*幕間話 丙状況発生?


2020年12月16日


 この日、東京都千代田区永田町の新合同庁舎(通称新本府ビル)内に設置された国家安全保障局は、先日から引き続く騒がしい雰囲気を醸していた。取り扱う情報の機密性が高いため、内閣府のその他部局よりも奥まった場所に1段階高いセキュリティーを施されて設置された部局だから、騒音が外に漏れるという事はない。それでも、出入りする人間の数やその歩調の慌ただしさから、何事か尋常でない出来事が生じたことをうかがうことが出来た。


 この慌ただしさの渦中、中心に居るのは瀬川隆司せがわたかし国家安全保障局次長。局内職掌しょくしょうでは[国内メイズ問題担当]と[政策第1班][戦略企画班]を管轄しているが、今週月曜からずっと国内メイズ問題に振り回されている。続々と新しい情報が彼の元に集まり、50過ぎのエリート官僚である彼も、流石に顔色を失う様相だ。


(丙状況発生と認定してよいものか……)


 丙状況。日本国政府が内々に設定したメイズに関する緊急事態区分の一つに ――都市部における同時多発的メイズの出現と固定化―― というものがある。それが丙状況だ。その状況が(少なくても表面上は)現実に発生したと思わざるを得ない事態が目の前にあった。


「吉池、状況をアップデートしてスクリーンに映してくれ」

「はい……」


 瀬川局次長が呼ぶ吉池局員は本来ならば欧米諸国を担当する[政策1班]の係官だ。ただ、現状国内メイズ問題を専任する班が存在しないため、瀬川が局次長権限で専属に近い形の役割を割り当てている。他にも瀬川が采配出来る範囲で若手を中心としたメンバーを暫定的に今回の件に当たらせている。全員が20歳ほど歳の離れた若手キャリア達だが、瀬川から見てもそれなりに優秀な男達だ。


「地図上にマーカー表示で出します」

「ああ、頼む」


 吉池の声の後、局次長室の大きな液晶ディスプレイに東京都西部と埼玉神奈川を含んだ地図が表示される。地図上には黒・青・赤の3色の異なったマーカーが表示されている。


「黒が自衛隊管理の3つのメイズ、青が[管理機構]管轄のメイズ、そして赤が新しく発見されたメイズです」

「太磨霊園、中芝重工府中北事業所、井之頭公園、小金井緑地公園、羽村、練馬区総合運動公園、荒川公園、……7カ所も……か」

「米国からシェアされているMGMS規格では、井之頭公園内のメイズが中規模、他は小規模のようですが、現地調査は必要だと思われます」

「うむ……平川危機管理監へつないでくれ、明日の定例安全保障会議で議題に挙げる必要がある」

「わかりました」


*********************


 事の発端は今月初めの12月2日のこと。府中の太磨霊園管理事務所の電話番号から一本の通報が[管理機構]にもたらされた。曰く、1年半以上前から霊園内資材置き場にメイズのような穴が出現しているが、東京都は何も対策を行ってくれない。何とかしてくれ。とのこと。


 ただ[管理機構]は本来そのような通報を受ける立場でない。そのため、この通報案件の処理は翌週月曜の定例報告会に持ち越しとなった。そこで通報内容が出席していた平川内閣府危機管理監(元官房副長官補)の耳に入り、内閣府から霊園を管理する東京都へ事実の問合せを行う事となった。


 その後、幾らか紆余曲折を経たが、結局東京都は太磨霊園内のメイズの存在を認めることになった。それが、12月11日の事だ。東京都の釈明によると、霊園管理は都の管轄だが、府中市の強い要請を受けて今年の9月まで公表を控える取り決めが担当者レベルで存在したとのこと。理由は東京オリンピックだ。太磨霊園付近が自転車ロードレース競技のスタート地点となっていたため、影響を恐れて公表を控えたとのことだ。その後、オリンピック自体が来年に延期となったため、霊園内のメイズの存在もズルズルと隠蔽され続けていたという。


 一方、東京都が内閣府の問合せに対してメイズ隠蔽の事実を認める一日前、東京都知事大池敬子から内密な「調査報告」として、他にも幾つかのメイズの存在が隠蔽されている可能性がある、という内容の報告が首相官邸に齎された。恐らく「自分は隠蔽に関与していない」というアピールだと思われるが、その情報によって一気に調査が進んだのは確かだった。


 結局、11日に府中の太磨霊園内と板橋区の荒川運動公園、14日に井之頭公園内と練馬区総合運動公園内、15日に小金井緑地公園内、16日に中芝重工府中営業所敷地内と羽村市内の自動車会社工場敷地内、と言う具合に立て続けに7つの隠蔽されていたメイズの存在が明るみに出た。


 まさに日本政府が想定した「丙状況」が発生した、と言うべき事態だ。ただ、発生メカニズムが不明なメイズの同時多発を想定した状況は、皮肉にも人為的な隠蔽が一気に明るみに出る、という形で現実化してしまった。ただし、背景がどうであろうとメイズの数が倍増した、という事実だけは変わらない。


*********************


2020年12月17日午前


「こんな事態は想定していた丙状況とは言えないですな」

「都の隠蔽とは……いささか驚きました」

「まぁ東京についてはそうですが、阪神地区、中京地区にも新しいメイズが出来ていたというのは」

「そこは、自治体との連絡不備としか言い様がありませんな」


 ネットを通じた多元中継のWeb会議で開催された安全保障会議。この日の安全保障会議は月に2回開かれる定例会議だ。出席者は飯沼総理大臣以下、官房長官、外務相、防衛相の4大臣級を中心に、国家安全保障局の局長・局次長、及び関係省庁の官僚達になる。ただし、通常の定例会とは異なり議題は一気に増えたメイズへの対策が中心となった。


 ただ、冒頭の会話でもあるように、一気に増えたといっても人為的な原因によるものであるため、緊急度合いは最初からトーンダウンしている。


 それでも、東京西部だけで7件増え、さらに阪神地区で4件増加、これまでメイズが発見されていなかった中京地区愛知県北部で3件新たに発見されている。東京以外での発見は、12月11日からの一連の出来事が引き金となって全国の自治体に再調査を依頼した結果だった。


「真に丙状況が起こったとは言い難い面があります。しかし増えたメイズへの対処は必要でしょう。この点を話し合いたいところです。先ずは現状の説明をお願いします」


 と飯沼総理。この発言を受けて、安全保障局の瀬川局次長が現在の状況を説明する。


「――以上が新たに発見、認知されたメイズになります。現在周辺には立ち入り制限の非常線と交通規制を敷いており、2016年と18年の前例にならえば、内部の初動調査が済むまでは現状維持を続けるべきかと思われます。また、接近防止措置については、適切な設備が整うまで警察官を配備して警備を行うべきと考えます」


 瀬川局次長の発言は安全保障局の任務である状況分析と対応の助言を網羅したものだ。これに従うか別の策を選択するかは政治家である各大臣に委ねられ、話し合いの結果、内閣総理大臣の名前で方針が決定される。しかし、


「当面はまず交通規制を解除するために内部調査を行うべきですが――」


 瀬川局次長の発言を受けた平川危機管理監の言葉は、官房長官と防衛大臣によって遮られた。


「内部の初動調査を自衛隊にやらせて、また殉職者が出たら今度こそ問題になる」


 とは官房長官。この人物は飯沼総理よりも年上で、何度も入閣経験があるベテラン議員だ。そのため、肩書は官房長官だが言葉の端々は総理大臣よりも横柄で総理らしい。官邸記者クラブの記者たちからは官房総理大臣と呼ばれている。


 一方防衛大臣の方は、


「防衛省としては、初動調査への部隊派遣は過去の事例から緊急度が低いと言わざるを得ません。部隊を動かす法的根拠に乏しいと……後は、七王子や赤梅、奥太摩メイズのような自衛隊による直接管理メイズを増やすことも受け入れにくい状況です」


 と少し切実な発言であった。確かに人員不足は自衛隊でも深刻な問題になりつつある。その上、メイズでの任務には特に若手現役自衛官の反発が大きい。[受託業者メイズ・ウォーカー]の収入面ばかりがクローズアップされて報道された結果、大した危険手当が出ない現役自衛官の士気が下がるの当然の帰結といえる。


 この後、会議は新たに発生したメイズの初動調査をどうやって行うか? に議論が集中した。話し合いは「やはり自衛隊にやらせるべき」という意見と「脅威強度が低いのだから警察がやるべき」という意見に割れて平行線を辿る。そんな状態の議論に、


「[管理機構]の人手では増えた分のメイズを管理しきれませんな」


 というどこか他人事な岡崎先々エネ担当大臣の発言も加わり、結局、議論は結論を見ないまま1時間ほど継続した。元々の所定時間が40分の予定であったことから、最終的に官房長官の、


「そもそも丙状況ともいえない緊急度の低さだろ。だったら各省庁の大臣官房レベルで調整してくれ、安全保障会議で話す内容ではない」


 という言葉が実質的な幕引きとなった。その上で官房長官は、


「平川君、君が中心になって対応策を纏めてくれ。そうだな……明日の午前までに対応策を持って来てくれ」


 と平川危機管理監を指名して対応を一任した格好になった。

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