第4節 竜と狼

導入話 技術革新


 2020年末、全世界的に同時多発した「魔物の氾濫」、又はスタンピード事件群とも呼ばれる事態は、2021年の1月には各国によってそれなりの解決を見ていた。


 勿論、スタンピード事件に見舞われた全ての国が成功裏に事態を鎮静化できた訳ではない。主要都市の治安が崩壊し、政府機構を地方に移した国も少なくない数存在し、中には無政府状態に突入してしまった国も存在する。ただ、少なくとも「大国」と呼ばれる一定水準以上の国力を持つ国は、経緯は様々ながら、何とか事態を鎮静化させていた。


 そんな世界情勢の中、日本政府は1月12日に「事態終息宣言」を発表。これは、中国やアメリカに次ぐ迅速さであった。しかも、中国は詳細な内情が不明な状態での宣言、アメリカは東西海岸の主要都市に治安の不安定化という爆弾を抱えながらの終息宣言であったのに対し、日本のソレは正真正銘の終息宣言であるように見えた。


 現に1月の中頃以降、日本の首都東京は平静さと普段通りの活動を取り戻している。


 この点に於いて、日本の政権与党は「危機時の舵取り」で世界的な功名を上げたといえる。結果として国内における政権支持率は高まり、政治的に余力のある状況を作り出した。そして、2月も半ばを過ぎる頃には「4月の衆院解散総選挙」の政局が囁かれるようになる。


 もっとも、現状では2021年の8月に延期されたオリンピックが終了するまで、政治的なアクションを取る事に余り実利は無い。だが、それを差し引いても「今総選挙を仕掛けて野党の息の根を止める」という政治判断に可能性が出てくる程度に、飯沼内閣の支持率は上昇していたという訳だ。


 後になって振り返って見ると、この「4月の衆院解散総選挙」説は飯沼内閣による政治的なブラフ・・・だったと分かる。というのも、この時の飯沼総理やその周辺は「4月の解散総選挙」をチラつかせることで野党や与党内の他勢力を牽制しつつ、その一方で幾つかの重要な法案を成立させることに成功していたからだ。


 そうやって成立した法案の中には、時節柄当然と言うべきメイズに関する法案も含まれている。それが既存の[地下空間構造に関する特別措置法]に対する改正法案。通称[改正メイズ特措法]と呼ばれるものだ。


――「魔物の氾濫」事態に対する「非常事態宣言」の規定――

――「非常事態宣言」発令下における警察・自衛隊の実効力強化――

――「非常事態宣言」発令中における私権の一部制限とそれに対する国家賠償規定――

――上記に関連する既存法令の改正――


 [改正メイズ特措法]には、これらのような強権的な内容が盛り込まれていた。そのため、国民の一部(進歩的な市民団体や左派政治団体)は反発したが、一般国民の多くは悲惨な犠牲者を出した「小金井・府中事件」の記憶を生々しく保っているため、それに対応する政府の姿勢は概ね歓迎された。


 また、政治とは全く別の所から、この法案成立に対する追い風が吹く出来事があった。それは、2月の末から3月にかけて国内で新たに十数カ所のメイズが発見された、という事件。皮肉な事に、メイズの存在が[改正メイズ特措法]の成立を後押しした格好になった。とにかく、新たに発見された十数カ所のメイズの存在は、改正法案に対する国民の支持をより一層強いものにした。


 その一方、そのように耳目を集める法改正の影で、あまり話題に上らなかった法改正もあった。それが通称[管理機構]に関する法改正だ。同じ[改正メイズ特措法]の一部であったが、余りセンセーショナルな内容ではなかったので、注目されなかった。というのも、その内容が


――現行組織の体制強化――

――収拾品の公売入札制度――


 というように、組織体制と運用に関するものだったからだ。中には、


――地下空間構造内での警察権行使規定――

――警察・自衛隊との協力行動規定――


 といった内容も含まれていたが、先に注目を集めた「非常事態宣言」のインパクトや、次いで発見された十数カ所のメイズの影に隠れてしまい、目立つことはなかった。


 このような背景を得て、飯沼内閣が主導した[改正メイズ特措法]は国会通常会期中の3月半ばに成立、即日施行となり。後追いで成立した2021年度第1次補正予算によって必要な予算が賄われることになった。結果として、日本政府は対メイズ政策を大きく一歩前進させることに成功した。


*********************


 2021年4月某日 


 [地下空間構造研究会]は岡崎敏夫おかざきとしお内閣特命担当大臣(先々進科学技術・クリーンエネルギー担当)が主幹となって2か月に1度程度の頻度で開催される集まりだが、実質的に飯沼内閣総理大臣の私的諮問機関となっている。


「――それでは岡崎さん、引き続きよろしくお願いします」

『はい』


 リモート会議の方式で行われたこの日の会合は、そんな飯沼総理の言葉で締めくくりとなる。そして、係官の手によって回線の接続が切られ、首相官邸に設けられた会議室に静寂が戻る。


「総理、足元は盤石、メイズの方もようやく出費に見合う実利に漕ぎ着けそう、前の大越さんの政権を超える長期政権も夢ではありませんな」


 一時の静寂を割って、そんな声を挙げたのは飯沼内閣の官房長官。政治家としてのキャリアは飯沼総理よりも長い、超が付くほどのベテランだ。その横柄な態度や辣腕らつわんが過ぎる政治手法によって、陰では「官房総理大臣」と揶揄やゆされている人物だが、飯沼内閣の政局運営は一重にこの人物の采配に拠っている。


「政権の長さを競うつもりはありません。しかし、困難に面した時、政局が安定している事は何よりも国民のためになります」

「はは、確かに、確かに」

「これからも、よろしくお願いします」


 そんなやり取りになる。と、ここで官房長官は会話の相手を飯沼総理から別の人物へ移す。


「平川君、今日の会合で出た内容、各省庁への根回しを頼む」

「はい」


 話し掛けられて、そう返事をしたのは平川内閣官房副長官・・・・・。組閣当初は官房副長官補だったが、「小金井・府中事件」に先んじて内閣危機管理監に異動し、今は危機管理監と官房副長官を兼務しつつ、「先エネ局」の担当も割り当てられている。こちらも前政権から長く総理大臣官房に居る事務方の重鎮だ。


「では、マスコミの相手をしてくる」


 官房長官は、そんな平川副長官の返事に頷くと、飯沼総理に軽く会釈を送り会議室を後にする。言葉通り、定例会見に臨むのだろう。


 ちなみにこの官房長官、一つ間違うと暴言や失言の類を槍玉に挙げられるタイプの人物だが、流石に政治家として長いキャリアを持っているので、その辺は「自分のキャラ」としてしまっている。そのため、歯に衣着せぬ物言いで記者をやっつけて・・・・・しまう彼の定例記者会見は、


「官房長官の記者会見は、終わると同時にSNSで話題になるらしいです」


 と平川副長官が言うように、妙な人気がある。


「知っていますよ。動画のキャプチャーに字幕を付けたり少し加工をして、マスコミ叩きのネタになっているそうですね」

「ひと昔前なら考えられない事ですが、時代が変わったのでしょう」


 2人残った会議室で、飯沼総理と平川副長官は、そんな感じの会話になる。


「確かに、これからの時代は新しい技術で切り拓かないといけないですね」


 時代が変わった、という平川副長官の言葉を受けて、飯沼総理は手元のレジュメに目を落とす。「極秘」と印字されたA4用紙3枚のレジュメには、現在「先エネ局」主体で進められている研究内容と、その内今日の会合で発表された、幾つかの具体的な成果が書かれている。


――メイズストーンの加工燃料化による高効率発電システム――

――メイズストーンを用いた合金開発――

――魔素と電波の干渉パターンを用いた信号化技術――


 それらが今日の会合の話題だった。


「[チャイナモデル]を遥かに凌駕するエネルギー効率と安全性を兼ね備えたクリーンエネルギー、これだけでも世界の形は大きく変わるものです」

「メイズ内での行動や魔物の氾濫への対応を容易にする新素材や通信技術の確立も、メイズ管理の方針に関わる重要な内容です」


 2人がそう言い合う研究内容は、実はここ2か月ほどで大きく進展したものだった。その進展を後押ししたのは、


「やはり[メイズ壁面文書]と【解読】スキルの保持者の存在が大きい」


 日本国内では小金井と太磨霊園のメイズ最奥で発見された[メイズ壁面文書]。そして、小金井メイズ消滅作戦時に習得されたと思しき【解読】スキルの保持者。この両方の存在によってメイズ産出品を用いた技術研究は大きく進展した。


 ただ、問題もある。それは、


「米国は解読内容について非公開の方針。我々としては、これに追随する他ない」

「無用な競争、軋轢、憶測を生みますな」


 というもの。現在、国際社会において[メイズ壁面文書]と【解読】の両方を所持している国は少ないとみられている。その少ない国の一つが日本であり、その同盟国アメリカなのだが、アメリカの方針は政権交代後も変わらずに「秘匿・非公開」であった。


 恐らく、既存の化石燃料資源産出国への影響と、それに伴う情勢不安定化を危惧しての方針だと思われる。また、近年台頭著しい中国の「出方を見る」というのも大きな理由になっているだろう。


 ただ「隠す」となった以上、それを妨害したり秘密を暴いたり、といった活動を呼び込むことになる。そうなると、アメリカの同盟国である日本も無関係ではない。しかも、


「解読された文書では、次の開示がまるで早い者勝ちであるかのように示唆されている……まるで我々の競争心を煽るような」

「[敵対者]ではないと言いつつも、実は人類を分断する内容、というのは些か穿ち過ぎですか」



 飯沼総理の言葉に平川副長官はそんな事を言った。それに「わからない」と首を振る飯沼総理は立ち上がると、


「とにかく【解読】スキル保持者が行方不明・・・・である以上、我々に出来る事は彼女・・の身柄と安全を確保することです」


 と言う。


「その辺は公安関係に任せております」

「たのみます」

「技術開発の目途が立ち、その恩恵が大きいほど気を揉みますな」

「明るい未来へ続いていると信じたいものです」


 そのやり取りを最後に、会議室は無人になった。

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