*幕間話 管理機構巡回課課長代理 五十嵐里奈の日常


2021年4月30日


 年末年始にかけて発生した「小金井・府中事件」が解決してから、早くも4か月近くの月日が流れてしまった。[管理機構]の会議室から見える愛宕神社の裏の桜も、すっかり花を散らしてしまい、今は微かな緑の新芽を枝に蓄えている。


 この間、私を取り巻く環境は公私ともに大きく変わった。


 まず仕事の面では、[管理機構]が大幅に組織を整理・強化したことが一番の変化だ。それに伴い、私は正式に文部科学省からの現役出向という立場を失い、[管理機構]の専任職員となった。苦労して国家公務員の試験に合格したはずが、気が付けば行政法人の職員になっていたという事。ちょっと何を言っているのか良く分からないけど、事実だから仕方がない。


 まぁ、この件は私に限った事ではなく、ほぼ全ての[管理機構]職員に当て嵌まる変化だ。


 これまでの[管理機構]は内閣府の「先々進科学技術・クリーンエネルギー開発推進局」(通称:先エネ局)から研究職以外の職員を分離して、外部に押し出したような急造の組織だった。そのため、内部は「○○省からの出向」という面々ばかりで、純粋な[管理機構]籍の人は、総務部の電話対応をする女性(おばちゃん)数人という、少しおかしな組織形態になっていた。


 それを改めるため、大幅な人事改革が行われた訳だ。


 具体的には出戻り・・・を前提としていた現役出向者に対して、出戻りの前提を改め[管理機構]の職員になる様に求めるというものだ。まぁ、数年で本省に帰ることが前提の面々が、管理職ポストのみならず実務分野でも多数を占めているのだから、これでは組織として安定した運営が出来ないという判断なのだろう。


 [管理機構]への完全移籍は形式上「各個人の意志を確認して」という事になっていたが、その内情は殆ど強制だった。ただ、それに見合う見返りとして、結構な額の給与アップや昇格等が提示されたのも事実。行政法人職員の給与としては、医療関連を除けば恐らく原子力関連の団体と同水準か、少し上回るほどの好待遇になった。


 その結果、約7割程度の人が移籍を了解して[管理機構]に留まった。私もその中の一人だ(ちなみに富岡さんも「委託課」の課長として残っている)。


 この移籍に伴い、私は[巡回係]改め、[巡回課]の課長代理に昇進した。因みに元の[巡回係]のメンバーは、殆どがそのまま[管理機構]に残っている。ただし、同じ課ではなく、別の課や係に散っているという状況。以前と変わらず[巡回課]に在籍しているのは、自衛隊出身の大島さんと水原さんだけだ。


 一方、一連の人事整理の結果、職員の数が7割に減ってしまったのだが、それについては、見合う以上の数が補充として新規採用された。その結果、私の「巡回課」も以前の倍に近い18人体制になっている。


 そんな感じで人員強化された「巡回課」だが、仕事といえば相も変わらず既存のメイズを巡回し[受託業者]のトラブルを処理するというもの。メイズの数も[受託業者]の数も増えたので、依然としてトラブルは起こる。お陰で日常業務は人員が強化されたことを忘れてしまうくらい、十分に目が回るような忙しさだ。


 しかも現実は厳しく、現在の「巡回課」には、既存の業務に加えて新しい役割も追加されている。それは、今年になって各メイズに導入された「MEOメオ観測計」に関するもの。現在、各メイズの「MEOメオ値」観測結果はオンライン上で管理されているが、その数値が異常に上昇した場合の初期対応が「巡回課」に求められる事になった。


 実は今年の3月中頃に、世田谷区で発見された新しい小規模メイズに於いて、この「MEOメオ値」の異常上昇が観測された。初期調査以後は概ね30%前後だった数値が、24時間で75%を超えるまでに急上昇したのだ。


 当時、その小規模メイズは未だ[受託業者]に解放される前だった。そして、数値の上昇が余りにも急だった事、事態が日曜日に発生した事、などが重なり、やむを得ず私は大島さんと水原さんを伴ってその小規模メイズに乗り込み、5層の所謂いわゆる番人センチネルモンスターを処理することになった。


 その結果、上昇していた数値は40%程度で落ち着いたが、この対応が「悪い前例」となってしまい、以後、同様の状況は「巡回課で」という事になってしまった。まるで人員増強と課への格上げ、業務内容に見合う装備の支給などと引き換えに、厄介事を押し付けられたような気がするが、まぁ、万が一「魔物の氾濫」が起こってしまえば、甚大な被害が出ることになる。それを考えれば、止むを得ない事だろう。


 それに、4月に入ってからは、発見済みのメイズは基本的に全て[受託業者]に解放されている。そのため、今後同様の事態が起こった場合は、[受託業者]と協力して事に当たる事になる。それはそれで面倒な気がするが……


(コータ様達と一緒になることもあるニャン)


 と、ここでハム美の【念話】が思考に割り込んで来る。コータ……その名前を聞くと、どうしても私の思考は止まってしまう。


 1月のあの夜の出来事は、私にとって十分に衝撃的だった。27歳にもなって、まるで乙女のように動揺したし、少し取り乱したりもした。ただ、あの鏡越しの大輝・・・・・・との会話・・・・の結果、私は8年間引き摺っていた恋心にキッパリと終止符を打つことが出来たと思う。


 ただ、だからといって直ぐに「じゃぁコータへ」と想いを向ける気にはならない。勿論、全く気にならない訳じゃない。寧ろ再会してからの数か月で、自分でも驚くほど、コータの事を意識するようになった。多分、私はコータを好きになったんだと思う。


 だからこそ、直ぐに行動を起こせなかった。自分でも呆れるほど不器用で素直じゃないと思うが、なまじ友達付き合いの時間が長かった分、どう接していけばいいのか分からなかった。それを考えるためにも、私は時間が欲しかった。だから、自分からコータへ連絡を取ることを控えていた。


 結果として、全く連絡をやり取りしない時間が2か月も続くことになった。その間、自分で「連絡しない」と決めたにもかかわらず、内心は「この間にコータが離れて行く」と焦るような気持ちにもなった。しかし、一旦遮断した交流を再開させる口実や切っ掛けが無く、只時間だけが過ぎて行く感覚に、正直なところ、頭がおかしくなるんじゃないかという気さえしていた。


 だから、3月のあの日、久しぶりにコータからメッセージが入った時、私は冗談じゃなく、スマホを見ながら涙が出てしまった。


(不器用の極みニャン)


 ほっといて欲しい。


(でも、やり取りが戻って良かったニャン)


 その通りだ。今のところ「会う」までには戻っていないが、数日に1度メッセージが届くようになった。それだけで、なんだか救われた気になる。


*********************


「――里奈、課長代理、五十嵐課長代理!!」


 不意に名前を呼ばれている事に気が付く。それで、今が月例課長会議の最中だったことを思い出す。私を呼ぶのは「委託課」の富岡課長の声。


「あ、え、はい?」

「『はい?』じゃないわ。会議中にボーとするなんて、らしくない」

「すみません……」


 ちょっと非難するような声色がある。まぁ当然か。


 一方、富岡課長はそんな私から視線を外すと、会議室のドアの方を指差して、


「まぁ良いわ。それより、課の人が呼びに来てるわよ」


 と言う。どういう事かな? この会議は1時間もかからずに終わるのが常だ。その時間が待てないほど緊急の用件でもあるのだろうか?


 私はそんな疑問を感じつつ、席を立ってドアの方へ向かう。そしてドアを開けると、そこには最近入った新人の姿があった。結構焦っている様子が表情から窺える。それで「どうしたの?」と問い掛けようとするのだが、そんな私が口を開く前に、その新人は、


「大変です課長代理。また、MEO値が上昇しているメイズが見つかりました!」


 と言う。なるほど、そりゃ焦るのも分かるわ。


「わかった。富岡課長、すみませんけど緊急事態です!」


 結局、この日の課長会議は「MEO値上昇事態」の発生を受けて中止。私は大島さん、水原さんに連絡を取って、該当メイズへ急行する。一方、富岡課長は「委託課」の仕事として、Bランク以上の[受託業者]へ「管理機構アラート」を発令することになった。


 ちなみに、「MEO値」の異常上昇が発生したのは、小田急小田原線下北沢駅付近に出来た小規模メイズだった。

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