*35話 ある日のコータ① マンションで


 自宅マンションのバスルーム。洗面台の鏡に映るのは、憮然と不機嫌そうな表情でこちらを睨みつける男の顔……まぁ、自分の顔なんだが、髪型がこれまでとガラリと変わったので、直ぐに「自分だ」と認識できない。


「それにしても……あのオヤジ……」


 俺はもう何度呟いたか分からない文句を口の中でモゴモゴと唱える。文句の向け先は近所の床屋のオヤジだ。田有駅近くに昔から店を構える床屋で、この町へ引っ越してきてからずっと通っている馴染みの店・・・・・になる。ただ、その床屋のオヤジが今回「やってくれた」。


 俺は中学2年の秋から、つい先日の月曜日まで、約13年間一貫して「センター分け」のヘアスタイルを固持してきた。多少「長い短い」に差はあっても、ベースは常に「センター」だ。というか、自分の外見を良く整えようという意識が希薄だったせいで、それ以外の髪型は「スポーツ刈り」か「丸坊主」しか知らないという事情もある。


 それでも、飲食業界で働いていた間は「清潔感」という謎の職業的義務感に駆り立てられ、月に1度はその床屋に通って髪型を整えていた。それが、無職を経て[受託業者]になったことで、一気に手入れを怠るようになり、今日の午前にその床屋に顔を出したのは実に5か月ぶりの事だったりする。


 5か月ぶりに床屋へ行った理由だが、それは月曜(昨日)の「井之頭公園中規模メイズ」14.5層で、レッド・ドラゴニルのファイアブレスに左半身をあぶられた結果だ。火傷の方は確かに跡形も無くなっているが、その一方で、左側頭部のチリチリに焼け焦げた髪の毛はどうしようも無い。結果として、左右アンバランスな髪型になってしまい、仕方なく髪型を整える必要に迫られた訳だ。


 ちなみに、今朝の出掛けに妹の千尋ちひろは、


「この際、床屋さんじゃなくて美容院にしたら?」

「普通に男のお客さんも居るよ?」

「私の行きつけのお店を予約しようか?」


 と心配してくれた。ただ、今朝の時点では行きつけの床屋にみさおを立てるような、妙な意地があり、また、経験のない「美容院」というお洒落空間にコントの爆発オチみたいな髪型で行くのもはばかられたので、そんな千尋の申し出を俺は断っていた。


 今にして思えば、妹の心配を素直に受け入れておけばよかった。まさに後悔先に立たずだ。「良い感じに」と適当なお願いをして、後は居眠りをしてしまった自分も悪いと言えば悪いのだが……


「床屋さんにしては……良い感じじゃない?」


 とは千尋の声。鏡越しに見ると、ちょうどバスルームを覗き込むようにしている。そんな千尋は俺と目が合ったが……何故か直ぐに視線を横へ逸らす。


「なんで目を逸らしたの?」

「ベリーショートのソフトモヒカン?」

「モヒカンって言うな!」

「うんうん良い感じ、似合ってるよお兄ちゃん! じゃぁ、私バイトだから」


 妙にそそくさ・・・・とした感じでマンションを出る千尋。心無しか顔が赤くなって肩が震えているように見える。明らかに不自然な態度だ。その後ろ姿に、


「なぁ、今、笑っただろ! ちょっと、千尋!」


 と声をかけるが、


「そんなことないよ、行ってきます!」


 千尋は振り向きもせずにそう言うと、後ろ手にドアを閉めて出て行った。


「くそ……これ、どうしよう……」


 残された俺は、呆然と立ち尽くす事しかできなかった。


*********************


 結局、切った髪の毛は伸びるまでどうしようもないので、切り替えて行くことにした。


 鏡さえ見なければ、精神的なダメージは少ない。それに、これまでの人生で女性に「モテよう」と行動したことも無い(あったかもしれないけど、無かった事にしている)ので、今更外見がどうだったとしても、日常生活には支障が無い。


 「モヒカン」と言われた時だけ、ちょっと心に刺さるダメージがあるが、実際今の髪型は俺が想像する「世紀末ヒャッハー系モヒカン」とは程遠い。今はご丁寧にも整髪料ジェルで中央付近を逆立たせてあるが、これさえなければただの短髪だ。そう思う事にしよう。


 ということで、無理やり立ち直った俺は、テレビを見たり、ネットを見たりしながら午後のひと時を気ままに過ごすことにした。


 ちなみにハム太は有料動画配信サイト(いつの間にか登録されていた)で、シリーズ物のロボットアニメを「一気見」している。昨日の夜中にマンションに帰って来てからずっと見ている気がするが、


「明日中にシリーズ全話制覇するのだ!」


 と気合を入れていたので、多分そうするつもりなんだろう。今はイヤホンをヘッドホン型に改造した物(器用だな)を耳に当てて、「話し掛けるな」オーラを出しながら画面を食い入るように見つめている。まぁ、本人が夢中になっているのだから、余計な口出しはしないことにする。


 ということで、つらつら・・・・とテレビを見ながら手元のタブレットでネット界隈を徘徊する。だが、どうも気持ちが乗ってこない。今流れているお昼のワイドショーが「究極的につまらない」というのもある。また、タブレットで開いた「国際メイズ学会Wiki」というページが文字ばかりで読む気が起きない、というのも理由だろう。


 ということで、俺は目だけ画面を追いながら、頭の中は別の事を思考するようになる。考えるのは昨日の「井之頭公園中規模メイズ」のその後・・・についてだ。


*********************


 昨日のメイズ潜行は15層を前にして終了となった。まぁ、気が削がれたというのが大きな理由だ。気が乗らない時に15層になんて挑んだら、思いもよらない事故を起こしたりするだろう。気分というかモチベーションというのは[受託業者]にとっても大切な部分だ。


 そんなモチベーションだが「15層」のような大きな壁に挑む以外にも、[受託業者]に取って大きな部分を占める重要な要素がある。それが活動成果、つまり買取り実績だ。その点で、一昨日、昨日と1泊2日で行った活動は上々の成果を残した。


 各ユニオンPTでバラつきは有るが、[チーム岡本]の場合、昨日の買取り金額は一人当たり約98万円だった。それに加えて公式オークションへ流すスキルジェムが4個と、田中社長に回しても問題無さそうなポーションが6つ、という成果だから十分に「上々」と言える。[DOTユニオン]だけで「井之頭公園中規模メイズ」に挑んだ場合よりも1.5倍ほど成果が良く、また、[チーム岡本]だけで小規模メイズに挑んだ場合と比べると2倍ほど良い。


 やはり、広大な13,14層の各区画を存分に使ってモンスターを狩る分、時間当たりの処理数が増え、その結果としてドロップが良くなるのだろう。買取り額は少し違うものの、各ユニオン・PT共に概ね同じ傾向の成果だった。だからこそ、当分の間「毎週日曜・月曜の2日間は3ユニオン合同で」と言う風に行動することが決まった。


 その他には、やっぱり避けて通れないのが「落とし穴の罠に落ちた後」の話だ。ただ、こちらの方は正直に全部・・・・・話すと、勢いハム太の事も説明しなければならないので、その辺を伏せて説明するのに少し苦労した。結局は、


 ――モンスターが大勢いる部屋に落とされて、命からがら脱出した――


 というザックリとした説明にしかならなかったが、俺の焼け焦げた頭髪や装備品、そして一部が薄ピンク色になって、いかにも「ポーション使いました」という風な肌の感じから、危険性は十分に伝わったと思う。


 また罠に関連した奇妙な点として、俺が脱出に使った階段の謎がある。俺は14.5層の「モンスタールーム」から階段を登って14層へ脱出したのだが、同じ階段を逆に降りてみても、行き着く先は15層だった。どうやら14.5層の「モンスタールーム」へは、14層の落とし穴からしか入れない、一方通行になっているようだ。


 まぁ、この辺は敢えてもう一度確かめる気が起きないので、飯田が[PLS]のマップ情報に「落とし穴トラップ」の位置とコメントを付けて[管理機構]に提出することになった。今のところ他のメイズで「トラップ」発見の確定情報は無いので、もしかしたら日本で最初にトラップに引っかかったのは俺かもしれない。というか、落とし穴だけなら、去年の8月に1層分しか深さの無いメイズに自転車で突っ込んだ経験があるから、落ちるのは2度目か……なんの自慢にもならないな。


 自慢にならないと言えば、レッド・ドラゴニルとの戦闘は無様の一言に尽きる内容だった。あの後、ハム太から詳しくレッド・ドラゴニルや通常のドラゴニルの戦闘能力について聞き出したが、まぁ、納得の強さを持つモンスターだという事は分かった。今の段階では決定的な実力差のある敵だった訳だ。


 しかし、だからといってそれを言い訳にしてしまっては進歩が無い。第一、ハム太は俺にそんなレッド・ドラゴニルの「抑え」を頼んだんだ。口では色々と憎まれ口を言い合う仲だが、基本的にハム太は「抜け」や「無茶振り」をすることは有るけども、根本的に出来ない事は言ってこない(と思う、多分……ちょっと自信ないけど)。


 つまり、ハム太の見立てでは、今の俺の実力でも立ち回り次第ではレッド・ドラゴニルを「抑え」ることは出来たという事だ。なのに、結果は床を這いずり回るように逃げる事しかできなかった。


 その原因は結構明白で、しょぱなの一太刀(ドラゴニルヒーラーの死体を両断した一撃)に圧倒されてしまったからだ。早い話、相手の力と技量に「呑まれた」状態になった。それで冷静さを失い、逃げる事しか考えられなくなった。その結果があのザマだった。


 ハム太に言われる迄も無く「修行が足りない」と思う。だからこそ――


 時計を見れば16:00過ぎ。いつの間にか丁度良い時間になっていた。俺は相変わらず動画を食い入るように見続けているハム太の背中をポンポンと叩くと、


豪志ごうし先生の所へ行って来るよ」


 と声を掛け、マンションを後にした。


 そういえば、千尋のための夕食の準備は……まぁ良いか。俺のヘアスタイルを笑った罰として千尋の夕飯は抜きだ。たまには自分で作れば良いだろ。

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