*3話 手打ち的な平手打ち

 

 客がまばらなコーヒーショップの店内をズンズンと進む千尋は、一直線に加賀野さんと手島の居る席に向かう。その先には、何事か躊躇ためらいいつつもようやく話しを切り出した様子の手島と、それに聞き入る加賀野さんの2人。話に集中していのるか、手島はおろか加賀野さんさえも、近づく千尋に気が付いた様子はない。


 対する千尋は、多分色々な感情が渦巻いた結果なのだろう、2人の席に近づくほどに歩調を早める。そして、(流石に止めた方が良いか?)と俺が思った時には、千尋は小走りほどの勢いになって残り3歩の間合いを詰め、そのまま、


――ドンッ


 と、椅子に座る手島を横から突き飛ばした。


「うわぁ!」


 間抜けな声を上げて椅子から転がり落ちる手島。ただ、腐っても[受託業者メイズウォーカー]というべきか、


「な、なんだ――」


 と声を荒げつつ、直ぐに立ち上がる。しかし、次の瞬間、


――パンッ!


 手島の抗議を遮るような乾いた音が店内に響く。立ち上がった手島の頬に千尋のフルスイング平手打ちビンタが炸裂した音だ。


 ちなみにこのビンタ、千尋と手島の身長差から、斜め下から振り抜かれる軌道を描き、綺麗に手島の顎(所謂「三日月みかづき」という急所)にヒットした。しかも、てのひらの内、一番硬い手首近くの部分(掌底)が偶然にも手島の顎先を強打。千尋の怨念が籠った会心の一撃だ。お陰で、手島は二の句が継げずに、その場に崩れ落ちた。


「あ、え? これは……」


 流石に加賀野さんも驚いた様子。まぁ、今日は「同一人物か確認するだけ」という約束だったから、突然現れた女性千尋が手島を平手打ちしてしまうまでは予想の範囲外だったのだろう。


 という事で、俺は咄嗟に、全てを偶然で片付けるために、


「あれ、加賀野さんじゃないですか? どうしてここに?」


 と、白々しい声を発した。これで、何とかなるか?


*********************


 結果として何とかなった。


 千尋のビンタで軽い脳震盪状態になった手島が立ち直るまでの短い時間で、


(すみません、加賀野さん)

(遠藤君、やっぱり同じヤツだった?)

(はい……ここは偶然出会ったていで)

(そうか……分かった)


 というやり取りをした結果だ。


 まぁ、俺や千尋と手島の因縁以外に、この場には[脱サラ会]の加賀野さんと手島(というか[群狼第3PT]の手島)との交流もある。俺達兄妹にとっては「憎いヤツ」でも、加賀野さんにしてみれば「手のかかる後輩メイズウォーカー」だ。それに、何事か相談を持ち掛けられる程度には親密な様子でもある。そんな交流にケチが付かないように、この場は「完全な偶然」の出来事にしてしまうのが一番良い。


 我ながら「ちょっと気を回し過ぎか?」とも思うが、全てはお世話になっている加賀野さんへの配慮。しかも、「偶然出会った」というていにするなら、変に遠慮するのは反って不自然。ということで、


「ち、千尋、なんで?」

「何でじゃないわよ! 借金踏み倒して逃げた男が、こんなの所で何しているのよ!」

「そ、それは……」


 まぁ当然のやり取りになって、手島は言い淀む。そこに俺が、


「踏み倒して逃げておしまい、というほど世の中甘くないぞ、手島」


 と口を挟むと、手島はようやく俺に気付いたのか、


「え? 遠藤サブマネ? なんであんたが?」


 と、素っ頓狂な声を上げる。


あつし、あんた馬鹿なの? 私の名前も遠藤なのよ!」

「げぇ、じゃ、じゃぁ……夫婦・・?」

「妹だ!」

「お兄ちゃんよ!」


 何故、ここで「夫婦」と発想するのか? という疑問はさて置き、そんなやり取り。と、この辺りで、


「落ち着きなさい、しかし……遠藤君も手島君も知り合いだったのか?」


 と、白々しい加賀野さんの仲裁が入り、


「あ、加賀野さん、お世話になってます」と(白々しく挨拶をする)俺、

「加賀野さんも知り合いなんですか?」と驚きに輪を掛けた表情の手島、

「[チーム岡本]のアタッカーだよ、聞いた事あるだろ」と、肩を竦めて見せる加賀野さん。


 そんな加賀野さんの説明に手島は、


「マジで……あの・・遠藤サブマネが……AランクPTの……」


 と、驚いた表情を上書きさせて見せた。「あの」って「どの」だよ? と思わないでもないが、まぁそれは置いておくとして、俺は目が点・・・状態になっている手島の肩に手を置いて、


「手島……逃げるなよ」


 と凄んで見せる。


 その後、いきり立った・・・・・・千尋をなだめ、混乱する手島をドヤし、元のテーブルに着く一同。結果として、想定外ながら、手島の事情を聴く場が出来上がってしまった。


*********************


 手島の喋った内容は、常識人を自負する俺からすると、眩暈を感じるようなトンデモ話だった。何と言って良いのか……全て身から出た錆とは言え、色々と重なり過ぎていて、聞いているこっちが(当事者の立場を忘れて)苦しくなってくるような話だった。どういう事かというと、


「ちょっと前からある女性とお付き合いをしていて――」


 もう、この時点で千尋は都合の良い遊び相手だったことが分かる。哀れ妹よ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


「でも、その女性はすでに結婚していて――」


 と、本命の女性とは不倫関係だった様子。なるほど、だから俺と千尋を見て「夫婦?」と思った訳か……それにしても、お昼のメロドラマ設定かな?


「でも、律子りつこの相手は酷い男だったんですよ! 沙耶さやの幼稚園の金も家計に入れず、アチコチ遊び歩いて――」


 自分の事を棚に上げてのたまう手島氏。ちなみに律子というのが不倫相手で歳は26歳、沙耶というのはその娘で4歳になったばかりだという。それで、


「そのくせ、変に律子や沙耶に執着しやがって……浮気だ、慰謝料だ、離婚して欲しけりゃ慰謝料払えって」


 つまり、手島は大学3年生の頃から人妻に手を出し、その不貞行為の慰謝料を背負っていたとのこと。その額は400万円。結局、手島のご両親が肩代わりしたものの、その両親は手島に対して、


 ――お前のようなヤツを息子とは思わない!――


 と、親子の縁を切る状態になったという。その後、手島の母親の執成とりなしで、


 ――半分だけでも返しなさい――


 と、幾分怒りは緩んだものの、学生の手島に200万もの大金を返す当てはない。しかも、折り悪く、就職活動がコロナウィルスによる不景気の煽りを受けて絶望的となる。そこで、色々とむしゃくしゃ・・・・・・を抱えた挙句、憂さ晴らしにバイト先で悪ふざけを行い、そのSNSへの投稿が炎上。後はご存じの通り、FZアメージングフードに対しても慰謝料300万円を背負う事になった。


「とういうわけで、已むに已まれず……」


 金が必要になり、思いついたのが水商売をしている遊び相手・・・・の千尋を連帯保証人にして金を借りるというもの。


「じゃぁ、最初から私とは遊びだったわけね」

「すまん、ごめん、本当にスマナイ!」


 兄の俺でも聞いた事が無いような冷え冷えとした千尋の声。対する手島は、ゴンッとテーブルに頭を打って謝る。


「――借金も最初から返すつもりはなかった?」

「いや……そうじゃない、そうじゃないんだ、でも……」

「じゃぁ、どうして逃げたのよ!」

「それは……」


 詰問する千尋に、手島は観念したように顔を上げると、


「律子が……出来ちゃったんだよ……赤ちゃんが」


 もう、言葉がありませんよ。これ以上の手島の話を聞くのが辛くなって、俺は視線を外へと逸らす。すると、同じ様に視線を彷徨わせた加賀野さんと目があった。こんな時、どんな顔していいか……まぁ、


「笑うしか――」

「――ないな」


 妙な感じで、俺と加賀野さんの言葉が重なった。

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