第5節 増殖フェイズ

*導入話① 暗闘霧中


2021年6月下旬 東京都千代田区民自党本部ビル


 梅雨の中休みといった晴れた日の午前。初夏の日の光が、白いレースのカーテンから差し込み、室内を照らす。室内の調度類は、本来ならば歴史ある日本国の政権与党第1党幹事長の執務室として申し分の無いものだ。ただ、歴代の主人が競争の末に勝ち取った立派な執務机にも、部屋のあるじの威厳を補うために置かれたような重厚な本棚にも、雑多な資料類が平積みされていては台無しだ。


 室内の印象は「雑多」の一言に尽きる。


 そんな室内に来客として案内された男は、部屋の隅に置かれた応接セットの下座に腰かけ、主の居ない執務机の方をしきりに気にしている。いや、正確には机を気にしているのではなく、その背後にある大きな窓を気にしているのだ。窓に掛けられたレースのカーテンは薄く、向こう側の景色を充分に透かして見ることが出来る。つまり、逆も可。その事実に来客の男は「はぁ」とため息を吐いた。


 彼の内心はこうだ。


(爆薬を積んだドローンが突っ込んできたら、一巻の終わりだな)


 男の目から見れば、日本国の主要人物に数えられる民自党幹事長の執務室のセキュリティーは「無いも同然」だった。古典的なレーザー盗聴器に対する対策すら、まともにされていないだろう。大体、国のVIPの執務室に大きな窓があること自体、早々に危機管理を放棄しているような気がする。


 この点について、男は自分が直接指摘をしたり改善を提案する立場にない事を知っている。ただ、事実として、これまで幾多の専門家が苦言や指摘を呈していことも知っている。それでも変わらないのだから、もう、梃子てこでも変わらないのだろうと諦めている節もある。


 ――セキュリティーを厳しくすると、国民との距離感が生まれる。寧ろ野に在って直に触れ合う距離感が大切だ――


 かつて一度、政権与党の座から滑り落ちた時、時の政調会長が言った言葉だ。政治家の心意気としては正しいのかもしれない。しかし、


(「みんなの政党、開かれた民自党」……って、そういう意味じゃないよなぁ)


 と思う男である。


 男の名は瀬川。国家安全保障局の局次長を務める男だ。瀬川はこの日、呼び出しを受けて約束の時刻に民自党本部ビルを訪れていた。仕事柄、首相官邸に呼ばれることはままあるが、党の本部ビルに呼ばれた経験は数えるほどしかない。そんな瀬川だから、呼び出しを受けた時は「一体何の用だろう?」と思ったものだ。


 ただ、そこは流石に世間一般の耳目に晒されない「裏の事情」に精通している彼の事、直ぐに用件の内容について察しを付けていた。特に現在の局長が元を正せば警察庁の出身であるため、そちら方面・・・・・の情報は黙っていても耳に入って来る、という環境も大きく寄与している。


 恐らく、呼び出しの内容は先月中頃に「双子新地高架下メイズ」で発生した事件 ――内々には「甲1号事案」と呼ばれている―― に関するものだろう。マスコミには全く騒がれる事無く、殆ど無視されるように流れて行ったあの事件・・・・の背後にある事実について、何等かの政治的な判断をする。または「した」事を、この場で伝えようというのだろう。そう考えると、早い話、今日の呼び出しはある種の「根回し」だと分かる。


 尤も、瀬川としては「それをわざわざ自分に?」という思いが強い。


 現在、国家安全保障局には3人の「局次長」が存在する。その内、瀬川の立場(席次ともいう)は最も低いものだ。これには理由がある。「国家安全保障会議」を補佐するという役割を持つ安全保障局の性質上、その任の多くは「外交」や「防衛」に関連したものになる。そのため、それらの専門家である「外務省」や「防衛省」出身の(それも各省のエース級の)人物が占める他2つの「局次長」ポストの方が上位に位置する、という組織の建付けが理由だ。


 瀬川自身は、そんな「外務」や「防衛」に関する専門知識は有していない。彼の出身は元々は法務省だ。しかも、入省後しばらくして内閣府へ配属され、その後はずっと官房副長官補室勤務だった。そこで長らく各省庁間の協力を調整する「省庁間連携調整官」を生業としていた。そして、「国家安全保障会議」とそれを補佐する「国家安全保障局」が新設された際、当時の平川官房副長官補によって引き抜かれた。そういう経歴を持つため、瀬川は(一応「危機管理」の専門という事になっているが)1点に絞った高度な専門性を持たない代わりに、各省庁の働きに対する広い見識と相応の人脈を持っている。


 この見識と人脈を生かして、例えば、先の「小金井・府中事件」 ――内々には「乙1号事案」と呼ばれる―― では、状況が始まってしまった後の対応として警察・防衛省・管理機構・地方自治体といった性質の異なる機関の間を取り持つような働きをした。それが瀬川「局次長」の役割になっている。


 ただ、事に臨んで・・・・・の状況対応が役割となっている分、「現場寄り」の性質が強く、また他の2人の局次長と違い、背後に「省庁の権益」を背負っていない、という事情から瀬川のポジションは「1つ下」の扱いになり、自ずと「政治色」が薄い立場になる。瀬川自身は「それで良い」と思っているのだが、だからこそ、


(なぜ私に根回ししようと思ったのだろう?)


 と疑問に思うのだ。ただ、


(……局長人事の件か岡崎の件か……)


 という察し・・は有る。何れにしても、


(聴けば分かるか)


 と思う瀬川。彼の思考がそんな結論に至った時、それを待ち構えていたように幹事長室のドアが開いた。そして、この部屋の主である民自党幹事長が、ドタバタと騒がしい様子で部屋に入って来る。


「いや、スマンスマン。呼び出しておいてコッチが遅刻した。ほら、一昨日の九州の洪水、アレの対応会議が長引いたんだ。まったくウェブミーティングってのは、ダラダラしていけない。コレ、そこの自販機で買ったお茶だけど、よかったら飲んでくれ」


 民自党の現幹事長は、党内第2派閥の実質的なトップだ。第1派閥である大越派と比較するとやや勢力は小さいが、歴史的にアジア各国との外交的な結びつきが強い。現に目の前の歳の割にはバイタリティーに溢れる禿げ頭の幹事長は、特に中国との間に太いパイプを持っている、とされている。


「はぁ、頂きます」


 押し付けられるように差し出されたペットボトルのお茶を受け取りつつ、瀬川は、


「まぁ、座りたまえ」


 と着席を促す声のままに再び椅子に腰を下ろす。そして、


「早速なんだがね――」


 と忙しなく切り出された話を10分ほど拝聴することになった。


*********************


(……なんだかなぁ……)


 帰り道の瀬川の感想はそんな物だった。


 端的に言えば、呼び出しの内容として瀬川が予想していた事柄は何方いずれも当たっていた。


 一つは局長人事。もう一つは「岡崎担当大臣」の問題。ただ、その二つがこうやって絡むとは予想していなかった。


 瀬川が聞かされた話はこうだ。


 ――岡崎君の件はウチの派閥内で相応に処分する。恐らく10月の衆院総選挙には公認候補として出られないだろう。そのように采配するから、君はこの件には余り首を突っ込まないで欲しい。内調も公安も納得してくれている。それに、次期局長を送り出す事を承諾・・・・・・・・した警察庁側も、そのような理解になっている。君も、トップが外務や防衛じゃない方が色々とやり易いだろう――


 要約すると、このような内容だった。


 現在、「岡崎担当大臣」には、「日本国の対地下空間構造政策・・・・・・・・に関する一部の情報を外国へ漏洩させた」という嫌疑や「外国の諜報機関活動に間接的に係わり、その活動をほう助した」という、疑いが掛けられている。


 具体的には中国共産党配下の諜報機関に関係すると目される女性と個人的プライベートな関係にあり、その女性を経由して、岡崎自身が管轄する「先々進科学技術・クリーンエネルギー開発推進局」の内部情報をリークさせた疑い。そして、同じく自身が管轄する[地下空間構造管理機構]の情報処理機器に対する工作を誘導した疑いが持たれている。


 これらの嫌疑に関する調査は「内調」や「公安」が主導して行っている。今のところ本人に知らされることは無く、秘密裡に内偵調査が進められている段階だという事は瀬川も聞き及んでいたことだ。


 そんな秘密の内偵調査が、外野である民自党の幹部に伝わっている。その事実を考えるに、


(岡崎の件は政治的に処理……まぁ、仕方ないな)


 という事だ。


 現在、岡崎が関与した情報漏洩や工作ほう助は、マスコミ等に察知されていない。このような状況で自ら事を大きくするのは、如何に勢力を誇る与党第1党民自党としても好ましくないものだ。


 だからこそ「闇から闇へ」秘密裡に事態を終息させようとしている。恐らく、岡崎が属している民自党第2派閥に対して、同じく第1派閥の大越派からの便宜・・として、内偵調査の情報が流れたのだろう。来る10月の総選挙後に行われる首班指名時に「揉めないように」という根回しだと思われる。


 とにかく、事は政治的に処理される。これは、瀬川をしても手の届かない場所レベルの話だから、そう納得するしかない。というよりも、瀬川が騒いだとして何も変えられない話だ。


 ただ、先の「甲1号事件」で多大な犠牲を払った警察側は大人しく黙っていられる話ではなかった。現に、今月の中頃までは厳しく追及する姿勢を見せていた。しかし、その追求は、丁度10日ほど前から徐々にトーンダウンし始めていた。その点は少し不思議に思っていた瀬川だが、今となっては納得が出来る。


――次期局長を送り出す事を承諾・・・・・・・・した警察庁側――


 幹事長はこのように言っていたが、事実は異なる。


 元々、次の安全保障局長のポストは外務省出身者で内定していた。それが、次のポストも警察庁出身者を当てる、と言う風にひっくり返った。つまり、警察庁側に安全保障局長のポストを宛がう事を交換条件として、これ以上岡崎を追求しない事を了解させた、ということだ。


 そして、その事を態々瀬川に伝えたという理由については、


(……少し買いかぶられた気がするな)


 と、瀬川は理解している。それと同時に、


(警察派、だと思われているのか)


 という印象を受けた。瀬川自身は自分を「ただの叩き上げ職員」と自己認識していたが、周囲から見ると、そうは映らないということらしい。その点に思い至った時、瀬川は短く、


「面倒くさい話だ」


 と呟いていた。そんな瀬川の呟きを咎めるように、ポケットのスマホが控えめな着信音を鳴らし始めた。


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