハビリを行っており、本人は元気そのものだった。


――子供のためにも稼がないと、いつまでも寝てる訳にはいきません――


 と言う手島は、俺が知る以前の「うぇ~い」な大学生バイトの頃とは明らかに顔つきが変わっていた。「拳銃で撃たれる」という日本では稀有な状況に遭遇した事で肚が座ったのだろう。それに、5月の半ば(「双子新地高架下メイズ」事件の翌日)に生まれた長男(名前なんだったっけ?)の存在も、浮ついた手島という人物を急激に変えたのだろう。


 とにかく、随分と「しっかりとした」顔つきになっていた。


 ちなみに生まれたばかりの手島の長男(本当に名前が思い出せない……)の写真を千尋が見せてくれた事があったが、俺の感想は「う、うん、可愛いね」というもの。正直なところ、何処が可愛いのか良く分からなかった。ただ、もしもコレ赤ん坊が道端に放り捨てられていたら、助けずにはいられないだろうな、という風には感じた。


 一方、写真を見せてきた千尋や、その時丁度一緒に居た里奈は「きゃ~かわいい~」となっていたので、これはもう男女の感性の差だろう。


 現に手島も、


――僕も自分の子供が出来るまで、赤ん坊なんて泣いて煩いだけだと思ってました。でも……変わるもんですね。遠藤サブマネも子供が出来たら分かりますよ――


 と(物凄く生意気な顔で)言っていたものだ。


 とまぁ、そんな風にしていた手島だが、退院後は早々に[受託業者]稼業へ復帰している。以前の[赤竜・群狼]クランの「第7PT」全員で、田中社長の[東京ディープダンジョンズ]へ移ったということだ。これは手島のPTに限らず、結構な人数が[赤竜・群狼]クランから[東京DD]に移ったらしい。


 ただ、[赤竜・群狼]クランも消滅とはならずに第1から第2PTのメンバーが中心となって若干数が残ったとのこと。今は赤竜第1PTのリーダーだった保田という男がクランリーダーとして[新生・赤竜群狼]クランを纏めている。


 そんな彼等の活動方針は、以前のように一部のメイズを占有する、というような迷惑なものではなく、他の受託業者同様に分相応にやっていく、ということになっているらしい。ただ、これまで随分と周囲に迷惑を掛けていたため、元の活動拠点だった「国立西駅」のメイズからは撤退したということ(追い出されたのだろう)。しばらくは埼玉や神奈川の交通の便が悪い不人気メイズで頑張る事にしているらしい。


 ちなみに、彼等「赤竜・群狼」を後援と言う形で搾取していた横浜の「蛟龍会」というチンピラマフィアグループは5月の末に都合よく・・・・「麻薬密売」を警察に暴かれ、組織が解体させられたらしい。ただ、彼等は「六龍会連合」という中華マフィアグループの一端でしかないため、組織解体自体も「単なるトカゲのしっぽきり」だった可能性があるとのこと。


――当面は横浜周辺には近づかない方が良い――


 という田中社長の警告に変りはなかった。


 一方、「双子新地高架下メイズ」事件の渦中の人物と言うべき朴木太一ほうのきたいち金元恵かねもとめぐみや谷屋さんと牧田沙月まきたさつきの動向は一様ではない。


 まず、谷屋さんと牧田沙月(まぁ「牧田さん」でいいか)は、現在「東京DD」クランの世話役に収まっている。立場的には「田中興業」の社員ということになっているらしい。ただ、2人には「公安の監視が張り付いている」(田中社長談)とのこと。妙な動きが無いか監視することと、身辺護衛の両方の意味があるらしい。そのため、


――あんまり私達に関わらない方が良い、面倒事があった時に巻き込まれるかもしれない――


 と谷屋さん本人が言うので、俺も自分から関わりを強めるような事はしていない。


 対して朴木太一と金元恵の2人については、良く分からない感じだ。2人の内、朴木は半ばフリーランス的に活動しつつ、時折「東京DD」クランにも顔を出しているようだ。これは、朴木本人の口から直接、


――しばらくソロ中心に助っ人的な活動をする。だから、用事が有ったら声を掛けてくれ。お宅らだったら1日10万で良い――


 と聞いているから間違いないだろう。


 ちなみに本人は「助けてくれたお礼」のつもりで言っているらしいが、俺も岡本さんも「売り込みに来た」としか感じられなかった。とにかく、本人はしばらくソロメインで助っ人活動をするつもりなんだろう。


 その一方で、「東京DD」の「コウちゃんPT」からは


――朴木ってやつ、凄く強いけど、めっちゃムカつくんすよぉ!――


 と聞いているから、[東京DD]のクランメンバーを鍛えるような仕事を田中社長から請け負っているのだろう。


 一方、金元恵は依然として消息不明だ。彼女の行方については、


――気にしても何もいい事がない。朴木が騒いでいないから無事なのは間違いない。それで良いだろう――


 と、田中社長に釘を刺されている。


 まぁ、俺からすれば、金元恵は「他人もいいところ」な無関係の人物だ。単に、あの10層で「瀕死の所を助けた」という関係性しかない。ただ、


――また[管理機構ウチ]に非常勤理事が増えたのよ――


 と、里奈が言っていたので、もしかしたら金元恵は秘密裡に[管理機構]の中の人に収まっているのかもしれない。丁度【鑑定】というスキルを取得した元陸自「メイズ教導隊」の隊員のような立ち位置に居るのかもしれない。


 とにかく、5月半ばの「双子新地高架下メイズ」事件に関わった面々の「その後」は、そんな感じに成っている。


 ただ、10層での戦闘から姿を晦ましたあの連中・・・・、「統情六局」の面々の行方も全く追えていないらしい。その事が妙に気になるのは確かだ。


*********************


――先月IOCが発表したオリンピック選手村の分割設置方針について、政府、オリパラ事務局、JOCの3者が協議を行い、従来の晴海オリンピック村をコロナウィルス・ホワイト国の選手用として運営し、あらたに蔓延国の選手向けとして代々木国際オリンピック記念青少年文化センターを充てる事で最終合意をしたと発表しました。代々木国際オリンピック記念青少年文化センターは前回の東京オリンピックの際に選手村として設置された経緯があり、IOCは今回の決定をオリンピックの歴史的資産の再活用として高く評価し歓迎すると、コメントを――


 洗い物が終わった俺は、何となくテレビをつける。テレビでは午後のワイドショーのニュース枠としてアナウンサーがそんなニュースを読み上げていた。


 番組はそのまま、コメンテーターのくだらない寸評へと移り、やれ「コロナの蔓延度合で国を分けるのは人権侵害」だとか「オリンピック憲章に反する措置」だとか、「ダイバーシティ・アンド・インクルージョンという今回の五輪のコンセプトに反している」などと言い合っている。


 そんな批判めいた寸評の中には、


――メイズストーンを用いた次世代発電システムを今回の選手村の電源供給に当てることになっていますが、安全性に疑問が残ります――


――カーボンニュートラルなクリーンエネルギーということですが、この点について韓国や中国の選手団は、放射能汚染と並んで「魔素汚染」に関する懸念を表明していますね――


――政府の対応に非難が集まりそうです――


 というものもあった。


 そんな内容に俺は、「ふ~ん、そんな事になっているのか」という感想を持つ。それよりも、今は、


――ピピピピピッ……


 と鳴るスマホの着信の方が重要だった。着信は里奈から。チラと時計を見ると丁度15:00。


「何かな?」


 と思いつつ、何でもなければ今晩の約束でも取付けよう。そう思い、俺は自分でも分かるほど「いそいそ」とスマホを手に取っていた。



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