*20話 賽は投げられた


 里奈が見せた笑顔は、思わずハッと見入ってしまうようなまぶしい魅力があった。それと同時に、中学高校時代の俺は、いつもこの笑顔を横から見ていたという事を思い出す。あの頃の里奈は同じ様な笑顔を大輝に向けていた。そして俺は、その笑顔をいつも友達の立場で横から見ていたんだ。恨めしさを隠して、意地汚く、盗み見ていた。


 それが今、俺に向けられ……俺は怒涛のように押し寄せる罪悪感から、それを受け止めきれずに目を逸らした。


「それ、着けてくれてるんだ」


 眼を逸らした先には、里奈にプレゼントしたクリスタルガラスのブレスレッドがあった。大輝と鏡越しの再会を果たしたあの夜・・・には身に着けていなかったが、今は里奈の左手首に収まっている。それを見つけて、俺は視線を逸らした理由にした。


「うん、流石にメイズの中に入る時は外すけど、結構気に入ってるのよ」


 対して里奈は言うと、屈託がない様子で「どう? 似合う?」と訊いてくる。その表情が、俺にはまたつらく感じる。


「似合う似合わないで言ったら、里奈なら何でも似合いそうだけど」

「え? コータってそんなお世辞を言うようになったんだ」

「そりゃ、27歳にもなれば、お世辞の1つや2つ――」

「いや、そこはお世辞ってところを否定してよ」

「お、忘れてた。お世辞ジャナイヨ――」

「棒読みになってますよ?」

「棒読ミジャアリマセン」

「ロボットか」


 などと言うやり取りになる。ちょっと27歳の男女がやる会話じゃない気がするけど、喋っている時は心ばかり・・・・、学生時代に戻った気がする。それでしばらく他愛のない話になったが、不意に里奈が真面目ぶった調子に戻り、


「コータ、あの時……温泉の時から大輝と会うまで、つらく当たって……ゴメンなさい」


 と言い出した。そう言えば、里奈はさっきも同じことを言っていたし、2度も繰り返して言うってことは、相当気にしているんだろう。ただ、俺からしてみれば、里奈があんな感じになったことは「仕方のない、当然の事」だと思っている。それに、


「正直に言うと……あの時は里奈が俺を責めるような感じになってくれて、それで良かったと思っていた」


 というのが、正直な本心だ。そして、こう言ってしまった以上、この先に続く事を言わなければならない、と思った。言わなくてもこの先俺と里奈の関係はこのまま学生時代の延長で続くだろう。寧ろ言った結果として、今の関係を完全に壊してしまう危険性がある。でも、「言わなければ」という欲求が、そんな懸念を上回った感じだ。


「え? どういう意味?」


 俺の言葉に、里奈は当然の如く驚いた感じになる。それに対して俺は、


「本当は謝るべきなのは俺の方で――」


 と続けた。「賽は投げられた」と感じながら、胸の内を打ち明ける。


*********************


「あの時、温泉リゾートのホールで里奈に色々と質問された時、別に大輝の存在を明かす必要までは無かった」

「……」

「必要が無いのに、それに大輝からは『まだ言わないでくれ』と言われていたのに、俺はそれを裏切って、大輝の事を里奈に漏らした」

「でも……」


 口を挟む里奈は、多分「それって、私のために教えてくれたんでしょ?」と言おうとしたのだと思う。でも、違う。俺はそんな里奈の言葉を遮って続ける。


「いや、里奈の事は正直……考えていなかった」

「え?」

「あの時、突発的だったけど、俺が考えていた事は自分の事だけだった」

「どういう……意味?」


 里奈の表情が少し変わった。戸惑っていぶかしむような視線を向けてくる。悲しいけど、多分、こんな視線・・・・・が俺には一番似合っている。


「居なくなって8年、諦めて忘れた素振りをしていても、里奈が大輝を忘れきっていない事は分かっていた」

「……」

「だから俺は、そんな里奈が完全に諦められるように、どうしても手の届かない場所に大輝が居ることを教えたかった」

「でも……それが、どうして『自分の事しか考えていなかった』って事になるの?」


 まぁ、里奈がそんな風に疑問を感じるのは当然だ。


「そりゃ……だって、里奈がそうやって完全に大輝を諦めきったら、俺にもちょっとはチャンスがあるかもしれないだろ?」


 あ~あ、言っちゃった。もうこの先、元には戻らないんだよな、と喪失感を感じつつ、その一方で心の中が軽くなった気がする。やっぱり、俺って最低だ。


「え? え?」


 目の前の里奈は顔一杯に疑問符を浮かべた感じで固まっている。だが、俺はそんな里奈を置き去りにしてベラベラ喋る事にする。


「まぁ、そんな理由で大輝の事を里奈に教えたんだから、あの時の俺は……まぁ今もだけど、自分の事しか考えてないの。だから、里奈が謝る必要はないし、あのまま音信不通になったとしても、仕方ないって思っていた。でも、やっぱりね……ほら、3月の中頃にメッセージを送っただろ? あれで、やり取りが戻って、嬉しかったよ……今日だって、4か月ぶりに里奈の顔を見れて、一緒にモンスターと戦って、メイズの中の事をこう言うのは変だけど、楽しかった。それにさっきだって、俺に笑い掛けてくれた。あの笑顔が欲しかったんだよ。あの笑顔が大輝にだけ向けられているのを、中学高校とずっと横から見ていたから、ああ、やっと俺の方を向いてくれたって……はは、何言ってるんだろうな、俺。ちょっと身の程を弁えろよって、やつだな」


「……コータ」

「最低だろ?」

「コータ、ちょっと落ち着いて話せるようになるまで、時間を置きましょう」

「……もう、話す事なんてないよ?」

「そっちに無くても、私にはある!」


 里奈はそう言うと立ち上がり、いつの間にか財布から取り出していた千円札2枚をテーブルに置き、


「また連絡するから」


 と言って、ファミレスから出て行ってしまった。


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