*幕間話 決断の乙状況


 12月24日


 この日の午前から正午を跨いで14:00にかけて行われた緊急の国家安全保障会議は米国での乙状況・・・発生を受けたものだった。会議では、自衛隊・警察組織に対する待機指示が決定され、万が一に備えて、東京・大阪・愛知の3地方自治体首長に対して自衛隊派遣要請に関する事前の根回しが行われることになった。この時の会議はあくまでも日本国内で乙状況・・・万が一・・・起こった場合を想定した準備に終始した訳だ。


 だが、会議の外では事態の発生を予見させる事態が起こりつつあった。具体的には東京都西部の各市、武蔵野市、西東京市、小金井市、小平市、調布市、府中市に於ける無線電波の通信障害だ。障害はテレビ・ラジオといった放送電波、携帯電話や警察無線、航空無線、GPS信号など、広範多岐に及んだ。


 後になって、障害の発生状況を時系列的に整理・解析したところ、一連の障害は同日の午前10:00前後から段階的に広範囲に広がっていったと分かった。更に、発生源についても、「小金井緑地公園」と「太磨霊園」だという事が分かった。ただし、この時点では「乙状況・・・の発生が電波障害と結びつく」と公式に認識している者は居ない。


 そのため、電波通信障害は(重大な問題であることに間違い無いが)、メイズの存在とは結び付くことなく、別個の事象として総務省経由で内閣府に報告された。その報告があったのが11:30。奇しくもほぼ同時刻に、安全保障会議の場では国家安全保障局の瀬川局次長が米国に於ける乙状況とその前から発生していた電波障害について言及している。偶然とはいえ、皮肉な結果だった。


 後にこの状況を知った飯沼総理以下、当時の会議出席メンバーは地団駄を踏む想いになったことだろう。それほど、一連の乙状況・・・による被害、特に人的被害は大きかった。


 ただ、この時点で日本の安全保障にかかわる意思決定者に事態は伝わっていない。そのため、会議は定刻通り14:00に解散となった。


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 会議終了後、各地方自治体首長への根回しは内閣府の受け持ちとなったため、平川内閣府危機管理監は非公式に「国内メイズ問題対策チーム」の人選に取り掛かった。というのも、日本国内で乙状況が起きないにしても、いずれにせよ実際に起こった米国の情報は今日の夜にもニュースとして国内に流れるのは必至だからだ。そうなると「日本国政府の対応は如何に?」という声が起こるのは必然だ。それに備えるため、平川管理監は中央省庁と関係各組織へ連絡を回し、内々の人選に取り掛かったわけだ。


 一方、会議から解放された国家安全保障局の瀬川局次長は、[管理機構」から呼び寄せた江口部長・佐原課長を伴って、次長室のデスクに戻る。会議中に昼食休憩は有ったものの、彼等官吏にゆっくりと昼飯を食べる時間はなかった。そのため、遅い昼食をご馳走しようというつもりのようだ。


「お二人とも、サンドウィッチなんかで良いかな? 1階の喫茶店のだけど、あそこの卵とカツのコンビサンドは旨いんだよ」


 瀬川局次長は、そう言いながら[管理機構]の2人に応接セットを勧める。ちなみに注文はオフィスの方で部下の吉池局員がやっている。そんな段取りだ。瀬川としては、この機会に[メイズ]に携わる[管理機構]の人間から色々と話を聞こうと思っているようだ。また、財務省出身で最近それなりに評価が良い江口部長と面識を繋いでおきたい、という思惑もあるのだろう。


「色々聞かせてもらいたい話もある」


 そんな風に話を切り出した。と、ここで、オフィスに戻っていた吉池局員が次長室に飛び込んで来た。ノックを忘れるほど慌てた様子だ。


「どうした? 吉池」

「大変です、局次長!」

「何が?」

「電波障害です、電波障害が起きています!」


 泡を喰ったような吉池局員の言葉に、その場の3人は顔を見合わせると、申し合わせたように席を立つ。


「直ぐに平川管理監に!」

「分かりました!」


 瀬川の言葉を受けて、飛び出て行く吉池局員の後を追うように、3人は元の会議室へ駆け戻っていった。


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 東京都西部に発生した電波障害。その事実を受けて平川管理監督は安全保障会議の再招集を決定、開始は15:30からとなった。それと同時に平川管理監は[緊急情報センター]の構築を国家安全保障局に指示。


 指示を受けた瀬川局次長は、外出先から戻って来たばかりの局長を捕まえて事態を説明。これにより、国家安全保障局内に臨時の[メイズ対策係]を発足させ、配下の1係全員と手すきの他の局員を動員して[緊急情報センター]の設営に取り掛かる。


 その結果、安全保障会議に接続する本会議室とは別に、隣接する第二会議室にオンライン上の[緊急情報センター]が開設された。これが14:30の事。その後は、平川管理監の根回し、要請を受けた各省庁、自治体関係機関が次々と[緊急情報センター]の回線に接続、一時、処理できないほどの情報が積み上がることになった。


 積み上がった情報の山は、吉池局員が筆頭となって局員総出で整理されていく。ホワイトボードが順次、都合8枚運び込まれ、モニターの無い壁は直ぐに埋め尽くされる。複合機も2台運び込まれた。結局オンラインで集まった情報は紙にプリントアウトされてホワイトボードを埋める。デジタル化云々と言いつつも、随分とアナログな光景が展開されることになった。ただ、その事を皮肉めいて考えられるほど、余裕のある人間は1人もいない。それというのも、集まった情報は「既に乙状況が発生している」という事実を伝えるものだったからだ。


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 ――13:58頃小金井緑地公園管理棟から[管理機構]へ連絡(管理機構職員)、五日市街道封鎖と公園閉鎖に関する問い合わせ


 ――14:10頃小金井緑地公園管理棟から小金井署へ通報(同署地域課巡査)、道路封鎖解除と公園閉鎖解除に関する情報伝達不備の照会要請


 ――14:41小金井市立体育館事務所から小金井署へ通報(同署地域課巡査部長)、メイズ外でのモンスター目撃報告と怪我人報告。小金井第六小学校3年2クラス分の児童と教諭3名、及び管理機構職員3名と受託業者6名を伴いメイズ内に避難する旨の報告。救援要請有り。


 小金井緑地公園周辺からは13:30頃から不審な生き物、怪物(つまりモンスター)を目撃したという110番通報が多発しており、15:30現在で通報の累計は3,000件を超えている。ただ、乙状況が発生したのは小金井緑地公園だけではなかった。


 ――14:28府中市太磨霊園付近のコンビニエンスストアから府中署へ通報(同署地域課巡査長)、メイズ外にモンスターが徘徊している旨の報告。以後、この巡査長からの連絡はない。安否不明。


 ――14:42府中市太磨霊園管理事務所から府中署へ通報(霊園管理職員)、霊園内に多数の怪物が出現した旨の通報。通話は30分続いたが、管理事務所内に怪物が進入したという声の直後に通信断絶。


 太磨霊園周辺でも、13:30頃から同様の110番通報が多発。更に14:50時点で霊園の南側住宅地にて火災発生を確認。地域管轄の消防隊が出動したが、消防隊の安否確認が取れない状況にある。


 この状況を受け、警視庁は小金井緑地公園周辺と府中の太磨霊園周辺の道路封鎖を決定。それが14:45の事だった。この決定は、小金井市立体育館からの巡査部長の通報と太磨霊園管理事務所からの職員の通報、それに、先の安全保障会議で決定された「乙状況に対する待機指示」を勘案した結果、独自に判断したものであったという。


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 15:30からの予定であった本日2度目の安全保障会議は15分ほど前倒して開始された。もうこの時点では出席者に状況が伝わっている。そのため、1度目の会議よりも議論の焦点は集約されていた。


『平川さん、対策チームの根回しご苦労さまです。その人員内容で発足させてください』

『はい、総理。では、仮設立上げした[緊急情報センター]を対策本部に格上げします』


 モニターの先では、飯沼総理の言を受けた平川管理監の言葉が流れる。そして、


『現在、状況発生は2カ所。小金井緑地公園と太磨霊園です。どちらも周囲道路は警視庁により封鎖され――』


 というように状況の報告がしばらく続く。とそこへ平川管理監側のモニター外から何か動きが伝えられた模様。マイクをオフにした短い会話が起こる。一方、首相官邸側も同様な動きとなった。そして、


『失礼しました、今ほど東京の大池都知事から自衛隊の災害派遣要請が発せられたと――』

『こちらにも今伝わった。それと、住民の避難指示と誘導のため、警視庁との協力体制の間に[対策センター]が入るよう求めているようだ』


 そのような会話だ。と、ここでモニターを見ていた瀬川局次長の元にも隣の第二会議室から同様の情報が入った。


『瀬川局次長』

「はい、こちらにも情報が入りました。しかるべく調整します」


 それで、平川管理監の声に瀬川次長はそう答える。


『では住民の避難はそのように計らうとして、対策については……』


 そのやり取りを聞いた飯沼総理は、そこで一旦言葉を区切ると、


『東京都からの要請が出ましたから、自衛隊に出動を命じましょう。当面は災害派遣の枠組ですが、場合によっては治安出動に切り替えます。そのつもりでお願いします』


 と、宣言した。


 この宣言、もとい命令を受け、練馬の陸上自衛隊第1師団、及び宇都宮の中央即応連隊が行動を開始する。これが、後に小金井府中事件、または「バトル・イン・小金井」や「レイドアタック・太磨霊園」と呼ばれる、一連の戦いへの序章となった。

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