*4話 手島の事情
「はぁ……まぁ事情は分かったわ」
溜息を吐いてそう言う千尋。心中は他人が察するには余りあるものだが、ギャンギャンと騒ぎ立てるような未練は残していないらしい。それだけでも、兄としては胃の辺りが軽くなった気がする。
「それで……その律子さん? とはどうしているの?」
「せ、籍は入れた。結婚式は無理だけど、今は僕の実家で暮らしている」
不倫の末に一緒になった律子さんとその娘の沙耶ちゃんは、手島の実家、茨城県の某所で両親と共に暮らしているらしい。まぁ、千尋を
「そうなの……子供、女の子は懐いてる?」
「うん、前までは『お兄ちゃん』だったけど、最近は『パパ』って呼んでくれるように」
でもなぁ、手島……お前、よくそれを千尋の前で言えるな。俺、ちょっとお前の無神経さに恐れ入ったよ。
「お腹の赤ちゃんは? いつ頃産まれるの?」
「5月だと思う」
「だったら、頑張らないとね」
「そうなんだ、律子と沙耶、それに生まれてくる赤ちゃんのためにも、僕は――」
「いいえ、そっちじゃなくて」
「へ?」
相変わらず論点がズレる手島を、千尋の冷たい声が軌道修正する。この状況で千尋に「頑張れ」と言われて、素直に今後の自分達の将来を「頑張る」と答えられるのは、或る意味才能かもしれない。まぁ、たぶん手島の中で千尋は完全に過去の存在なのだろう。
「『へ?』じゃないわ、あなたが頑張るのは借金返済よ!」
「そ、それは……分かってる、分かってるんだけど」
「なによ、まさか、遊びでセフレ扱いだった女に今の話を聞かせて、『いい話だ、敦も頑張っているんだ、借金は勘弁してやろう』なんて、なると思ったの?」
「い、いや……」
ここら辺で、千尋がギアを1段上げた感じになる。ちょっとヒートアップしている感じ。いや、今まで抑えていた感情が暴れ出した、ってところか。
「懐いてくれた沙耶ちゃんと、産まれてくる赤ちゃんに『パパは女の人を騙して手に入れたお金で今の暮らしを手に入れたんだ』って言えるの?」
「い、いや……そんな……」
「大体、ご両親も、その律子って人も、この話を知ってるの?」
「いや……言ってない」
「だったら、これから先、ずっと後ろ暗いものを抱えて生きて行くの? 色々あっても結局ご両親にとって、産まれてくる赤ちゃんは初孫でしょ。なんだかんだあっても、やっと可愛い孫の顔を見れた、って思っている所に『実はお宅の息子さん、借金を踏み倒しているんですよ』なんて、誰が言いに行くのかしら?」
「そ、それは」
「やっと酷い元夫から逃れて新しい生活を手に入れたと思っている律子って人に『新しい夫も、前と負けず劣らず酷いヤツですよ』って、どうやって伝えようかしら?」
「そんな……」
「いずれにしても、裁判になれば家族には隠せないわね」
「う……」
ずっと千尋のターン! って感じで千尋の詰問が進む。それで遂に、
「返すつもりはあるんだ……でも」
と、手島は俯いて消え入りそうな声で、
「今すぐは……無理なんだ」
と絞り出すように言う。その言葉に、当然ながら千尋は
「甘ったれた事、言わないで!」
となるが、そんな千尋の次の言葉を押し止めたのは、意外な事に加賀野さんだった。
「まぁまぁ、ちょっと、ちょっと――」
そんな手振り口振りで割って入った加賀野さんは、
「俺が受けていた相談はこれに関係するのかな?」
と、手島に言う。その言葉に、手島は力なく頷いていた。
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そもそもこの日、手島と加賀野さんが会っていたのは、手島の側から「相談したいことがある」という申し出によるものだった。
それで手島は、千尋が暴走して飛び出していくまでの短い時間で、「相談事」の冒頭を加賀野さんに話していた。その内容は、
「赤竜・群狼クランを抜けたい、上に口を利いてくれないか?」
というものだった。まぁ、実際はもっと丁寧な口調だったと思うが、内容はそんな感じ。それで、その理由というのが、
「俺達下っ端PTは絞られるだけ絞られて、手元に何にも残らない。これじゃ、生活が苦しいし、返したい借金も返しようが無い」
というものだった。驚いた事に、手島は一応借金を踏み倒した事を後ろめたく感じていた模様。「返さなければ」という意思はあったということだ。ただ、行動が伴わなかったのは、
「1週間の内5、6日メイズに籠って、それを1か月続けてもクランから貰える金は20万とちょっと」
という、収入に原因があった。
とまぁ、そこまでの話を加賀野さんから聞き、以後は手島本人が「相談事」の続きを話す事になる。この間千尋は追求の手を休めて、俺同様、手島の話に聞く耳を持つ姿勢となった。
話を手島の相談事に戻す。
昨年の12月に[受託業者]の資格を得た手島でも、「月収20万円」というのは週の大半をメイズに潜って過ごす専業の[
「クランに入る時に加入契約をしたんですけど、その中に『会費』とか『占有協力費』とか『装備整備費』とか『指導料』と言うのがあって、それが、先月から急に値上がりして――」
とのこと。
元々[赤竜・群狼クラン]のメンバーの収入は、買取り金額の総額から各自が見合った分の分配を受け、そこから色々な名目の金額を差し引いた残りが収入として手元に残る仕組みだった。それが先月の分から、差し引かれる金額が急に増えて収入が激減したというもの。しかも、
「差し引かれる費用はクランへの借り入れになっていて、全部返すまでは普通に抜けられないっぽいです」
とのこと。ただ、どれだけの費用が借り入れになっていて、幾ら返さないといけないのか、手島のような下っ端では分からないらしい。これでは、返しようが無い。というか、そもそも返す必要がある金なのか? と疑問に思うレベルの話だ。
当然の事ながら[赤竜・群狼クラン]の中にも、同じ疑問を持った人間が居たらしい。しかし、
「バックレようとした人は行方不明に……殺されたっていう噂です」
随分と不穏な話になってきた。
「よくそんなので[クラン]として纏まって居られるな」
と言うのは加賀野さん。俺も同意見。
「確か[赤竜・群狼クラン]って今100人を超えてるよな……みんなで団結して待遇改善を、ってならないの?」
しかし、俺のそんな言葉に手島は首を振る。
「クラン内での序列が上がると収入が上がる仕組みなんです。だから、中間層は下に俺達みたいなのが必要で、俺達の中にも、序列が上がるまでの我慢、と思っているヤツは居ます」
なんだか、マルチ商法の変種のようなやり方だ。多分、色々な名目で差っ引いた金額は上の層で分配しているのだろう。もしもそうなら、マルチ商法と同様で、儲かるのは最初に始めた一握りだけ。後は、相当待たされた挙句にちょっとだけ良い思いをする程度。それまでの苦労に見合うような見返りは無いだろう。
と、俺がそんな印象を受けている間も、手島の話は続く。
「
ここで、不意に聞き知った名前が出て来た。確か2人とも[赤竜・群狼クラン]のトップPTのリーダーだ。前の「小金井メイズ」では行動を共にしていたので一応の面識もある。そんな朴木と金元だが、手島の口振りから察するに、あの2人が[赤竜・群狼クラン]の運営を担っている訳ではなさそう。運営は別の誰かがやっている、ということだろうか?
「あの2人が運営してるんじゃないの?」
「違うみたいです。なんでも、運営しているのは……暴力団とか中華系のマフィアだとか……絶対、まともな奴らじゃないですよ!」
マジかよ……えらく闇が深い話だな。だったら、あの2人はどうしているんだ? 思わず考えた事がそのまま疑問に出たが、対して手島は、
「わかりません。でも、最近は全然顔を見ないです」
とのこと。先月、2月の中頃までは普通に顔を出していたそうだが、今は全く顔を見ないらしい。
「でも、加賀野さんはあの2人に面識があると聞きました。ですから、あの2人に話を通して、クランを抜けさせてください!」
う~ん……加賀野さん、どうするんだろう?
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