*幕間話 追手


 東京、港区赤坂1丁目の超高層商業ビル、その31階から33階に掛けての全フロアには「天津空電有限公司」の日本法人TJKジャパンの本社機構が入居している。表向きはIT関連、特に5G関連の通信機器やその部品類をメインに取り扱う企業で、業績はそれなりに良い。近年急成長を遂げる中国系企業としては、余り目立たない部類だが規模は大きい。この日本支社にも、常時200人の本国人が駐在している。


 その内、極一部の社員には、他の社員が知らないような秘密の本業・・・・がある。彼等の本業とは俗に言う「諜報活動」。そんな彼等に命令を下すのは、本国の情報機関「統合情報参謀本部」。共産党の軍事機関である「解放軍」の指揮下にあり、第一から第五までの部局を有している対外諜報機関だ。最近になって「魔坑メイズ」に関する任務を専任で行う「第六部局」が作られた、という噂がある。噂の真偽は不明だが、とにかくその統合情報参謀本部の中枢で指揮を執る人物は「李経民リケイミン」参謀兼解放軍中将だと言われている。


 そして、その李経民の子息に当たるのが、今、この高層商業ビルから皇居の堀を見下ろしている人物、李経世リケイセイになる。30代半ばの実業家風の青年だ。TJKジャパン社内では「李常務」で通っている・・・・・この青年は、本来の任務から離れた処では屈託のない人好き・・・のする雰囲気をよそおっているが、今は苦虫を噛み潰したような渋面で窓の外を見ている。


 この青年が、こんな渋面を作るのには幾つか訳がある。例えば、父からの強烈なプレッシャーを受け、渋々ながら「出世街道」に足を踏み入れざるを得なかった事などは、その大きな理由になっているだろう。しかも、その意に沿わず踏み出した第一歩で、早速つまずいたのだから、苦々しさはひとしお・・・・の物がある。


――出世すれば、それだけ面倒が増える。面倒事はゴメン被りたい。遊んで楽しく暮らしたい――


 「小皇帝」という言葉があるが、太子党の父を持つ身として、例に漏れず甘やかされて育った李の考えはこんなものだ。だからこそ、父親の身分が高い割に、李は長年に渡って「統合情報参謀本部第四部局」の下級対外工作員として各国で気楽に過ごしていた。


 そんな李だが、「統合情報参謀本部第四部局(通称:統情四局)」の仕事は水に合った。今でこそメイズ関連の工作も手掛けている「統情四局」だが、元々は低強度の諜報活動を主な任務にしている。政界・財界・法曹界に人脈を広げ、コレと思う人物に対して、時に金を、時に女(場合によっては男)を使い弱みを握る。握った弱みを「何時いつ、何に使うか」は、その時の状況次第。ただ、弱みを握られた人物が、それこそ思い通りに動くのが李には楽しかった。それを傍目で観察しながら、身勝手に酒を呑み、女を抱くのが李の人生の悦びだった。


 ただ、それも父親の加齢に従い、徐々に自由が利かなくなってくる。特に李の父親である李経民は、息子と違い上昇志向の強い人物だ。そんな父親が自ら築いた地位を息子に引き継がせようと画策し始めるのは仕方のない事の運びだといえる。


 そして、今年の1月中頃に久しぶりの帰国をした李は、父から、


――本国に戻って党の幹部を目指せ――


 と、引導を渡されることになった。父親としては、まだ自分の影響力が強い内に、息子をそれなりに地位へ引き上げようとしたのだろう。ただ、李の方はそんな父の意向に対して、


――在外情報工作員の次席主任風情が党に戻って出世できるものか――


 と反論した。実際は、何とかなってしまう・・・・・・のがかの国・・・つねだが、確かに李が言う通り「出世街道」のスタート地点として、今の地位が少し見劣りするのは確か。それが後々息子の負い目になるのでは? という懸念は父親にもあった。だからこそ、結果的に、


――まず、統情四局の日本担当主任となり、新設部局の第六局の主任を兼任し、その上で一つ二つ手柄を立ててから本国に戻る――


 という妥協点を見出す事になった。


 党に戻すならそれなりにはくをつけてやりたい父親と、気ままな在外工作員暮らしを少しでも引き延ばしたい息子の、身勝手な理由を並べるだけの談合と妥協が成り立った格好だ。


 ただ、「一つ二つ手柄を」という事で手始めに取り掛かった【解読】スキル保持者金元恵かねもとめぐみに関する任務は、その談合と妥協に要した時間が仇となって思わぬ失敗を喫することになった。


 というのも、元々は「日本政府に協力させるな」という命令だったのだが、李が日本に戻るのを待ってから命令が伝達されたため、取り掛かった時には遅きに失していた。金元は日本政府に協力して【解読】スキルを提供した後だったのだ。


 任務は統合情報参謀本部よりも上位の党本部「魔坑開拓委員会」からの命令だったので、この失敗は痛手だった。そのため、当時まだ主任工作員だった王永民おうえいみん(日本名谷屋勝たにやまさる)が李に命じた失敗の報告書は、李とその父親によって握りつぶされた。


 その上で、李は金元恵の身柄確保と懲罰執行を画策した。また、本国の父親も命令の内容を「協力させるな」から「身柄を確保し本国に送れ」という内容に強引に変更させた。ただ、この画策が次の思わぬ事態を引き起すことになった。


 一旦は金元恵の拉致に成功した李経世だが、その身柄を本国へ送るまでの準備期間中に、監禁場所を朴木太一ほうのきたいちによって襲撃されることになった。結果として、金元は朴木の手引きで監禁場所を脱走。李は配下の工作員数名と協力組織である中国系マフィアの人員数名を失うことになった。


 以後、金元と朴木の行方はつかめていない。


 しかも、この件を自由に取り仕切るため、李は先任主任だった王永民に「2重スパイ」の嫌疑をかけて、その地位から追い落としていたのだが、これが全くの悪手だった。なんと、その王永民が朴木を支援していることが分かったのだ。


 この思わぬ繋がりに李は困惑した。何故、王永民と朴木・金元が結び付くのか分からなかったのだ。ただ、事実として、朴木は王が営む「谷屋洋行」の倉庫に逃げ込んだし、それを包囲した際は、王が自らトラックを運転して包囲網を突破している。


 事情は分からないが、事実として王が朴木と金元に協力しているのは確かな状況となった。こうなると、「統情四局」を知り尽くした王を相手に、主任工作員となったばかりの李は用心深く事を進めるしかなくなる。


 現在分かっていることは、5月12日に「谷屋洋行」の倉庫を包囲した際、その場に居た人物は朴木、王、そして元々「2重スパイ」の疑いがあった牧田沙月の3人だということ。その場に金元の姿は無かった。だから、金元は何処か別の場所に匿われていると考えられる。


 また、「2重スパイ」の疑いがあった牧田が現場に居たことから、一時は日本の外事警察が介入しているのかと思われたが、その線は無さそうだということが分かっている。というのも、日本国政府の側でも金元の行方を探っている動きがあるからだ。


 ちなみにその3人が乗ったトラックは、包囲を突破した足で東北方面へ向かった。下道から常磐道に乗り、一度降りて下道を進み、今度は東北自動車道に乗った。その後は途中のジャンクションで磐越自動車道の方に入った事が分かっている。しかし、足取りが追えるのはそこまで。途中のサービスエリアでの目撃を最後に3人の足取りはトラックごとプツリと途切れている。恐らく、朴木が持つ【収納空間】スキルを活用して証拠を消しつつサービスエリアから下道へ徒歩で移動したものと考えられている。


 綺麗にまかれた・・・・としか言い様がない状況だ。そして、現在5月半ば、3人の行方も金元恵の居所もようとして・・・・・知れない。


*********************


「小日本……」


 高層階から見下ろす景色に気分が晴れない李は短く悪態を吐く。その時「常務室」の扉がノックされた。


「什么(なんだ)?」

「……お客様です……」


 苛立った剣幕で怒鳴る李に対して、扉の向こうから恐れたような声が来客を告げる。


「通せ」


 李の声の後、一拍間をおいて扉が開く。入って来たのは張1級工作員。勿論この場では協力会社の営業マンという事になっている。ただ、こうやって直接面会に来ることはとても珍しいと言える。余ほど重要な話なのだろう。


「張工作員、一体なんだ? わざわざこんなところに――」

「李主任、見つかりました」

「……何が?」

「金元、そして朴木が潜伏していると思われる場所です」


 張1級工作員の言葉に、流石の李も顔色が変わった。


「どこだ?」

「川崎市の高津に最近できたメイズのようです」

「メイズ? 詳しく話せ!」

「はい……」


 張は1級工作員としては大ベテランのキャリアの持ち主だ。それが30半ばの男の横柄な態度を受け入れて従順としている。営業マンと取引先の役員という構図で見ても、少しばかり李の態度は横柄が過ぎるが、張は受け入れ切ってしまっているようだ。


 そんな張が説明するに、その川崎市高津に出来たメイズは[受託業者]への解放こそ4月だったが、発見されたのは2月だという。そして、このメイズの情報を朴木太一に教えた、という人物が最近になって見つかったのだ。


 その人物は、今は地元の工務店で職に就いているが、朴木の昔の不良仲間だった。発見されたメイズを一旦封鎖する仕事を工務店が請け負った関係で、そのメイズの存在を知ったとのこと。それで、2,3日監禁しつつ痛め付けたら「太一から、しばらく隠れられそうな場所は無いかと訊かれて、メイズの場所を教えた」と、そんな話を白状したという。3月半ばの事だという。


 その情報を受けた張は、配下の3級工作員を中心とした面々に、そのメイズの周囲を見張らせていた。そして、16日の昼頃、遂にその監視網に朴木太一を捉えたのだ。ただ、前回の監禁場所襲撃の際の朴木の戦闘力を知っている張は、部下達に「朴木を見つけても追跡するだけに留める」と指示していた。その結果、


「朴木は高津のメイズに入り、以後外には出て来ていません」

「そうか、じゃぁ、お前の配下の[赤竜群狼]を向かわせろ」

「はい、既に手配しています、しかし――」


 張はそう返事をしつつ言い淀む。その理由は李も分かっている。[受託業者]としての対抗組織[東京DD]というクランが[赤竜群狼]のメンバーを引き抜き、勢力の弱体化を図っているのだ。その影響を受け、現在の[赤竜群狼]は特に最近加入したメンバーを中心に下級PTの足抜け・・・が目立っている。中級以上の上位PTにも影響は出ている。動かせる駒が少なくなっている状況だった。


「分かっている、所詮日本の[受託業者]など野良犬の集団だ。頼りに出来ない。統情六局・・・・の連中を回してやる。同行させろ」

「六局……ですか」


 「統情六局」と聞いた張の表情が強張る。対して李は、


「もともとは金元も朴木も[赤竜群狼]のメンバー、つまりお前の指図下だったんだ。もう失敗はできないだろう、張1級工作員」


 と、底意地の悪い表情と共に、責任を押し付けるような言葉を言い放った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る