*幕間話 任務伝達、行動開始


2020年12月某日


 港区元麻布の在日中国大使館から程近くの場所に在日華人商工企業会館というビルがある。外観は古びているが、落ち着いた洋館風のおもむきを保つ3階建ての建物だ。1972年の日中国交正常化の翌年に初めての外交官が来日した際に寄宿した建物ということで由緒正しい。今はその名の通り、大陸に所縁ゆかりのある民間企業のための商工会議所のような役割を果たしている。


 その建物でこの日、2020年を締め括る年末会合が開かれていた。参加者は有名な中国系企業の日本支社役員や、昔から日本で商売をしている華人貿易商社、果ては中国大陸に進出した日本企業の本社経営陣など多種多彩。会合自体は午前11時頃から始まり、途中軽食による昼食会を挟み、午後3時には終了する予定になっている。


 但し、集まった中国大陸所縁の企業人の全てが会合の会場である2階ホールへ集まる訳ではない。中には、この機会を利用して個別に商談や行う者や旧知の友好を温め直す者達もいる。そんな者達は1階に幾つかある応接室や打合せ室に入り、各々の用件を済ませた後に会合に合流する形になる。その辺の風紀は随分と大らかで、その点を取っても日本人が行う会議会合とは毛色が異なるものだ。


 ただ、中には参加者の殆どが何の用事もないはずの3階へひそかに足を運ぶ者達の姿もある。そんな者達は今日の会合を華人が多く集まる蓋然性の高い場として別の目的で利用する事を意図している。例えば日本国内で諜報活動を行う中国共産党政府関係者などは、常に日本の公安外事警察による緩い監視下にあることを認識・想定しているので、このような多数の華人が集まる場所を隠れ蓑に打合せを行う場合が多い。


 この日の在日華人商工企業会館3階の一画で行われた面談もそのような性質のものであった。


**********************


「先ずは昇進おめでとう、李経世リケイセイ次席主任」


 応接室に集まった3人の内、30代そこそこの若手経営者風の男に対してそう言う。反りが合わない部下だとしても、出世は祝わなければならない。それに出世の相場・・・・・から見れば5年ほど遅い出世なのだから尚更だ。しかし、私の言葉に当の李本人は、


「はぁ……どうも」


 と余り嬉しく無さそう。まぁ当然だろう。出世を拒んでいたのは李の側の我が儘だったのだから。今回の昇進はその我が儘が通じなくなった、という事を意味している。


 李の父親は現政権にも近い発言力のある太子党一派だ。その実子である李経世だから、本来ならもうどこかの部署の主任か局長補になっていても可笑しくない。なのにこの男は統合情報参謀本部第四局の在外情報工作員という立場に「本国に居るよりも自由で良い」という理由で留まり続けている。


 ふざけた理由だと憤る気持ちはあるが、ただ、動機が不純な割りに、李経世は工作員として優秀な男でもある。今年9月末の[地下空間構造管理機構]への管理システム機材納入も無事成功させたし、その直接的な要因となった岡崎敏夫おかざきとしお先々進技術・エネルギー開発担当大臣への所謂いわゆる美人計ハニートラップを計画し成功させたのも李の功績が大きい。


 もっとも成功ばかりではなく、我々統合情報参謀本部第四部局(略して統情四局)に因縁の深い深沢商事総帥の次男深沢雅治ふかざわまさはるへの接近工作は失敗している。ただ、運が良いのか要領が良いのか、深沢雅治への接近工作の障害となった水商売女の排除を直接指揮したのは、今日も同席している1級工作員の張学成チョウガクセイだった。そのため、李本人は失敗の報せにも涼しい顔をして過ごしている。


 一方の張学成1級工作員はその時の失敗が尾を引いているのか、今日も精彩を欠いた表情でこの場に臨んでいる。判官贔屓はんがんびいきは日本の文化だが、あからさまに落ち込んでいる部下を見ると元気付けたくなるのが人情だ。


 また、もう一人の1級工作員である魏陽行ギヨウコウは統情四局の1級工作員としては最年長であるが、出世を嫌がっていた李に先を越されて不貞腐れた表情になっている。こちらはこちらで、今は東京に巣食う中華系闇社会を通じて[受託業者]への浸透工作を行うという地味な仕事を根気良くやってくれるベテランの味がある工作員だ。やはり頑張って欲しい。という事で、


「李次席主任の後に続き、皆も一層頑張ろう」


 と発破を掛けるつもりで声を掛ける。しかし、


「ところで王主任、統情四局の在日1級工作員の半分が一度に集まるのはどんな理由ですか? まさか昇進祝いじゃないとは思いますが」


 と空気を読まずに発言するのはやはり李だ。まぁ、太子党の子息で生まれながらのボンボン小皇帝に空気を読むことを求めるほうが無理か。


「当面の活動方針について、統合情報参謀本部から指示通達があった。それを伝えるために呼んだのだ」


 流石に統合情報参謀本部の名前を聞くと、李であっても少しピリッと緊張するようだ。そうやって緊張感を醸し出した3人の部下を前に、


「第四部局の在日情報工作員、我々だな……がメイズ関連の日本政府の政策を監視し情報収集を行う方針に変わりはない、しかしこれからは新たな任務が加わる事になる――」


 そう前置きをして本題に入る。


**********************


 これまでの統情四局の任務はまさに前置きで言った通りの監視と情報収集だ。もっとも情報収集といってもマスコミ報道をぼーっと眺めている訳ではない。[管理機構]や[先々進技術・エネルギー開発推進局]の内部内情を深く知るための工作を含んだ意味での情報収集だ。


 そのため、岡崎担当大臣を始め幾人かの高級官僚や管理機構の理事職には金であったり女であったり、はたまた個人的な醜聞であったり、凡そ人の弱みになりうる糸口を見つけて付け入ろうとしてきた。


 ただ、それらの活動はどちらかといえば後の活動環境を整えるための準備工作という意味合いが強い。それがここに来て、それらの準備を活用するべき指示が下された、という訳だ。


「第一に[管理機構]が提供する[鑑定業務]を実際に行っている人物を特定し周囲を調査する。第二に[管理機構]のデータベースから優秀な魔坑探索者メイズ・ウォーカーをピックアップして周辺調査と可能ならばコンタクトを行う。第三に日本政府が秘匿する中規模クラス以上のメイズの場所とこれまでの潜行記録を調査する。これらの任務は李次席主任に任せたい」


 指示を受けた李は了解の意味を込めて右手を挙げた。まぁ、ここまでの任務は分からないでもない。また、統情本部からも「最優先で」と告げられている。残念ながら一番優秀な者を優先順位が高い任務に付けなければならない。そんな理由からの采配だ。ただ、問題なのは次の任務からだ、


「次に張学成1級工作員には、管理機構が行う[鑑定業務]の結果を監視してもらいたい。重要なのは【天啓】【予言】【魔技創造】のいずれか、ないしは似たようなスキルジェムが発見された場合だ。ただちに報告するように」

「……分かりました……しかし、情報はそれだけで?」

「そうだ」

「わかりました」


 まぁこういう反応になるのは分かる。監視すべきスキルの名前が謎めいていて曖昧過ぎる。勿論私も統情本部へ確認したが、これ以上の情報は無かった。そして、


「最後に魏陽行1級工作員には、[先エネ局]が研究している内容を再精査し『メイズの人工発生』ないしは『魔素の濃度操作』に該当するものがある場合は研究を間接的に妨害する、という任務を任せたい」

「それ以上の情報はないのですね?」

「その通りだ」

「わかりました」


 と、こちらも曖昧な内容だ。ただ[先エネ局]が主導する研究活動を行っている大学や企業の研究室は統情四局こちらの手が行き届いているので、調べること自体は簡単だろう。だが、間接的に妨害というのは、言うのは簡単だが結構難しい。一応、経験豊富なベテラン工作員に期待する意味での配役になる。


「私の方で深沢雅治への接近工作と[受託業者]への浸透工作は預かるので、各自当面は今の任務に集中してほしい。以上、解散だ」


 結局この日の会合はこれで終了とした。一応全員が2階で行われている会合の参加者であるため、程よい時間に会合に戻らなければ不自然になってしまう。最近は同じ中国人というだけでは何かと信用が置けない時勢になって来たため、不測の自体を避けるための配慮だ。


 全員が少しずつ時間をずらして応接室を出て行く。その結果、最後に李と私の二人きりの時間が出来てしまう。その時間が終わる間際、李が変な事を言った。


「深沢雅治にけしかけようと思った女……主任に預けますので好きにしてください、面割れとかはしてませんから、ワンチャンスもう一回使うのも良し、適当に捨てるも良しで」


 李はそんな事を言うと、「後で連絡させます。前に赤坂のビルに来ていただいた時に応対した女性社員ですよ」と付け加えて応接室をさっさと出て行ってしまった。子飼いの女をこっちに預けるとは、私にそういう事を仕掛けて来ている訳でもないだろうし、良く分からない男だ、まったく……。

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