*バトル・in・小金井 急襲、赤い魔犬!


 来場者会館エントランスでの戦闘後、ハム太が残していったポーション[魔素回復薬:中]で俺と飯田の魔素力は回復している。一方、消耗が少なかった朱音と岡本さんは、ハム美の【魔素力転換(省)】で回復。これで、ポーションストック内の[魔素回復薬:中]は残り2本。一方、ハム美の方も


「大した魔術を使えるほど魔力は残っていないニャン。用心するニャン」


 ということだった。どうも【魔素力転換(省)】は自分の[魔力]を[魔素]に変換して、それを他人に分け与えるというプロセスが必要なため、燃費が悪いらしい。魔力が万全な状況では余り気にならないが、今のように中途半端な回復しか出来ていない場合は、その燃費の悪さが結構ネックになるようだ。


 結局ストック内のポーションとハム美の魔力のどちらか一方が枯渇しないように、負担を分担した、という状況。ただ、魔素力が回復したのは確かなので、俺は行動を開始する。


 エントランスから車だまりのバスまでの距離はおよそ150m。【能力値変換】で[敏捷]に全振りすれば、多分数秒で到達できる距離だ。でも、途中にあるアーチ型の車止めを2カ所外さなければ、バスはエントランス前のスペースに進入できない。その作業時間と不測の事態への備えを考慮すると、とにかく初動はこっそり息を潜めて行動するほうが良さそうに思えた。


 極力周囲に気を配って進む。今のところ、モンスターらしい気配はない。


 「魔物の氾濫」を起こしたメイズが15層あるとして、1層に平均して150匹モンスターが居ると仮定すれば、「魔物の氾濫」領域が半径1kmだというので、1平方キロあたり700匹位のモンスターが居る密度分布だ。モンスター1匹当たりで考えると、35m四方に1匹になる……はず(ちょっと暗算に自信が無いけど)。ただ、群れている場合が多いから、実際の分布は随分と偏るだろう。


 あとは、今の時刻が16:15で、里奈が言うには最初にモンスターを見かけた時間から2時間ほど経過している。ぼちぼち、リスポーンが始まる時間帯だ。急いだほうが良いな。


 俺はそんな事を考えながら、アーチ型の車止めを地面から引っこ抜く。魔坑外套の恩恵なのか、日ごろのメンテナンスが良いからなのか、車止めはアッサリと抜ける。だが、ホッとしたのも束の間、それとほとんど同時に、少し離れたところから[遠吠え]が聞こえてきた。


 ただ、その遠吠えがレッサーコボルトなのかコボルトチーフなのか、はたまた赤鬣犬レッドメーンなのか、区別はつかない。でも、ここへ来る途中で30匹ほどのメイズハウンドを処理せず残しているのは確かだ。いずれにしてもあの数で来られたら面倒だし、戦闘が他のモンスターを呼び寄せる可能性もある。


 この時点でバスまでの距離は100m。周囲には依然としてモンスターの気配はない。「ヨシ」と小さく気合を入れて、俺は一気にバスを目指した。


*********************


 リモコンキーを操作すると、バスのスイングドアはプシュと音を立てて開いた。そこから中へ乗り込んだ俺は、車内の気配を探る。窓ガラスはどれも健在だから、車内にモンスターが潜んでいる可能性は無いと思うけど、念のためだ。脱出のために車に乗り込み運転を始めたところで後部シートに潜んでいたゾンビに襲われる。そんな場面を映画か何かで見た気がする。ものすごく有りがち・・・・な感じがするけど、見えているフラグは折っておかないと。


 ということで、運転席に収まる。バスの運転席って妙にコックピット感があって……26歳にして心が躍る気がする。こんな場面じゃなければ「出発シンコー」とか言ってしまいそうだ。勿論今は自粛する。


 キーを差す場所は直ぐに分かった。あと、開きっ放しのドアを閉めるスイッチも「ドア:閉」と書いてあるから直ぐに分かった。ということでドアを一度閉めてからキーをひねる。エンジンは1発で始動した。それを確認してギアをDレンジへ入れ、ゆっくりとアクセルを踏み込む。バスは……何かに引っかかったように前進しない。


「えぇぇ……くそ、動け、動け、動け!」


 思わず声に出して言いながらアクセルを煽る。心の中では往年のアニメ主人公が汎用人型決戦兵器を動かそうとする気持ち。ただ、今の場合、バスは俺の気持ちというよりも踏み込むアクセルに反応して座席の下でエンジンの回転数を上げる。そして、


ゴトンッ――


 という、何かを乗り越えた衝撃と共にバスは動き出す。結果、急発進したバスはロータリー型の車だまり中央にある植え込みに乗り上げそうになる。慌てて急ブレーキ。オートマ車なのにマニュアル車がエンストを起こし掛けたようなカクカクしたスタートになってしまった。


「よ、よし、動くぞ」


 気を取り直してギアをRレンジに入れてバック。


 その後、隣のバスに後部をぶつけ、別のコンクリ製の車止めに左側をこすり、外した車止めの隙間を通るために3度ほど切り返して、バスはようやく来場者会館前に到達した。


 そして、なんとか任務を成し遂げた俺を迎えるチーム岡本の面々には、


「見ていて凄くじれったかった」

「コータ先輩……ドンマイです!」

「うう運転が、ザザ残念、プププ」


 と3人に笑われることになる。いや、ここは褒めてよ。


*********************


 バスの定員は50人だが、今の場合定員などどうでもいい。ということで、奥の資料室に避難していた子供たちを中心とした60人前後の集団がバスに乗り込む。誘導するのは里奈。一方、チーム岡本の面々はそんな里奈から離れた場所で周辺の警戒を強める。


「パパぁ!」


 途中、岡本さんのお子さん仁哉ひとや君が岡本さんに駆け寄ろうとする場面があったが、


「大丈夫だ仁哉、お兄ちゃんとバスに乗りなさい、琢磨、頼んだぞ!」


 という岡本さんの声と、お兄ちゃんの琢磨君が仁哉君を引っ張って連れ戻すことで事なきを得た。それにしても琢磨君、9歳だというのにしっかりしてるな。その事を岡本さんに言うと、緊張した顔が一瞬だけ緩んだ。ああ、こういうのがパパの顔なんだね。などと言って冷やかす。


 一応、今後の作戦は、全員乗り込んだところで俺達もバスに乗り込んで脱出する、というシンプルなものだ。バスに乗り込むと里奈の影響を受けて魔素が消失、魔坑外套の恩恵が無くなるらしいが、その代わり、バスの周囲、里奈を中心に半径10mの空間はモンスターが入り込めない領域になるらしい。もっとも、


「物理的な障壁じゃないニャン。こちらから近づいたり、モンスター側が勢いで飛び込んだりすることはあるニャン。あと、高い知性を持っているモンスターなんかは、納得ずくで飛び込んで来ることもありえるニャン」


 とのこと。完璧なモンスターフリーの場を作り出すスキルは【聖域】という別のスキル。しかし、里奈が習得したのは(俺が拾得してハム太に預け、その後ハム美に渡り、すっかり存在を忘れていた)【操魔素】というスキル。似た効果はあるが、基本的に別物だということだった。


「吉崎先生、これで全員ですか?」

「はい、全員です!」


 そんな里奈と小学校の先生のやり取りが背後で聞こえる。そして、


「コータ! 岡本さん達も、もう大丈夫です、乗ってください!」


 と、里奈はこちらへ呼びかけてきた。


「よし、俺達も――」


 対して岡本さんがそう応じる。その時だった。


「ん、なんだ? もや?」


 と岡本さんが言うように、不意に周囲を不自然に濃いもやが覆う。いくら何でも唐突過ぎる不自然な現象。でも、俺も朱音も飯田も、この現象は記憶に新しい。それは、


――ウォウォォオォオオオン!――


 という間近で発せられた[遠吠え]の主、赤いたてがみを備えた強力な魔犬種のモンスター、赤鬣犬レッドメーンが発生させたスキルによる靄だ。


「ヤバいニャン! みんな、早く逃げるニャン!」


 遠吠えが治まった時、ハム美の絶叫が響く。それと同時に、真っ白な靄の中を赤い影が猛烈なスピードで迫って来た。狙いは――


「飯田、逃げろ!」

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