*28話 溜息と緊張の日
2020年12月22日
メイズ潜行の予定が無ければ、基本的に何もやることが無い。この日もそんな感じの日だ。ただ、何もやることが無いからといって、ダラダラと昼過ぎまで惰眠を貪ったりしない。というか、出来ない。身に染み付いた習性というのは恐ろしいもので、結局朝の6:00には何もなくても目が覚めてしまう。
かなりしつこく起こさないと起きてこない千尋とは大違いだ。兄妹だけど、これまでの社会生活で身に付いた生活習慣の違い、ということだろう。千尋はスパッと寝覚めの良い俺を羨ましがるが、その一方で俺はずっと寝ていられる千尋が羨ましいと思う。兄妹だって、隣の芝は青く見えるのだ。と、そんな事を考えながらリビングのエアコンをONにしてインスタントコーヒーをすする。
マンション1Fのコンビニでバイトをしている千尋の出勤時間は7:30だから、だいたい6:40頃に千尋を叩き起こす。その後直ぐに朝飯を食わせて、後は女の子の身だしなみをやらせてから7:25に部屋から送り出す感じだ。そんな一連の流れが、メイズ潜行が無い日の日課になっている。
ということでコーヒーを飲み終えた俺は、日課の一部を占める朝食作りを開始する。まずは、昨晩セットしておいた炊飯器のスイッチを入れる。ちなみに中身はひと晩水に漬けておいた麦1割の麦飯だ。そして、冷蔵庫から長ネギ、うす揚げ、ベーコン、卵を取り出し、次いで冷凍庫から小分けにして冷凍しておいた常備菜のきんぴらごぼうを取り出す。
冷凍されたきんぴらごぼうを電子レンジに放り込み、雪平鍋を取り出して給湯ポットから湯を鍋の7分まで注いでコンロに掛ける。そして、まな板と包丁を取り出し、長ネギを白い方から半分ほど斜めに切り置く。と、ここで鍋の湯が沸騰し始めたので、まな板の上のネギを一旦味噌汁用の椀に退けて、代わりに薄揚げをまな板の上に広げる。そして、まな板を流しに向けて傾けて、熱々の湯を半分程度ゆっくりとうす揚げに流し掛ける。ムワッと白い湯気が上がって、冷えていた流しのステンレスがバコッと音を立てる。
と、ここで電子レンジが音を上げてきんぴらごぼうの解凍完了を告げる。それを背中で聞きながら、軽く油抜きした薄揚げを小さく刻んで長ネギと共に雪平鍋に放り込み、粉末出汁を少し多目に投入。コンロの火を弱めて雪平鍋は一旦放置。
ついで、懐かしいIH対応フライパンを取り出す。今のマンションはガスなのでIH対応品でなくても良いのだけど、初めてメイズハウンドを斃した時の武器なので今も使っている(ちなみに千尋には内緒にしてある)。フライパンをコンロの火に掛けて、電子レンジからきんぴらごぼうを取り出してフライパンの中に投入。ジュジュゥという音が徐々に大きくなるのを聞きながら、ごま油を少量回し掛ける。これで、冷凍きんぴらが作りたてのような風味になるから不思議だ。
その後はきんぴらごぼうを小鉢に盛って、軽くフライパンを洗った後にサラダ油を薄く引いてベーコンエッグに取り掛かる。ちなみに俺はベーコンカリカリ党だが、千尋はしっとり党だ。ということで、ベーコンエッグのベーコンはしっとり仕上げることになる。これが兄の愛だ。
後は味噌汁を仕上げたり、ベーコンエッグを皿に盛ったり、冷蔵庫から白菜・きゅうり・人参・ショウガの浅漬けを取り出して小鉢に盛ったり、それらをリビングのテーブルに並べたりしていると、炊飯器も炊き上がりを報せるアラーム音を立てた。準備完了だ。
我ながら手際が良いと短く自画自賛。自炊経験自体は微妙だから味は
それに、出来上がりも見栄えだけなら、前に千尋が読んでいた雑誌で特集されていた「モテる料理男子特集」に出ていた内容とそん色ないだろう。ただ「モテる男子が料理を作る=モテる料理男子」と「ただ男子が料理を作る=ただの自炊男子」という構図は冷酷な現実だ。しかも26歳だから「男子」というのも
「はぁ」
なぜか朝から溜息が出る。
その溜息ついでにふと見上げると壁の時計が6:40を指していた。そろそろ千尋を起こす時間だな。という事で気持ちを切り替えてスマホを取り出し、千尋にコールを入れる。妹とは言っても年頃の女性なので、部屋に突入して物理的に叩き起こすことは出来ない。なので代わりにスマホに連続コールを掛ける。スマホのアラームは高確率で無視するくせに、電話やメッセージの着信音には反応するところが面白い習性だなぁ、などと考えながら14回目のコールで、やっと千尋が電話に出た。
『おはよう……』
「おう、起きたら朝飯出来てるから、さっさと食べてくれ」
『……はぁぃ……』
その後、暗めの茶髪に染め直したぼさぼさ頭で部屋からモッソリと出てきた千尋に飯を食わせ、調子が上がって来た千尋と、
「お兄ちゃん料理男子振りが板に付いて来たね、やっぱりモテたいの?」
「うるさい、千尋も女子力云々ならこっち方面を鍛えろよ」
「え~、私食べ専だから」
「なんだよ、そんな太りそうな言葉初めて聞いたぞ」
「太ってないですぅ!」
などと軽口を言い合いながら、朝食終了。
ちなみにハム太の朝はもっと遅い。アイツは深夜までネットサーフィンをしている自堕落系造魔生物なのだ。
*********************
日中、この日は珍しく何本か電話があった。
まず1本目の電話は田中興業の市川君からだった。意外な人物からの電話に驚いたけど、市川君が言うには前回[調布ビルメイズ]で
『ウチの若い連中がお世話になりました、社長も驚いたり怒ったりでもうその……アイツらには十分お灸を据えましたので、本当にすみませんでした』
とのこと。他にも色々と言っていたが、俺としては余り関わって縁が深くなるのも嫌なので、適当に返事をして電話を切った。まぁ、そうは言いつつ、お礼を言われると嫌な気はしない。流石にそう言う点がしっかりしているのは田中社長の教育なんだろう。ただ、今時「お灸を据えた」なんて言葉は中々聞かないな、とも思った。
それで次の電話は岡本さんからだった。曰く「明日のメイズだけれど、[管理機構]から依頼があったから行先を変更する」とのこと。なんでも、幾つか新しいメイズが発見されたので[受託業者]PTに初期調査を依頼しているらしい。それで、改訂版契約書に追加されていた[協力義務]を盾に、初期調査に協力することを求められたということだ。
ただ、「頼む」というよりも「強要」めいた依頼のされ方だっったようで、電話口の岡本さんは少々ご機嫌斜めだった。なので俺はと言うと、岡本さんの家族の具合を訊ねたりして、話の方向を少し変えた後に電話を切った。
ちなみにインフルエンザ後の療養中だった岡本さんの奥さんとお子さん2人は昨日から通常モードに移ったらしい。また、行先変更となった明日のメイズは、元々予定していた下赤羽のメイズから近い荒川公園に出来たメイズということだった。そのため集合時間と場所は相変わらず西国分寺駅に朝7:30ということだった。
また、岡本さんは同じ電話で「それはそうと、ちょっと迷惑をかけたからお詫びといってはなんだけど24日の夜に食事会をしようと思う」と言い出した。こちらの方は、岡本さんの奥さんの発案らしく、いつも旦那がお世話になっているPTの皆さんと食事でもしながらお話をしたい、ということらしい。それで、家族同伴で花小金井駅近くの店で忘年会を兼ねて食事会をしよう、という事だ。
24日って何か予定があった気がしたけど、まぁ岡本さんの奥さんのお誘いだから、俺は「良いですよ」と簡単に考えて答えた。そして、これが大いにマズかったらしい。
*********************
3つ目の電話は珍しく朱音からだった。ただ、いつもの感じとは違い、電話に出たなり朱音は、
『ひどいですよコータ先輩!!』
と抗議してきた。それで理由を聞くと、24日はデートの約束があったらしい。一瞬「誰の?」と思ったが、
『ちょっと前の反省会の時に約束しました! コータ先輩とです!』
ということ。それで思い出した。あちゃー、と思ったがもう遅いみたいだ。
岡本さんは俺に電話した後に朱音、飯田の順に電話をした模様。それで電話を受けた朱音は「コータ? 来るって言ってたけど?」と岡本さんに言われて渋々お誘いを了承。その後抗議の電話を俺に掛けてきたという感じだ。
『酷いです! レストランとかホテルとか予約してたのに!』
なんでホテル? と思わないでもないが、まぁそこは平謝りに謝った。それで最終的に、
『今後、コータ
というよく分からない2択を強要されることになった。ちなみに「パイセン」と呼ばれるのは生理的に受け付けないので「じゃぁ25日で」と返事をする。すると朱音は、
『約束ですよ、25日は何でも言う事聞いて貰いますから覚悟しておいてください、じゃぁまた明日!』
といって最後は機嫌良さそうに電話を切った。「なんでも言う事を聞く」というオプションがいつの間にか付け足されていたけど……いや、それ以前に前もって「デートだ」と言われてデートするのってどうよ? ちょっと緊張しちゃうんですけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます