*幕間話 チーム岡本の日常① 岡本忠司の場合


拓哉たくや仁哉ひとや、ちゃんと食べたか?」

「うん!」

「たべた!」

「じゃぁ、顔洗って歯磨きしてこい!」

「分かった、ヒト、行くよ!」

「うん!」


 そんな感じで朝食を食べ終わった兄弟は、お兄ちゃんの拓哉が弟の仁哉の手を引くようにして洗面台の方へ連れて行く。ここ最近で、拓哉は随分とお兄ちゃんらしくなったものだ。その光景をちょっと嬉しく思いながら、俺は食卓の後片付けに取り掛かる。


 以前は仁哉の分のお弁当を準備しなければいけなかったが、今年の春から仁哉の通う保育園も給食に切り替わったので、それだけ朝の仕事は減っている。といっても、慌ただしいのは相変わらずだ。特に、拓哉が通う小学校が今春から通学バスを導入したのだが、そのバス時刻の都合で、手間が減った以上に慌ただしくなった感じだ。


「2人とも、ちゃんと磨いた?」

「うん!」

「うん!」

「じゃぁ、制服に着替えなさい」

「はーい!」

「はーい!」


 洗面台の方では鳴海の声が2人に着替えを促している。何となく、仁哉の返事が全部拓哉の口真似のように聞こえて、思わず小さく吹き出しながら、手だけは食器をテキパキと洗っていく。


 程なくして着替えを終えた拓哉と仁哉が鳴海と一緒に台所に現れた。今日は、親子4人で揃って「行ってきます」な感じになるな。まぁ、アパートを出て3分ほど歩いた所にあるバス停までだけど。


「あなた、後片付けありがとう」


 と言うのは鳴海。これから出勤するため、ゆったりとしたワンピースタイプの服に着替えている。


「なに、大したことじゃない。それよりも、今日は大丈夫なのか?」


 そんな鳴海に体調を気にするような声を掛ける俺。実は最近、鳴海は体調が良くない時が多い。まぁ、その理由は、


「大丈夫よ、3回目なんだし、それにつわり・・・は病気じゃないわ」


 という鳴海の返事の通り。早い話、お腹に3人目が出来たのだ。ということで、現在妊娠18週目の鳴海は、目立つようになってきたお腹を気遣ってゆったりとした服を着ている。ただ、拓哉の時や仁哉の時はそれほどでもなかったつわり・・・が、今回は随分と長引いている気がする。医者でもない只の男には、それが妙に気になって、心配の種になる。だから、


「仕事はやっぱり辞められないのか?」

「うん、どうしても5月末までは来て欲しいって社長が」

「そうか……」


 という、もう何度繰り返したか忘れるほどの会話を又も繰り返す事になる。


 ちなみに鳴海が働くのは食品関係の卸売りを営む小さな会社。そこの社長夫婦には拓哉や仁哉が生まれる時に、色々とお世話になっている。だから、「5月末までは働いて欲しい」という希望を無碍むげに断ることも出来ない。それは分かるんだが……う~ん……


「無理はしないわよ、安心して」

「そうかぁ?」

「なに、信じてないの? あなただって、随分と心配掛けるような仕事をやってるんだから。それに比べて、事務所の仕事なんて――」

「あ~、分かった、分かったから」


 ちょっとした地雷を踏んだ感じになってしまい、慌てて言い繕う俺。妊娠中の鳴海はこんな風に、時折、突発的に短気になる事がある。それを重々承知しながら、それでも地雷を踏んでしまうとは情けない限りだ。と、ここでふと視線を感じてそちらを向くと、狭い玄関で靴を履いて出発の準備を済ませた拓哉と仁哉の姿が目に入った。2人とも心配そうな視線を此方に向けている。


 世間一般では、今のを夫婦喧嘩とは呼ばないだろうが、それでも両親が言い合っている姿を間近で見せたくない。それが俺と鳴海の共通した教育方針だ。ということで、


「な、なんでもないわよ」

「そうそう、ちょっとお話しただけだ」


 と、聞かれてもないのに言い訳をする俺と鳴海。対して拓哉は、


「ほんと~?」


 と疑い顔だが、直ぐに何か思いついたようで、


「じゃぁ、チューして見せて!」


 と言い出した。なんだよ、それ?


「仲良しだとチューするって、ミサちゃんが言ってたよ」

「そーなんだ、じゃぁチューして!」


 結局、拓哉が言い出した「チューして」に仁哉が乗っかって、玄関先でチューチュー言い出す始末。それで思わず、俺と鳴海は顔を見合わせて吹き出してしまった。


「はいはい、じゃちょっとだけよ」


 ということで、鳴海の唇が軽く俺の頬に触れる。それで今度は、


「あ~、ヒトも~ヒトもチュウ~」


 となる。ただ、いい加減に出ないとバスに遅れる時間だ。ということで、


「保育園で良い子にしていたら、パパがチューしてやるぞ~、拓哉にもしちゃうぞ~」


 と言う。それで、兄弟揃って、


「イヤ~!」

「逃げろ~!」


 と成り、玄関のドアを開けて外へ行ってしまった。


「こら、廊下を走るんじゃない!」

「わかってる!」

「でも、バス来ちゃう!」


 俺の声に答える2人は、1Fへ降りる階段の辺りまで走って行ったらしい。


「まったく……次は女の子が良いな」

「生まれるまでのお楽しみね」

「そりゃ、そうか」

「あと、引っ越しの準備、任せっきりにしちゃってごめんなさい」

「いいって事よ、メイズに行かない日は主夫業なんだから」

「あなたが主夫ねぇ」

「なんだよ」

「ううん、なんでもないわ」


 2人の息子の後を、そんな会話を交わしながら、ゆっくりと追いかける俺と鳴海。


 ちなみに鳴海の言う「引っ越しの準備」とは、文字通り長年住み暮らしたこのアパートから引越しをするための準備の事だ。流石に3人目が出来たと分かった時点で、2DKのアパートは「狭いながらも楽しい我が家」などと言っていられない状況になる。そこで、かつて一度は断念したマンション購入計画が再浮上した訳だ。


 ただ、当時の計画が俺の「思い付き」だったのと比較して、今回の計画は「家族計画的に必要」という真剣なもの。当然、鳴海の同意は取り付けている。


 購入資金に関しては、相変わらずローンは組めないが、その一方で、当時の計画時点から数か月時間が経った現在、「一括購入」に見合う充分な額の現金が貯まっている。それに加えて、先の「小金井・府中事件」の影響から、花小金井駅周辺はマンションを含む不動産価格が大幅に下落、というか暴落というレベルで下がったことも嬉しい(?)誤算だった。


 結果として、今のアパートから徒歩で5分ほど駅から離れてしまうが、それでもギリギリ「駅に近い」といえる場所に在る築4年のマンションで、条件に合う部屋を見つけることができた。


 5階の日当たり良好な角部屋、3LDK+サービスルームに広めのベランダとトランクルーム、駐車場2台分が付いてお値段3,200万円。1年前の価格から700万円ほど値下がりしてしまった物件だが、それを「現金で」買うと聞いた時の不動産屋は「冷やかし」だと思ったのか、中々信じてくれなかったものだ。まぁ、この地域からの転出者は目に見えて多いから、そんな不動産屋の対応は仕方がないのかもしれない。


 実際、俺達家族も一時は「別の地域へ引っ越すか?」という話になった。ただ、これには拓哉が「友達と離れたくない」と反対。それに、引っ越すにしても、引っ越し先にメイズが出来る可能性はゼロじゃない。だったら、「魔物の氾濫」を起こした後で消滅した(させた)メイズの付近の方がかえって安全という事も出来る。という事で、俺達家族は花小金井に留まる選択をした。


*********************


「行ってらっしゃい!」


 3人をバス停で見送った俺は、来週火曜日の引っ越し当日に先駆けて、一部の荷物を引っ越し先へ移す作業に取り掛かる。荷物を持って行った後は、そのままマンション側の部屋の掃除をするつもりだ。全部屋、床の拭き掃除を終わらせるのが今日の目標になる。


 勿論、当日は引っ越し業者に作業を頼む事になるが、サッと終わらせるための下準備は必要。それに、明日水曜の早朝から明後日木曜の夜にかけては、1泊2日のメイズ潜行になる。その間は準備がとどこおるので、その分を巻いて・・・やっておかなければならない。


 現在、[チーム岡本]の活動内容は、水曜と木曜の2日に掛けて1泊2日でメイズに籠るというスケジュールになっている。それに[DOTユニオン]の活動として、日曜と月曜の2日に渡る1泊2日の行動が加わる。実労働は週に4日だが、その内2日はメイズ内での外泊となる。


 理由は単純で、メイズ内での宿泊を前提とした活動の方が、効率が良いからだ。2月3月と色々な方法を試行錯誤したが、現在[修練値]が上がってしまった俺達にとって、1層から10層までの移動時間は、ドロップが殆ど見込めないロス時間になってしまう。だったら、移動の回数を減らして、その分11層以下に籠っていたほうが良い、という結論になった訳だ。


 お陰で3月後半から4月半ばの今現在に掛けての収入は、1月の[小金井・府中事件]を除けば、ダントツに高い成果になっている。その分、鳴海や拓哉、仁哉には少し寂しい思いをさせる事になるが、まぁ仕方ない。「ブラック気質が抜けきっていない」とコータに笑いながら指摘されるが、沢山稼いで暮らしを良くするためには必要な事だ。


「よし! 頑張るぞ!」


 ということで、俺は掃除用具一式と普段は使わない衣類を納めたプラスチックボックスをミニバンタイプの自動車の後部座席に乗せ、運転席で気合を入れる。そして、ギアをドライブに入れると、ゆっくりとアクセルを踏み込み、車を発進させた。



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