*70話 追跡者と追跡者①


10層


 「双子新地高架下メイズ」の10層は、広大な1つの空間で構成されている。番人センチネルモンスターが斃された後は、本当に何もない空間だ。ただ、ほんの数時間前までは、この場所を潜伏場所に定めた男女のささやかな・・・・・生活空間が、その片隅に形成されていた。


 だが、そんな生活空間も、今はもう形跡が分からないほど滅茶苦茶になっている。


 朴木と金元の潜伏生活スペースだけが荒らされたのではない。この10層全体が、まるで巨人の子供がおもちゃ箱をひっくり返したような状況になっているのだ。この状況を、もしも高い視点から俯瞰して見ることが出来れば、現在の10層に散乱しているのは、この場所と何の関連性も無い雑多な物品の集合体だと分かるだろう。


 廃車になった数両の大型バス、大小各サイズの自動車、20ftフィートや40ftのドライコンテナ多数。ショベルカー、ダンブカー、建築資材の足場、H鋼材、材木、砂利や土の山、果ては商店の置き看板や自動販売機等が雑多に散乱している。それが現在の10層の状況だ。


 これら全ては、【収納空間】というスキルを持つ朴木が、追跡者に抵抗した痕跡だと言える。恐らく朴木は、自身の【収納空間】に納めていた大量の物品を障害物として10層に展開し、時間を稼ぐ事を意図したのだろう。その間に自分と金元は11層へ逃れる。それが、彼の苦し紛れの選択だった。


 ただ、そんな朴木の抵抗は結局、さして時間を稼ぐことは出来なかったようだ。というのも、10層に降りる階段とその先11層へと続く階段とを繋ぐ1直線上だけは、散乱する障害物が綺麗に取り除かれているからだ。


 恐らく、侵入者側にも【収納空間】スキルを持つ者がいる。朴木が出現させた障害物は、その1直線上のみ、追跡者側の【収納空間】スキル持ちに収納されてしまったのだろう。


 その結果、「時間稼ぎ」という苦し紛れの方策すら通用しなくなった朴木と金元は、11層半ばの地点で追跡者に追い詰められることになった。


 その場で朴木と金元は懸命に抵抗した。しかし、11層のモンスターに前方をはばまれた状況で後方から迫りくる追跡者に全力で対応することは難しい。しかも、追跡者は朴木や金元を凌ぐ力量を備えていた。


 まず、金元が得意とする【火属性魔法:中級】や【土属性魔法:中級】が戦闘開始早々に【封印】された。これで金元は抵抗する術を完全に奪われることになった。一方、朴木の方は、スキルを発動するために必要な【魔素力】を奪い取られて・・・・・・、[魔素力回復薬]を【収納空間】から取り出す事すら出来ない状況に陥った。


 その状態で、強烈な近接戦闘に晒された2人は、間もなく追跡者の前に膝を折る事になった。


***「第六局第二工作班長」鄭視点****


りょう、【複写】はどれだけ掛かりそうだ?」

「10分、いや5分くらいで済ませます、てい隊長」

「そうか……急げ」


 オレはそうやって部下のりょうを急かすと、もう一度足元に横たわる2人の様子を見る。2人とも目を閉じているのは意識が無いから。だが、微かに上下している胸部を見るに、まだ・・死んではいない。生命力を示す[生命点]は男の方が13/182、女の方が25/140。半死半生の状態で昏倒している、といったところだ。


 女の名前は確か、金元恵といったか? なかなか魅力的な若い女だと思う。このまま死んでしまうと考えると勿体無い気がするが……まぁ仕方ない。女の生死はどうでも良い……いや、「用が済んだら始末しろ」と言うのが今回の任務だ。「用」というのは金元恵この女が持っている【解読】というスキルを遼が【複写】すること。それが済んでしまえば、後は「始末する」だけだ。


 視界の中では遼が横たわる女の傍に屈みこんで、その額に手を当てて目を瞑っている。それが【複写】スキルを発動するときのお約束だった。後はこのまま10分待てば、女が持っている【解読】は遼に複写される。複写する際に対象の意識を奪う必要が有る点と、10分近く時間が掛かる点が不便といえば不便だが、それでも遼の持つ【複写】は我が国の魔坑政策に無くてはならないものだ。


 ただ、既に幾つものスキルを複写して習得している遼には、追加で【解読】を習得するだけの[魔坑経験点]の余裕はない。なので、


そう、[転写板]を出しておけ」


 オレは部下で【収納空間】持ちの曹に[転写板]という物品を準備するように命じる。


「はい――」


 曹は寡黙な男らしく、短く返事をすると、何もない空間から板状の物体を取り出した。それが[転写板]というものだ。


 [転写板]は黒曜石に似た光沢を持つ掌大の薄い石板。それが銀色の鎖で何枚かひと纏めにされている物だ。発見されたのは北京郊外の[中規模魔坑]の17層で2019年の事だ。発見当初は21枚綴りだったと言う。しかし、今では方々で重要スキルを【複写】・[転写]しているので数は12枚にまで減っている。[転写]する度にこの石板は砕けるから、残り12回が使用可能な数となる。


 ちなみに【複写】と[転写板]を組み合わせても、同じスキルを何度も複製し続けることは出来ない。複写元のスキルは【複写】完了と同時に【○○(複写)】に変化する。これは複写されたスキル・・・・・・・・も同様・・・だ。そして1度【○○(複写)】となったスキルは、2度と【複写】することが出来ない。しかも、複写元のスキルが【○○:等級△】だった場合、複写後は等級が成長することも無いようだ。


 まぁ、複写後の等級成長が阻害されるのは何故か分からないが、とにかく【複写】は同じスキルで1度まで可能。そして遼の持つ【複写】スキルは、正確には【複写(複写)】という事になる。


 一方[転写板]の方は、使用者が持っているスキルの内「未習得」状態の物を書き移す事が出来る。書き移した場合、使用者はそのスキルを失う事になるので、やはりこの[転写板]を用いてい同じスキルを複数産み出すことは出来ない。


 現状、遼が持つ【複写】と[転写板]の存在によって、オレの「第二工作班」は「第六局」が編成される以前から、ずっと特殊な任務に就いている。それは、中国国内外を問わず、党の「魔坑開拓委員会」の指示に基づき「特定管理スキル」を回収する、というもの。


 回収の手段は当然ながら幾つもある。ただ、殆どの場合は金品や地位を見返りにして此方側・・・に取り込むという穏健な方法が取られる。それで取り込んだ後は穏便にスキルを【複写】し、それが終われば後は「魔坑開拓委員会」の指示に従うだけだ。「抹消しろ」だと暗殺になるし、「確保しろ」だと身柄を拘束して本国へ送ることになる。「監視しろ」ということで別の部署の監視員に委ねられる場合もある。


 勿論、中には頑強に協力を拒む者もいて、そいいう輩には今回のような強行手段が用いられることになる。


 ただ、今回の件に限って言えば、上手くやれば穏健な方法で済んだはずだと個人的には思っている。調べた限り、朴木や金元には金銭の供与を跳ね退けるほどの「主義主張」があるわけではなさそうだった。だから多額の金銭を見返りにしてスキルを「買う」事が出来たはずだと思う。


 しかし、現実にはそうならなかった。これは事前に工作していた「第四局」の失態と言うべきだろう。ただ、その「第四局」を仕切る李という若造の父親は統合情報参謀本部付きの中将だという。李中将は「魔坑開拓委員会」にも発言力を持っている。なので、多分その失態は闇へと葬られるだろう。


 尤も、そんな失態が無かったとしても、今回の場合、金元と言う女は助からなかっただろう。【解読】というスキルは「魔坑開拓委員会」が定めるスキル管理区分の「特級:癸」に分類される物だ。この分類のスキルを持つ者の場合、殆どが【複写】後に抹殺命令が出る。それだけ「魔坑開拓委員会」が危険視しているスキルという事になる。


 ただ、「魔坑開拓委員会」がどのような手段でスキルを分類して、危険度を設定しているのかは「超極秘事項」となっている。本来なら、オレのような末端の実行部隊の隊長レベルが知るはずのない情報だ。ただ、オレには何となく予想が付いている。それは、オレが持っている【千里眼】というスキルの恩恵でもある。


 このスキルによって、オレは自分が持っている【千里眼】というスキルの危険度を既に察知している。そのため、このスキルを習得する前に【偽装】のスキルを取って居なかったら、多分【複写】されてから殺された奴等と同様に、俺も抹殺されていただろう、ということも分かる。【偽装】→【千里眼】の順でスキルを習得出来たオレは、間違いなく幸運だった。


 そんな事が分かるため、この男女の行く末も少しだけ哀れに感じてしまうものだ。


「気の毒な女だ」


 まだ少しだけ幼さが残る風貌に、オレは思わずそんな事を呟いていた。


*********************


「鄭隊長、【複写】完了しました」

「分かった……[転写板]へ写すように。かく、そっちの男の方を起こせ、もう一つの用事を済ませる」


 遼が【複写】の完了を告げたので、オレは班のもう一人のメンバーである、郭にそう命じる。それで、郭は頷くと【回復魔法:上級】を朴木へ向けて発動した。ただし、完全に回復させる訳ではなく、意識が戻る程度だ。


 それで、朴木という男は短く身動みじろぎをすると、ぼんやりと目を開ける。そんな朴木を相手に、オレはもう一つの任務である[魔坑核]の確保に取り掛かる。金元という女の存在は、そのためのダシにも使えるだろう。まだ殺す必要はない。



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