*バトル・in・小金井 里奈の戦い編 ハム美、緊急事態宣言発令!


 時間は14:15頃に遡る。


*********************


 目の前に現れたのは玩具おもちゃの拳銃を咥えた犬。最初はそう思った。でも、「何かが変だ」という印象を覚える。それで思わず注視してしまう。結果、犬と目が合った。


「……?」


 変だと言えば、今の日本に首輪をしていない野良犬は滅多に居ないはずだから、変だ。それに、大型犬の部類に入るだろう犬が咥えている拳銃にはマネキンの手がくっついているけど、赤黒い色に染まっていて妙にリアルだ。それに、そもそも、こんなに愛想の無い、ハッキリ言って可愛さゼロの犬なんてこれまで見た事がない……あ……あった。


「なんで?」


 思わず漏れる疑問。というのも目の前に現れた犬はメイズの中で何度も見かけたメイズハウンドに酷似していたからだ。青黒く体毛の無いのっぺりとした肌。淀んで黄ばんだ目。凶悪な造形の顔。そして、口からはみ出ている細く鋭い何本もの牙。どれも、メイズハウンドの特徴にピッタリ一致する。でも、どうしてメイズの中に居るモンスターが外に出て来ているんだ? 思わず「何でここに居るのよ!」といった言葉が口を衝き掛ける。一方、


「ガウゥ」


 メイズハウンドの方は、ひと声うなると口に咥えたモノを地面に落とす。ゴトッという重たい音と共に駐車場のアスファルトへ落ちたソレは、落ちた拍子に拳銃と手が離れる。そして手の方が、ゴロンと転がって切り口を私の方へ向けた。赤い肉と白い骨のコントラストを持った断面は無理矢理引き千切ったようなグチャグチャな様子を此方へ向けている。


 流石に分かった。これはマネキンじゃなく、本物の人間の手だ。その瞬間、咄嗟に頭に浮かんだのは、少し前に管理事務所へ走って行った若い警察官の姿。理由は良く分からないけど、何故かメイズの外に出てきたメイズハウンドに襲われたのだろうか? 見れば拳銃の方は警察官が使う回転式のタイプだ。しかも、持ち手に付いているコードが、手首と同じように引き千切られている。


 と、まぁ、そこまで理解しても、何故か身体が動かなかった。やっぱり心の中で「こんな事がある筈がない」と思っているからだろう。正常性のバイアスとでも言うべきか、とにかく目の前の現実を呑み込めない感じだ。と、その時。


「た、た、助けて!」


 駐車場を取り囲む植え込みの陰から、ボロボロになった若い警察官が姿を現した。制服のあちらこちらが引き裂かれて、幾つも血の滲みを作っている。その内一番重傷そうな血塗れの右手を抱えるようにして、今にも前に転ぶような勢いで必死に逃げてくる。その背後には、


「ガウ、ガウゥ!」

「グルルゥ」


 と、吠えながら追いかけてくる2匹のメイズハウンドの姿があった。


「あ、早く! こっちへ!」


 咄嗟に叫ぶ私。そして、この声が近くに居たメイズハウンドを刺激することになった。


「ガウゥ!」


 真横で上がる吠え声に、咄嗟にそちらを向くと、明らかに攻撃態勢を取ったメイズハウンドの姿が目に入った。


(危ない、ニャン!)


 え? 何、今の? と、頭の中に響いた誰かの声に混乱する。しかし、身体の方は物心ものごごこ付いた頃から教え込まれた動作を無意識に行っていた。一拍後に飛び掛かって来たメイズハウンドの攻撃を、右前方に前回り受け身の要領で躱す。そして、起き上がりつつ反撃態勢に移る。メイズハウンドは目標を失って着地、横腹を私に晒した状態だった。


「えいっ!」


 その無防備な横腹に前蹴りを叩き込む。ストレッチ素材のパンツスーツにローファーの靴とネイビーのトレンチコートという恰好だから、少し窮屈だけど、低い位置へ蹴り込む分には支障がない。それに、何故か普段の2割増しな感じで身体がスムーズに動く。


「ギャンッ!」


 蹴りを受けたメイズハウンドは一声鳴くと跳ねるように距離を取る。対して私は距離を詰めて追撃を掛ける。武器を持たない状態で一番威力のある打撃を繰り出せるのは足を使った蹴りだ。という事で、十字歩法で一気に距離を詰めて、足刀蹴りを叩き込む。既に横腹に一撃を受けて動きが鈍ったメイズハウンドは、ローファーのかかとを喉元に受けて、再度吹き飛ぶ。


 しかし、斃したわけではない。やっぱり徒手空拳の状態では攻撃力が足りない感じだ。こんな時、得意にしている六尺棒があれば――


(あるニャン!)


 え? また? と、頭の中に響いた声に戸惑う。しかし、この場合はもっと戸惑う事・・・・・・・が起きた。蹴り脚を地面について半身に構える私の手に不意に重さが発生したのだ。それで、驚いて手を見ると、いつの間にか「有ったらいいな」と思っていた愛用の六尺棒を握っていた。もう訳が分からない。


「何で?」

(いいから、やっつけるニャン!)


 私、ついに仕事のストレスで頭がおかしくなったのかな。やっぱりお医者に診てもらおう。そう考えるも、身に染み付いた技というものは不思議なもので、ヨロヨロと立ち上がり掛けたメイズハウンドへ六尺棒を叩き付けていた。


 不意に手の中に現れた六尺棒はまぼろしでも勘違いでもなく、実物だった。その結果、


「ギャワンッ!」


 大上段からの振り下ろしをまともに受けたメイズハウンドは背骨をくの字に圧し折られて沈黙。しかし、モンスターはこの1匹だけじゃない。


「た、助け――うわぁ!」


 駐車場に駆けこんで来た若い警察官の悲鳴。どうも追い付かれたらしい。とここで、さっきから頭の中で鳴り響いていた声が、今度は耳から聞こえてきた。それも、声の発生地点は私の……シャツの内側?


「もう、じれったいニャン!」

「きゃぁ!」


 突然もぞり・・・と胸の上で何かが動く。その何かが、


「ちょっと、ごめんニャン!」


 と言うと、次の瞬間、スーツの下でブラウスのボタンが第2ボタンまで弾け飛んだ。そして、胸の上に乗る格好で姿を現したのは、クリーム色の体毛が柔らかそうな、


「は、は……ハムスタぁ?」

「ニャン! 緊急事態ニャン!」


 そのハムスターは一瞬だけ私の顔を見上げると、次いで正面に向き直る。いつの間にか、その小さな手(前足?)には「ザ・魔法少女」と言う感じのステッキが握られている。それで、喋るハムスターはそのステッキを前方へ向ける。その先には2匹のメイズハウンドに圧し掛かられて転倒した警察官の姿がある。


「まずは自分に[カモフラージュ]! お次は犬っころに[スリープ]、おっけーニャン!」


 もう、理解の限界を超えている。突然メイズの外に出現したモンスターといい、頭の中に響く声といい、突然現れた六尺棒といい、この時点で理解の限界を突破している。しかし、シャツの内側から現れた喋るハムスターはまだ不足なのか、メイズハウンドに向けてステッキを振るうと、いきり立っていたメイズハウンドを2匹ともその場でダウンさせてしまった。


 「脳味噌がキャパオーバーでダウンする」という感覚は多分産まれて初めての体験だ。お陰で、


「さぁ、寝ている内に斃すニャン!」


 という指示(?)にもすんなり従ってしまう。疑問が多すぎて疑問が浮かばない感じだ。そんな状況で何とか捻り出した精一杯の疑問は、


「なんでハムスターなのに語尾がニャンなの?」


 というものだった。


*********************


柿崎かきざき! おい、柿崎、しっかりしろ!」

やっさん、い、痛い……っす」


 場所は体育館入口、入って直ぐのエントランス。メイズが出来たという用具保管室の扉の前だ。そこに在った長椅子に全身傷だらけの若い警察官(柿崎巡査さんというらしい)を横たえる。手伝ってくれたのは年配の警察官(こっちは安井やすい巡査部長さん)。それで、今は安井さんが柿崎さんに声を掛けている状態。


 喋るハムスター・・・・・・によって眠らされたメイズハウンド2匹を私が斃したところで、異変に気付いた安さんが姿を現し、そこから柿崎さんをここまで担いで運んで来た訳だ。ついでに柿崎さんの拳銃も回収している。

 

(喋るハムスターなのは間違いないけど、名前はハム美ニャン!)


 さっきからそう言ってうるさいので、今後はハム美と呼ぶことにする。そのハム美は柿崎さんを覗き込むように同じ長椅子に乗っかっているが、安さんは気にも留めていない。「気にしていない」というより「気付いていない」といった感じだ。


(私の魔術の効果ニャン。よっぽど勘の鋭い人じゃないと[擬態術カモフラージュ]は見抜けないニャン)


 なるほど……って、感心している場合じゃない。というのも柿崎さんの怪我は可成り深刻だ。右手の手首から先を失っていて、全身に結構深い咬み傷や引っ掻き傷がある。直ぐに救急車を呼びたいところだが、相変わらず携帯電話も警察無線も繋がらない。体育館の事務所には固定電話があるだろうけど、事務所のドアは施錠されていて進入できない。


 いっその事、事務所のドアを蹴破るか……。警察官の前で器物損壊するのは気が引けるけど、この場合、緊急避難的な感じで勘弁してほしい。そう、私は決心しかける。そこへ、


(待つニャン、回復ヒールは使えないけど[止血術ヘイモスタッド]なら使えるニャン。里奈様、ちょっと手を出すニャン!)


 ハム美はそう言うと私に両手を柿崎さんの上に出すよう促す。因みにハム美は何故か私の名前を知っていて「様」付けで呼ぶ。まぁ、それは良いとして、私はハム美の言う通りにする。同時にハム美を同じような姿勢になり、そして、短く。


止血ヘイモスタッドニャン!)


 と宣言。すると、柿崎さんの右腕からの出血が目に見えて少なくなる。


(止血、止血、止血ニャン!)


 そのままハム美は同じ言葉を繰り返し唱える。すると、全身いたるところからジクジクと滲み出ていた血がどんどん止まっていく。しかも浅そうな傷口はピンク色の新しい肉が盛り上がって塞がってしまった。


(これで、安静にしておけば死なないニャン!)


 凄いな……これってメイズで取れるスキルなのかな?


(スキルとは違うニャン。私のは[魔術]ニャン。でも詳しい話は後回しニャン!)


 そうよね。でも後回しにした疑問は既に山のように高く積み上がっているから、ちゃんと説明してよね。


「おお、柿崎。血が止まったぞ!」

「そ、そうですか……ちょっと楽になりました」


 そんな言葉を交わし合う警察官2人。その内、安井さんが私の方を見て、


「もしかして、今のは君が?」

「いえ、断じて違います!」

「え、でも……」


 面倒な疑問を持った安井さん。きっぱり否定する私。一方、「少し楽になった」といった柿崎さんは突然大きな声を上げた。


「ああ、そうだった。やっさん、子供たちが!」


 その声で、体育館に来る途中に見かけた、遊んでいる子供たちの光景を思い出した。これって、マズイんじゃないの?


(……これは……マズイ、ニャン……)


 頭の中に響いているハム美の声にも、息を呑むような雰囲気があった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る