*幕間話 朴木と金元と牧田と谷屋


 私と牧田沙月まきたさつき、それにもう一人の若い男を加えた3人は倉庫奥の事務所スペースで昼食なのか夕食なのか判然としない食事を終える。食事、といってもスチレン容器に詰められた牛丼をただ口に掻き込むだけのわびしいものだが、とにかく、そんな食事を終えた後、若い男の方が口を開いた。


「王主任――」

「悪いが、その名前はもう捨てた」


 開口一番に飛び出たのは私の工作員としての名前。それを私が遮ったため、男は一旦口をつぐんで言葉を呑み込むようになる。しかし、直ぐに気を取り直すと、


「谷屋社長、俺なんかのためにここまでしてくれて、ありがとうございます」


 男はそう言い、ぎこちない仕草で深々と頭を下げた。その様子から、この若い男がおいそれ・・・・と他人に頭を下げるような生活を送ってこなかったことが分かる。社会的地位が高いからそうなるのではなく、逆に最底辺に近いから、強がるために頭を下げられない。そんな感じで生きて来たのだろう。


朴木ほうのき君、別に君のためにしている訳じゃない」


 対して私はそんな風に答える。それで牧田沙月がふと私の方を見るが……悪いがお前牧田のためでもない。強いて言うなら、長年の忠誠を無碍むげに踏みにじった統情四局、ひいては党に対する意趣返しだ。


 統情四局は、李が指揮する体制になって直ぐ、私に「2重スパイ」の容疑を掛けた。思えば牧田沙月を私の元に送り付けたのも、こうするための布石だったのだろう。だからこそ、どれだけ無実を主張しても詮の無い事だと言える。疑われた時点で容疑は確定なのだ。


 そう言う事情があったからこそ、私は牧田の求めに応じる気になった。そうやって動く事が、統情四局に最も大きな痛手を与えると判断したからだ。妻も子も持たずこの世に何の未練も無い男、組織に対する忠誠しか無かった男に、あろうことか「2重スパイ」の容疑を掛けた。その過ちを存分に分からせてやらなければならない。


 目の前では、感謝の言葉を拒絶された朴木という若い男がモゴモゴとした感じで視線を牧田の方へ送っている。対して牧田はそんな視線に小さく首を振って答える。まるで、


――感謝することは大切な事よ――


 と、姉が弟を諭すような雰囲気だ。


 まぁ、そんな私の印象はあながち・・・・ハズレではないだろう。この朴木と牧田沙月、それに牧田が「助けて下さい」と言った妹のめぐみの3人の人間関係は、単純と言えば単純だし、複雑と言えば奇妙なほど複雑なものだ。ただ、いずれにしても私が指揮していた時代の統情四局が関与している。


 まず、朴木という若い男。朴木太一ほうのきたいちというのがフルネームだが、元は横浜を中心に勢力を持っていた不良グループの主要メンバーだった。そのまま順当(?)に進めば、同じ地域に勢力を持つ中華系マフィア(統情四局が支援している)の構成員になっていただろう。そして、牧田が妹と呼ぶめぐみ、本名を金元恵かねもとめぐみという女は、そんな朴木太一の幼馴染であったが、今は恋人関係になっているようだ。


 その2人を含む、主に在日3世を中心とした若者のグループは、昨年の9月に[認定試験]を受け[受託業者]となった。そして、程なく[赤竜・群狼クラン]という集団を形成することになる。勿論、この動きには最初から統情四局が関与していた。当時は、


――日本に於いて魔坑探索者の勢力を形成せよ――


 という指示が本国から出ていたためだ。そのため私は配下の張1級工作員にこの辺りの采配を任せていた。


 ちなみに朴木太一も金元恵も、[赤竜・群狼クラン]結成当初は只の1メンバーであったが、直ぐに頭角を現し、名実共に[赤竜・群狼クラン]の代名詞的な[受託業者]になった。元々の素養もあるだろうが、2人の内朴木太一は、[受託業者]になる以前に何等かの手段で特殊なスキル【収納空間】を習得していた。それが大きく影響した結果だという。そんな報告を張1級工作員から受けていた。


 一方、牧田沙月と金元恵の関係は、母親が同じで父親が違う異父姉妹というものだ。牧田の方が金元よりも4つ年上になる。そのうち牧田の父親は(牧田の周辺を調べる過程で分かったことだが)どうやら日本国の外事警察(所謂いわゆる公安)に仕える密偵だったらしい。恐らく当時台頭著しかった中華系マフィアと中国共産党の繋がりを調査する過程でこの2人の母親と面識が出来、親密な仲になったのだろう。


 ちなみに、その牧田の父だが、離婚後は娘(沙月)を引き取ったものの、沙月が7歳の夏に事故死している。ただの交通事故として処理されたということだが、どうやら暗殺だったらしい。というのも、その当時は未だ現役で統情四局の在日工作員を率いていた私の父がある時「暗殺のお膳立てをさせられた」と不本意そうに漏らしていた事を覚えているからだ。時期的にも合致する話だ。もっとも暗殺を実行したのは別の部局(多分統合情報二局だと思う)になるが、とにかく、牧田沙月の実父の死と私は無関係とは言い切れなかった。


 一方、実父を亡くした沙月は、その後親戚をたらい回しにされ、15歳で女子少年院に入ることになった。仲間と組んでの売春、恐喝、強盗が罪状だったらしい。それで出院後はありふれたドロップアウト人生を送るが、何処かのタイミングで「実父の友人」と名乗る人物が接触し、「2重スパイ」として李の配下に収まっていたということだ。


 対して金元恵の方は、母親が再婚した後に生まれている。こちらの方の父親は驚いた事に統情四局の在日3級工作員だった。しかも、この3級工作員は現在、任務と全く関係のない喧嘩沙汰で人を殺してしまい、殺人罪で懲役13年の刑に服役中となっている。まぁ末端の工作員なので組織に与えるダメージは皆無に等しいが、それでも重大な規律違反なので、恐らく出所後に粛清されるだろう。


 金元恵はこの父親の件で張1級工作員が率いる面々に脅されるかそそのかされるかして、それに朴木が首を突っ込む格好で2人そろって[受託業者]になったのだろう。


 牧田沙月と金元恵がお互いを姉妹だと認識し合ったのは、2人に共通する母親の葬儀の場での事だという。2年前の事だ。それ以後、2人は人知れず姉妹の交流を続けていたことになる。もしかしたら、牧田沙月が李の子飼いの女・・・・・に収まったのも、金元恵の父親が3級工作員だったから、かもしれない。


 と、このように複雑に絡み合った人間関係になるが、そのうち金元恵の姿はこの場所には無い。そして、恋人の朴木太一は私の倉庫に隠れるように潜んでおり、牧田沙月は「助けてくれ」と言う。そうなる経緯にもまた、統情四局が絡んでいるから、もう自分の業というものに嫌気がさして来る。


*********************


 朴木も金元も、大人しく[赤竜・群狼クラン]の一員として[受託業者]を続けていれば、波風を立てる事無く過ごせていただろう。それに「2重スパイ」だとバレてしまった牧田も日本の外事警察に逃げ込むことが出来たかもしれない。だが、現実はそうも行かなかった。


 事の発端は「小金井・府中事件」。その内[小金井メイズ]の消滅作戦に於いて、朴木と金元が率いるPTは、見事15層最奥のモンスター(番人センチネルと呼ぶらしい)を斃し、メイズを消滅させるに至った。ただ、その過程で[魔坑核]を不活性化させる際に金元恵が習得したスキルが問題だった。


 そのスキルは【解読】というもの。15層の最奥に出現した壁面文字列を理解するために必要なスキルということだ。昨年12月末に世界的に発生した「魔物の氾濫」事象では、各地で壁面文字列と【解読】スキルがセットで出現したらしい。


 ただ、[小金井メイズ]が消滅した直後、その事実を知る者はいなかった。その後、今年の1月の末になってから、本国より


――【解読】スキル所持者を確保し、現地政府に協力させるな――


 という緊急指令が届いたが、もうこの時点で金元恵が持つスキル【解読】の存在は日本国政府に知られていたし、壁面文字列の解読も終了していた。金元恵(と朴木太一)は度重なる日本国政府関係者の要請に根負けして【解読】の依頼に応じたらしい。まぁ、指示が到達していない段階での行動なので、この2人に責任を問うことは出来ない。


 なので、当時まだ主任工作員だった私は、その事をつまびらか・・・・・に本国へ伝えるよう、当時はまだ次席主任工作員だった李に指示した。だが、その後の展開から察するに、その報告が本国に伝わったかどうかは定かではない。


 どういう事かと言うと、2月に入り主任工作員に昇格した李は独断で金元恵の拉致計画を進めたのだ。日本国政府に協力した、という事実をもみ消すための口封じなのか、それともせめて「身柄は確保した」と取り繕うためなのか、李の真意は不明だが、多分に制裁的な意味合いがあったと思われる。勿論、私にその報告が入ることは無かった。


 とにかく、計画された拉致は2月の中頃に実行された。如何に国内トップPTの1角を占めるとはいえ、メイズの外では一般人と変わりはない。組織的に手配された悪意に対して抗う術などあるはずがない。結局、金元恵は一人で居る所を李の配下によって拉致された。


 ただ、李の側には一つ大きな誤算があった。それが、朴木太一の存在だ。幼馴染で恋人でもある金元恵の失踪は、当然の如く朴木太一の凄まじい怒りに火を着けた。朴木はまるで群れから離れた狼のように、それから10日を掛けて金元の監禁場所を割り出し、単身で襲撃。李の配下を10人ほど殺害して金元恵を奪還した。凄まじい戦闘力だと思うが、朴木はメイズの外でもスキルを使用する術を持っているとのことだった。


 その後、解放された金元と朴木の2人は、李が差し向けた追手から身を隠すように方々を転々とすることになるが、4月の中頃には逃亡生活に行き詰まるような状況になった。それで、金元の姉である牧田沙月を頼る事になる。そして、頼られた牧田は自分が「2重スパイ」だと明かした上で私を頼った、ということ。


 恐らく牧田は自分が知る「2重スパイ」の内情を全て話す事と引き換えに妹である金元恵を助けてもらうように願ったのだろう。ただ、それには及ばない事情が私の方にもあったという訳だ。


 とまぁ、そういう経緯を経て私達3人は千葉の倉庫に居る。ちなみに現在、金元恵は神奈川方面で今年の2月に発見された或るメイズ・・・・・に潜伏しているという。丁度[受託業者]に解放される直前のメイズに忍び込み、そこの10層番人センチネルモンスターを斃す事で、仮の潜伏先を確保したということだ。


 それで今現在、朴木が単身で千葉の倉庫に居るのは、私が4tトラックの荷台に満載になるほど調達した「補給物資」を受け取るためだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る