*36話 ある日のコータ② 「打たせ上手」の高橋さん、再び!


 東京都武蔵村井市の郊外にある「五十嵐心然流」の本部道場。そこへ足を向けるのは、実は5か月振りの事になる。今年1月の温泉での1件以来、何となく足が遠のいてしまっていた。明確な理由が有る訳ではないが、何となく「里奈の気配」を感じる道場(まぁ里奈の実家だから当然だけど)の敷居を高く感じてしまった、というところ。


 決してサボり癖のせいではない。


「……ふう……」


 こういう時にツッコミ担当ハム太が居ないと、合いの手が無くて調子が狂うな。と、それはさておき、俺は道場側の入口から中へ入る。ここに来るまで、軽めの間食をしたり、本屋さんとか家電屋さんを覗いたりしていたので、時刻は18:00過ぎ。丁度良い時間になっている。


 「五十嵐心然流」の本部道場における火曜日の稽古は「高弟向け」ということになっている。そのため、開始や終了の時刻に特段の取り決めは無い。夫々それぞれが何等かの仕事を持っている都合上、18:00から三々五々に集まって、22:00前後に自然解散になる感じだ。勿論、途中参加、途中退場は各自の自由。まぁ、いい歳をした(主に)オッサン達が、素手や木太刀、または六尺棒などを振り回して日頃のストレスを発散している、というのが実情だ。


 ちなみに今日は豪志先生が不在ということだった。千葉の方の道場に出向いているらしい。「来てますアピール」をしておきたかったが、まぁ別に今日でなくてもいいかな……


「ご無沙汰しています! お久しぶりです!」


 稽古着に着替えた俺は、既に集まっていた数人へ向けて挨拶をしつつ、道場隅の鏡張りの壁の前に陣取る。そこで柔軟体操から始め、基本的な素振りや初歩的な型をやる。それで身体が十分に温まったら、適当な相手を見つけて「打込み」や「約束」といった稽古に移る感じになる。


「やぁ、コータ君、久しぶりだね」


 そろそろ誰か相手を見つけて……と思っていた矢先、俺はそんな声を掛けられた。見ると、そこには「打たせ上手」な高橋さんの姿があった。今は、小金井緑地公園で一連の作戦の指揮を執った陸上自衛隊第一師団の高橋陸将補の顔ではなく、あくまでも五十嵐心然流本部道場師範代の高橋さんとして、馴染みのある柔和な表情を浮かべている。


「あ、どうも……です」


 ただ、道場の内と外の両方を知っている俺は、どう接していいか分からず、歯切れの悪い返事になった。一方、高橋さんはそんな俺に、


「随分久しぶりだけど、元気にしていたかい? 髪の毛短くしたんだね。イイじゃないか若々しくて男前が上がった感じだ。そういえば調子はどうだい?」


 などと、気軽に声を掛けてくる。結局「道場の中に外の話を持ち込まない」という不文律めいた決まりがあるので、それを実践する感じなのだろう。まぁ「高橋さんらしい」といえばらしい話・・・・だ。だから俺も、


「まぁ、ボチボチですかね」


 といった感じの返事になる。それで、


「じゃぁ、一つお手合わせを――」


 と言う感じで、高橋さんとの稽古が始まった。


*********************


 流石に「打たせ上手」と言われるだけあって、受けに回った高橋さんは「カン!カン!」木太刀を小気味良く鳴らせて俺の打ち込みを受けてくれる。お陰で短い「打込み」だったが、俺は随分と調子を上げることが出来た。


「じゃぁ、そろそろ地稽古に移ろうか」


 高橋さんは俺の調子が上がったところでそう言うと、道場に壁掛けに木太刀を返し、代わりに袋竹刀ふくろしないを手に取る。俺としては「いきなり地稽古ですか?」と思わないでもないが、まぁ、それはそれでアリかもしれないと気を取り直すことにした。


 ちなみに地稽古とは自由稽古とも乱取り稽古とも呼ばれるが、早い話がお互い自由に打ち込む、いわば模擬戦のようなものだ。この地稽古を「五十嵐心然流」の場合は袋竹刀で行う。袋竹刀とは剣道で使う竹刀と違い、もっと細く割った竹を束ねて革や合皮の袋で包んだものだ。打ち込まれると痛いが、竹刀や木刀に比べると怪我は軽くなる(怪我をしないとは言ってない。竹刀だけに……げふげふ)。


 もっとも、豪志先生や高橋さんを含めた一部の高弟は、この地稽古を木太刀でやることもある。その場合は1寸止めが必須になるが、その分緊張感が増して良い稽古になるらしい(俺からすればクレイジーな光景だけど)。もっとも、それは高弟同士の話で、俺の場合は「袋竹刀一択」になる――


「どうする? 木太刀でやるかい?」


 訳でもないらしい……が、ここは、


「袋竹刀でお願いします!」


 という事にしてもらった。


 互いに折敷おりしきの形で礼をし、そこから立ち上がりつつ、袋竹刀を構える。試合ではないので「始め」の合図は無いが、どうも俺と高橋さんが袋竹刀を取った辺りから、注目されていたようで、周囲からの視線を感じる。


 まぁ、俺が[受託業者]をしていることは全員が知っているので、余計に興味を惹いたのだろう。でも、今は集中、集中……って、ちょ、まっ――


――ダンッ


「いやぁ!」


――バスン!


 一気に間合いを詰めた高橋さんに軽く1本取られてしまった。クソ……おでこが痛い。袋竹刀で良かった。


「もう一度」

「はい!」


 気を取り直して構えを取る。


 俺は中段正眼。対して高橋さんは竹刀をピッタリと右体側に付ける構え。五十嵐心然流で言うところの「待機構え」だ。「打ち込んで来い」という意味があって流石は「打たせ上手」な高橋さんだと思うが、今の場合は「後の先をとってやる」という意味合いだろう。だったら、どれだけ鋭く打ち込めるかの勝負になる。相手の「後先」や「返し技」を封じるには、一にも二にも、とにかく鋭く打ち込む事、気勢に勝る技巧無し、という訳だ。


 ということで、俺は何の工夫も無い単純な太刀筋で高橋さんの脳天に袋竹刀を打ち込む。これは当然のように受け流された。ただ、受けた高橋さん側に、返し技を繰り出す余裕が無かったことは確か。ならば、ということで、俺は矢継ぎ早に高橋さんへ斬り掛る。体を余り変化させず、小手なら小手、胴なら胴、面なら面、足なら足、と素直に但し目一杯の勢いで打ち込む。


 やりながら思った。昨日のレッド・ドラゴニルとの戦いも、こういう展開に持ち込めればまだ善戦の余地が残っていたのではないか? 多分そうだろう。打ち込む限り、それが精強な攻撃である限り、相手は防御に回らざるを得ない。一旦防御に回ってしまったなら、余ほどの実力差が無い限り、形勢をひっくり返すのは難しい。


 これが剣道ならば、相手よりも素早く打ち込むことで「1本を取る」という方法もある。ただ「五十嵐心然流」はあくまで真剣での斬り合い、実戦を想定している(この現代に「なんのこっちゃ」と思うけど、マジなんです)。なので、基本的に相打ちのような状況で手先の早さを競う事は推奨されない。


 お互いに持っているのは袋竹刀だが、それを真剣だと思って扱うから、身に触れるだけで怪我を負うという意識になる。1対1なら、怪我は怪我で済むかもしれないが、これが多数対多数ならば、ちょっとの怪我が命取りになる。だからこそ、防御側はしっかりと守り抜かなければならない。その結果として、気勢を制して攻撃を続ける側が俄然有利になる。


 そういう訳で、攻撃重視のスタイルが「五十嵐心然流」の本来の姿だ。図らずも、それを再認識した俺は、忠実に攻撃を重ねる。そして、決定的なチャンスを掴んだ。上段から頭を狙った斬り下ろしを2度連続させた結果、2度目のそれを高橋さんは初めて竹刀でガッチリと受け止めたのだ。


 受け止められた竹刀を再度振り上げる俺は、そこから雲竜剣の太刀運びで右から、左から、と頭部を狙い続ける。そして、


「えいッ!」


 4度目の斬り下ろしの瞬間、口から気合を発しつつ、それとは裏腹に俺は手の内で竹刀の握りを変化させる。狙うは、頭上に竹刀を釘付けにされた高橋さんの胴。だが、この変化は当然見抜かれている。高橋さんの竹刀が先回りするように胴を護る。結果、


――スパンッ!


 俺の袋竹刀は、胴を護ろうとした高橋さんの右小手・・・を打ち据えていた。


「――参った」


 上手く行ったと思った瞬間、ドッと汗が吹き出してきた。周りからは、パチパチと拍手めいた音と共に何か声を掛けられるが、何を言われているのか分からない。それくらい疲れてしまった感じだ。ああ、このまま帰ろうかな……帰りたいなぁ……


「雲竜からの切り返し胴と見せかけた霞小手とは、見事だね。さ、もう一回」


 えっと、勝ち逃げさせて……?


「勝ち逃げはダメだよ、さぁ、コータ君、構えなさい」


 ちょっとだけ「高橋陸将補」な感じ・・・が顔を覗かせている高橋さんに、この後ボコボコにされました。


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