*82話 祭りの後


 周囲は慌ただしさに包まれている。そんな雰囲気を醸しているのは主にバタバタと行き交う制服警官達。彼等の表情には、いずれも何処となく疲労感が漂い、他は薄っすらと言いようの無い怒りや悲壮感が纏わり付いているように見える。


 何人かがMEOメイズ放射物の影響で感度が悪くなった無線やスマホに向けて怒鳴る様に声を発している。まぁ有線の電話回線は、スーツ姿の警察官らが「本社」や「本店」と呼ぶ警察庁との連絡に占有しているから、下っ端の警察官はそうやって連絡を取り合うしかないのだろう。


 場所は「双子新地高架下メイズ」の地上部分。[管理機構]が設けた認証ゲートや買取りカウンターから少し離れた場所に設置された休憩スペースだ。そこで俺は自販機で買った甘い缶コーヒーをすすりながら、少し離れた場所で繰り広げられる警察官達のドタバタを他人事のように眺めていた。


 缶コーヒー特有の重たい甘さが妙に身体に沁みる気がする。それで、チラと時計を見ると、時刻は日付が変わって既に午前1時に差し掛かっていた。「道理で」と思う。今のところ食欲は全く無いが、今日は昼以降何も食べていない。だから身体は糖分を欲しているんだろう。


 そんな事を考えながら、俺はてのひらの缶コーヒーをもてあそぶようにしつつ、ロングセラー商品ならでは・・・・の見慣れたプリントに視線を移した。そういえば、10層の床に同じ種類の缶コーヒーを含む缶飲料が沢山散らばっていたな……


*********************


 あの時、バスという足場を失い床に落下した俺は、情けない事に少しの間失神していたようだ。まぁ、意識が途切れる瞬間、視界を覆うように倒れ込んで来た自動販売機を見て「もうダメだ」と思ってしまった事が原因だろう(本当は里奈の操魔素にちょっと巻き込まれたのだけど……敢えて言う事じゃない)。


 とにかく、一度意識を失った俺は、里奈の必死な呼び声で目を覚ます事になった。目を開けて真っ先に飛び込んで来たのが、半泣きの里奈のドアップだったから物凄く驚いたけど、男なら人生の内で1度は「美女の必死な呼びかけで目を覚ます」というシチュエーションを体験してみたい。そういう意味では「良い目覚め」だったのかもしれない。


 ただ、目覚めたばかりの俺はと言うと、全身を襲う打撲痛に呻くことしかできなかった。まぁ普通3mの高さから無防備に落下したら、それこそ打ちどころが悪ければ死んでしまう。そうならなかったのは所謂いわゆる[魔坑外套]の恩恵だろう。


 ということで、俺はガシッと抱き着いてくる里奈の身体の感触を(激痛を堪えながら)しばらく堪能して、痛む体に苦労しながら起き上がった。ちなみに痛みの方は、その後直ぐに里奈が【回復魔法:下級】を掛けてくれたので、行動に支障がない程度には治まった。


 それで改めて周囲を見渡すと、大型バスが消えている事と、端の方にスクラップと化した自動販売機の筐体が転がっている事、周囲に自販機の部品や缶飲料が散乱している事以外、変化は無かった。ただ、敵はというと、


 ――消えたの――

 ――消えたのだ――

 ――消えたなぁ――


 里奈とハム太と岡本さんが3者3様に「消えた」と言う状況。「消えた」って、なんで? と思ったが、それには、


 ――多分[転移石]か[道標板]か[帰還の杖]を使ったニャン。それで4人全員が一瞬で消えたニャン――


 と、ハム美が補足説明をしてくれた。意味は良く分からないが、とにかく何等かの手段で全員揃って姿を消した、というかメイズから脱出したのだろう。そんな風に状況を理解することが出来た。


 ――あそこの女の人が持っている【解読】が目当てだったニャン。後は、そっちの男が持っていた[魔坑核メイズコア]も回収していったニャン――


 一方、ハム美はそんな風に説明を続けた。「あそこの女の人」と「そっちの男の人」というのは金元恵かねもとめぐみ朴木太一ほうのきたいちの事だ。それでようやく、「あ! そう言えば、その2人は無事なのか?」となったが、それについては、


 ――無事ニャン。[疑死]の魔術で死んだように見せ掛けたら、敵はそれで納得したみたいニャン――


 との事。ハム美が説明するところによると、全部で4人いた敵の内、奥にいた2人が金元と朴木に取り掛かっており、俺や里奈や岡本さんが【収納空間】持ちと戦っている最中に、その2人は朴木から[魔坑核]を奪取してトドメを刺そうとしたらしい。それに対してハム美が寸前の所で[疑死]という魔術を発動し、金元と朴木が「死んだ」ように見せたとのこと。それで、2人の敵はトドメを刺すまでもないと判断し、【収納空間】持ちの戦闘を中断させて撤退した、というのが状況の全貌のようだった。


 何と言うか、「ハム美グッジョブ!」な内容だった。


 ちなみに、ハム太はと言うと


 ――わ、吾輩も敵の1人を抑え切ったのだ!――


 と妹分ハム美に対抗意識を燃やしていた。【収納空間】持ちの敵とは逆の、左側のバスの付近で、ハム太はもう1人の敵をかく乱しまくった・・・・・らしい。ただ、何をどうやってかく乱したのか、ハム太は多くを語らない。でも、後から分かった事として、ハム太の【収納空間(省)】に保管してあった、熱々状態の肉じゃがを煮込んだ鍋や、スライムハッピーセット用のお砂糖、護身用のカプサイシンスプレーが無くなっていたから、それらを活用したのだろうと分かった。


 頭から熱々の肉じゃがをひっ被り、その上から砂糖をまぶされて、仕上げにカプサイシンスプレーを吹き付けられたと考えると、左から回って来た敵に少し同情を感じざるを得ない……


 と、それはさておき、ハム美が言うには


 ――お兄様の方に向かった敵も中々厄介だったニャン。【複写】という他人のスキルを写し取るスキルを持っていたニャン――


 とのこと(ハム太は「そ、そうなのだ! 強敵だったのだ」と言っていたけど、「今気が付いた」って感じだった)。


 ――【複写】のスキルで女の人が持っている【解読】が複写されたニャン――


 ハム美はそんな説明をした。ちなみに、【複写】云々うんぬんについては、9層で[赤竜・群狼]クランの面々を助けた時に、敵側の会話を盗み聞いたという流れの中でハム美から聞いているので、何となく予想通りな内容だった。


*********************


 そんな感じの状況整理を終えた後、俺達3人と2人(匹)は、10層の生存者確認に取り掛かった。生存者は朴木と金元の2人以外に、SAT隊の隊員が5人だった。全員が瀕死の重傷だったが、この時点で既にハム美が[疑死]の魔術を振り撒いている。


 ちなみに、この[疑死]という魔術。語感的にデバフっぽいが、れっきとした生命魔術に分類されるものらしい。ハム美曰く、対象の新陳代謝を極限まで抑え込んで、身体の損傷が「命の灯」を弱める作用を遅らせる効果があるのだという。その効果の程は、ズバッと首筋なんかを斬られて致命傷を受けても、直ぐにこの魔術を施せば、少しの間は命を保つことが出来るというもの。なので、負傷した現場から一旦運び出して、別の場所で治療することで一命を取り留める事が出来る、というものだという。「ギリギリ致命傷で済んだぜ」を実現できる魔術といえる。


 そんな[疑死]の魔術を施された状態の負傷者7人 ――どれも結構悲惨な重傷だった―― を一旦10層の入口付近まで運んでいる最中、9層に退避していたSAT隊員が様子を見に戻って来た。


 彼等は床に並べられた同僚の様子に言葉を失ったが、流石に無駄に取り乱すことは無かった(それでも黒焦げやバラバラになった仲間の遺体を見た時は吠えるような大声を出していたけど、それもほんの少しの事だった)。


 その後は、特に重篤な傷(主に火傷だった)を負った隊員に対して[回復薬]の[大]や[中]を使いつつ、他は里奈(とハム太)が【回復魔法】を掛けるという状況。ちなみに、この時使った一連の[回復薬]を以て、「チーム岡本」のポーションストックはスッカラカンになってしまったが……多分、後から補填されるだろう……きっと……そうなると良いなぁ。


 とにかく、負傷者に応急措置をした上で、俺達とSAT隊の残りの面々は彼等を担いで地上に戻ることになった。ただ、一度に全員を運ぶことは無理なので、比較的傷が浅い(といっても、見かけ上は死んでいるように見える)3人を10層に残し、先ず朴木や金元を含む4人を地上に運んだ。


 この間、10層には里奈(とハム美とハム太)が残った。残る理由は【回復魔法】が使えるから、というもの。「残るわ」と決意した里奈の顔がちょっと引き攣っていたけど、まぁ仕方ない。


 それで結局、俺と岡本さん(岡本さんも結構な重傷だったけど、先にハム美の[止血ヘイモスタッド]とハム太の【回復魔法(省)】で回復している)を含む面々は1層から10層までを往復して全員を地上に送り届けた。


 その時点で既に時刻は深夜23:30だったのだが……


*********************


「まだ足止めなのかよ」


 とは、休憩スペースに戻って来た岡本さん。対して俺は、


「そうみたいですね」


 と答えつつ、岡本さんの方へ顔を向ける。


 席に戻る岡村さんの傍らには制服警官の姿があった。「家に電話を掛ける」ために敷地の外へ出ていた岡本さんに付き添っていたようだ。どうも、逃げないように監視していたらしい。それだけで「どういうつもりだよ」と思うが、別にこの警官が個人的に発想して行った事ではない。寧ろこの若い警官は立ち去り際に「ピシッ」と音が出るような敬礼をしていった。


「……徹夜ですかね」

「嫌だな、この歳でオールは……」


 若い警官の後ろ姿を見送りながら、俺と岡本さんはそんな言葉を交わす。


 勿論、俺も岡本さんも好きでこの場に残っている訳ではない。警察側の「事情を聴くから」という理由で留め置かれているだけだ。ただ、待てど暮らせど、一向に「事情を聴く」という事が実行されない。そのため、待ちぼうけのように休憩スペースに留まって、はや2時間だ。


 しかし、警察側は俺達の存在を忘れたわけでもなさそう。でなければ、外に電話を掛けに行く岡本さんに監視の警察官を同行させたりはしないだろう。


「何なんでしょうね? この状況」

「さぁ……知るかよ」

「ですよね」


 そんな気怠けだるい会話になるのも仕方ない。


 と、この時、奥の方にある買取りカウンターを含む管理棟のプレハブから里奈と、その上司の佐原部長さんが出て来た。2人とも随分と疲れた表情をしているが、その内、里奈が此方を見つけて少しだけ表情を緩めた。


「お2人とも、ご苦労さまです。今日の所は帰宅して頂いて構いません」


 とは近づいて来た佐原部長の言葉。


「後日警察から呼び出しがあると思いますが、お2人の事情聴取には[管理機構]も立ち合いますのでご安心ください」


 佐原部長はそう言うと、続けて里奈の方に、


「大島君や水原君の班も含めて、明日……じゃないな、もう日付が変わっているから今日か……とにかく休みなさい。今日の報告書は明後日の午前中に出してくれればいい」


 と言いつつ、自動車の鍵を手渡した。


「良いんですか?」


 と言うのは里奈。「休んでいい」と言われて困惑している感じだ。そんな里奈に佐原部長は、


「気にするな。寧ろ、こっちは事情も知らないままに巻き込まれたんだ、これで翌日に関係者がケロっと出勤していたら、これからする抗議に真実味が出ないだろ」


 と言う。佐原部長は何やら企んでいる様子だが、俺には良く分からない話だ。ただ、里奈の方は何か察したのか、


「分かりました」


 と受け入れていた。それで、


「小金井の時みたいに機構の車を壊すなよ」


 という冗談を投げ掛けられて、この場は解散となる。


 その後、里奈の少し危なっかしい運転で岡本さんを花小金井の自宅へ送り届け、俺が田有の自宅マンションに到着したのが午前3:00前の事。


 結局、[管理機構]のワンボックス車は、このマンションの駐車場で昼頃まで過ごすことになるのだが……まぁ、そんな事があっても良いだろう。


 ちなみに妹の千尋はと言うと、


◇◇◇◇◇◇

千尋


敦の奥さんが産気づいたって。これからつくば市に行ってきます。

遅くなるかもしれないけど、心配しないで


◇◇◇◇◇◇


 というメッセージを俺のスマホに送って来ていた。それが17:00頃の事。そして、20:00過ぎには、


◇◇◇◇◇◇

千尋


今晩はつくば市に泊まります。

敦と連絡が付いたら、つくば市の恵慈会病院に早く来いって伝えてください。


◇◇◇◇◇◇


 というメッセージが入っていた。


 なんというか……色々思うところは有るが、それらをひっくるめて、今日は大変な1日だったんだろうな……


 ちなみに手島の奥さんは、翌朝元気な男の子を産んだということだ。


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