*幕間話 乙状況の報せ


 2020年12月24日朝、その報せは余りにも唐突にもたらされた。


 第一報は米国の東部標準時23日15:00頃、日本時間の24日早朝5:00、在米日本大使館のルートだった。但しこの時点では発生した事象を正確に把握しておらず、日本政府に届いた情報は ――ニューヨーク市とロサンゼルス市の一部地域で住民の大規模暴動発生―― という現地の安全に関する注意情報だった。


 しかし、その情報は続く第二報のショッキングな内容によって否定されることになる。


 ――米国、ニューヨーク市ブロンクス地区、及びロサンゼルス市スキッド・ロウ、リトルトーキョー地区でメイズからの魔物の氾濫、スタンピード事象の発生を確認――


 第二報は現地米国の東部標準時23日18:00頃、日本時間の朝8:00前後に、在米日本大使館ルート、米国国務省からの外交ルート、そして赤坂プレスセンターの米軍情報統括部隊経由の防衛ルートからほぼ同時・・・・に日本政府の別々の担当部局に伝えられた。


 これまでも時折海外から発信されることがあった「不正確な噂話」や「悪質な悪戯」レベルの話ではない。米国の政府機関が確認して発した公式な情報だ。そのため、日本政府の関係各所は朝8:00の第二報を機に、一気に慌ただしく動くことになる。


 ただ、この時点で第二報の内容を知る者は未だ限られた立場の人間のみだった。理由は幾つかある。まず、報道各社が第一報の「大規模暴動」の情報によって朝刊や朝のニュースを構成していたことが挙げられる。そのため、ショッキングな第二報の内容を報道各社が嗅ぎ付けた時には、既にニュースの発信は終わった後だった。また、報道各社と日本政府が事前に結んだ「報道協定」も抑制的に作用した。


 一方、現地の情報は個人発のSNSでも拡散されているが、その情報も恐らく米国内で情報が錯綜している背景を受けて、不正確な内容であった。一部では「モンスターが暴れている」という内容の動画もあったが、これまで散々SNS上をにぎわせてきたフェイクニュースだと受け取られる傾向が強い。


 あくまで「今のところは」だが、日本国内は混乱する事無く、平凡な日常をスタートしている。そんな状況下で、臨時の国家安全保障会議が開かれたのはこの日の11:00過ぎの事であった。


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「――ニューヨーク市、ロサンゼルス市、どちらも乙状況・・・の中心となったのは未発見のメイズだったと思われます」

『瀬川君、それは君の推測か?』

「いえ、在日米軍の情報参謀からの情報です」


 国家安全保障局のメイズ担当瀬川局次長は、モニター越しに発せられた平川内閣危機管理監の質問に答える。すると、


『以前からメイズがあるのでは? と噂されていた地区だそうですが、治安が悪くしっかりとした調査が出来ていなかったということです』


 と、防衛省側の出席者が別のモニター内で瀬川局次長の答えを補完する発言を発した。


 現在の議題は、ここ数時間で集めた現地情報の報告になっている。ただ、離れた場所で、更に治安が悪い地域での直接的な情報収集は実質不可能だ。そのため、米国政府や軍の関係者からの伝聞が主な情報源になる。


「後は、IMS、日本では国際メイズ学会と呼ばれているメイズを学術的に解明しようという民間団体が発した情報ですが、どうも数日前から警告を発していたようです」

『民間の警告? どんなだ?』


 瀬川局次長の追加的な情報に問い質すような声を発したのは官房長官。民間団体と聞いて少し胡散臭そうな顔をしている。その反応に瀬川局次長は溜息を押し殺して説明を始める。


 曰く[メイズ放射物MEO]という正体不明の何か・・が電波に干渉することは既に知られているが、IMSはニューヨーク市の委託を受けて市内各所でこのMEOの値を定点観測していたらしい。それで、正確には21日の夜からブロンクス地区の或る場所で不自然な数値上昇が観測された、という事だ。


「現地の23日10:00前後からは、実際の電波障害が起こっていたようです」


 瀬川局次長のこの情報に、これまで黙って聞いていた飯沼総理が声を発した。


『確か、国内の既存の各メイズには同じように電波の干渉度合を測定する……魔素干渉量計でしたか? あったと思いますが、数値はモニターしているのですか?』


 流石にメイズ関連の法整備に携わっていただけあって、飯沼総理は現場にも詳しい。しかし、


「あ、生憎ですが、常時モニターしているわけでは……」


 対して答えるのは[管理機構]の専務理事。ちなみに、管理機構のメンバーは専務理事以外に資源開発部の江口部長と関東課の佐原課長が全保障局の会議室・・・・・・・・から出席している。朝一番に瀬川局次長に呼び出されたのだ。


『やっていないのは仕方ないですが、出来るようにした方がよさそうですね』


 飯沼総理はそう答えて、議事の進行を促した。


*********************


 その後、安全保障会議は昼時間になって一旦中座した後、飯沼総理の次の予定がある14:00まで続いた。米国で発生した乙状況・・・が未発見メイズによって引き起こされたという情報がほぼ確定的なため、会議はその後、日本国内で先週立て続けに報告された新しいメイズへの初期調査の進捗状況が議題となる。


 国内で新しく発見されたメイズの総数は14カ所だったが、その内自衛隊が受け持った4カ所中、中京地区3カ所は既に調査済み。残りは井之頭公園内の中規模メイズだが、こちらは正にこの日の午後から着手となっていた。


 一方警察関係が引き受けた4カ所は、阪神地区の1カ所のみ調査完了で、残り3カ所については「スケジュール調整中」という状況だ。私有地内が多いため、所有者との調整に難航しているという説明だった。


 また、[管理機構]が引き受けた阪神地区2カ所と関東東京都内4カ所については、[荒川][練馬]が実施済み、[小金井]が今日の午前開始、[太磨]は来週月曜日の予定となっていた。


 実はこの時、会議にリモート出席している警察関係者内でちょっとした情報の取違え・・・・・・に気が付いた者がいた。彼の手元の資料では[管理機構]が昨日実施した初期調査は[小金井緑地公園]と報告されている。そのため、今日の朝から[小金井緑地公園]近隣の封鎖解除を指示してあることに気が付いたのだ。ただ、この人物はその事を会議で発言しなかった。身内のミスを隠すという判断と、モンスターがメイズの外に出るという「乙状況」など「どうせ起こらない」というバイアスが働いたためだ。そのため、会議はその事実を見過ごしたまま先へ進んだ。


 その後の会議では、警察関係と[管理機構]に対して残りのメイズ調査を早急に実施するよう、かなり強めの指示が下された。そして、進捗情報を平川内閣危機管理監に集約する、という取り決めが行われた。


 また、その他の決定事項として、自衛隊の電波観測装置を用いて異常な電波障害が発生していないかモニターすること、念のため警視庁及び各県の警察本部に内々の警戒態勢を取らせ、全メイズ周辺の警備レベルを引き上げること、自衛隊の関東・中部・関西の各方面部隊に出動待機態勢を取らせること、が決定された。警察の警戒態勢と自衛隊の待機態勢については事前に想定されていた[乙状況]に対する準備になる。


 しかし、この内の待機態勢に入った自衛隊への実際の出動命令は、メイズを対象とした場合の法整備が未着手であったため、[防衛出動]または[治安出動]という形を取らなければならない。どちらも発令は内閣総理大臣が行うが、現行法規に対する拡大解釈が含まれる敷居の高い・・・・・政治決断になる。


 そのため、つい最近発覚したメイズ隠匿で政府に借りがある大池東京都知事へ根回しが行われることになった。万が一の事態が発生した際は、東京都知事の要請・・・・・・・・を下地とした[治安出動]を発令するためだ。これならば多少は政治的リスクを分散できる、という判断だ。また、総理大臣による命令を伴わない[災害時派遣]を行う方法も検討されることになった。


 ただ、会議の出席者達がこうした政治的根回しを思案している内にも、彼等が想定した「乙状況」は既に想定の枠を超えて現実のものになっていた。その緊急情報が彼等に周知されたのは、会議終了の実に1時間後であった。

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