*幕間話 チヒロのお仕事


 エレベーターが4階に到着してドアが開くと、待ち構えていたように


「いらっしゃいませ、深沢様」

「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」


 とフロア総取締役の三城さんを始めとした黒服の人達が出迎える。


「こんばんわ。今日もお邪魔します」


 対して、私を同伴してくれたお客さん、深沢雅治ふかざわまさはるさん(マー君て呼んでねと言うので、マー君と呼んでいる)はそう言うと、私の方を見て、


「チヒロちゃんは着替えてくるんでしょ、先にテーブルで待ってるよ」


 とのこと。小太りな体型でそれほどカッコイイという訳ではないのだけれど、こういうさり気ない気遣いを言葉で表現出来るお客さんってそうそう居ない。30代半ばの年齢に見えるけど、妙に余裕がある。「本物のお金持ち」っていう感じだ。


「ごめんなさい、マー君。直ぐに戻りますから」

「寂しいから早くしてね~」


 ということで、お店の入口ホールで一旦別れた私はバックの着替え室へ向かう。店内用のドレスに着替えて、お店のスタイリストさんに髪を直してもらい、身支度を整えてフロアへ戻る。同伴の時はいつもこんな感じだ。


 ここキャバレークラブ・グラヴィアスは新宿傾奇町1丁目の好立地に建つビルの4階と5階の2フロア分を占有する大箱の高級キャバクラで私の職場だ。20歳の時に高卒フリーターでは先が無いとい思い、初めて飛び込んだ夜の店。一応、大学か専門学校に通い資格を取るための軍資金を溜めるため、というのが当時の理由だった。でも、実際飛び込んでみると、この業界はそれほど甘いものではないと思い知ることになった。生活の質はフリーター時代よりも良くなったが、それでも結局、生活していくので一杯一杯なのだ。


 しかも、身から出た錆と言うべきか、初めて大学生の彼氏が出来たと思ったら、騙されて借金を背負うことになってしまった。初めての彼氏に舞い上がっていた自分を、男を見る目の無い自分を本気で殴ってやりたい気分だ。しかし、今でこそそう考えるが、当時 ――僅か1か月とちょっと前―― の私は本気で自殺まで考えるほど追い詰められていた。


 そこをお兄ちゃんに救われた。正確には田中社長とお兄ちゃんの両方に救われたのだけど、やっぱり、1ヵ月という短期間で500万円もの大金を準備してくれたお兄ちゃんには頭が上がらない。何とか恩返しをしなければ、と思う。兄妹として色々としこり・・・が有るのは確かだけど、もう、そんな事を気にしている時ではない。メイズ・ウォーカーという危険な仕事をしてまで助けてくれたお兄ちゃんは、結局、私のお兄ちゃんなのだ。


 そんなお兄ちゃんの素振りを見て、キャバ嬢を辞めようかとも考えた。言葉にこそ出さないけど、辞めて欲しいと考えているのは確かだ。だけど、それだと500万円もの大金をお兄ちゃんに返済することは出来そうもない。しばらく、石に齧りついてでもこの仕事を続けなければならない。何年掛かるか分からないけど「ありがとう」の言葉だけで済むほどの恩でないことだけは確かだ。


 ただ、希望もあった。それがマー君だ……悪いがキャバ嬢にとってお金持ちのお客さんは餌でしかない。流石に一線を越える事は出来ないが(マー君も不思議と求めてこないけど)、その手前迄ならどんな事でもして見せよう、と思っている。


「良いわねチヒロ、マー君と毎週同伴でしょ」

「ねぇ、今日は何処に連れて行ってもらったの?」

「1丁目の鮨政すしまさだった、でも、ガッツいて食べる訳にもいかないし、結構辛いのよ」


 バックの着替え室で声を掛けてきたのは同僚のサユリとミホ。殆ど同時に働き始めて歳も近いのでよく話す。世知辛い話だけど、ほんの1か月前までは、私を含めた3人は万年Bランク選手なんて呼ばれていた。今はマー君のお陰でランクが上がっているけど、キャバ嬢の世界は随分と成果主義なんだ。


「じゃ、行ってきます」

「場内指名待ってます」

「ま~す」


 ということで、バックルームを後にした。


 マー君は私と仲が良いキャストにも場内指名を入れてくれる。同伴ではなく、数人で飲みに来る時はお連れの人にも本指名させて、ボトルを入れさせたりもする。それで4人から8人くらいのテーブルを作って2時間ほど楽しんだ後に、残り営業時間分のセット料金を払ってアフターという流れになる。


 ただ、アフターといっても下心めいたものは全然見せず、お腹が減ったなら軽くお蕎麦やイタリアン、ラーメンなんて時もある。でも殆どの場合は「お疲れ様、タクシーでお帰り」となる。先輩の方々の話を聞いても、これは太い客の中でも特上級に良い客らしい。


「チヒロ、大事にしなさいよ~」


 とは、お店最年長にしてAランクを守り続けるナオコさんの言葉。言われるまでもなく、大切なお客様だ。


**********************


「お待たせしました」


 マー君の待つテーブルに向かった私はそこでお辞儀をして……そして顔を上げて驚いた。だって、そこには見知った顔、田中社長の姿があったからだ。お兄ちゃんが私の借金を完済してくれた日の夜という事もあり、何しに来たのかと一瞬緊張する。でも……流石に深く考え過ぎだろう。私を見た田中社長も、一瞬だけ物凄く驚いた表情をしていた。だとすると、偶然。マー君が言っていた待ち合わせの相手って田中社長のことだったのか。


「ああ、来た来た、まってたよ~チヒロちゃ~ん」


 と言うマー君の隣に座っている田中社長は、ちょっとコワイ目つきで一瞬だけ首を横に振った。「知らない振りをしとけ」って事だろう。


「ああ、チヒロちゃん、こちらの人は田中さん。ちょっとコワイ感じだけど、安全な人・・・・だから、大丈夫だよ」


 ちょっと驚いた風な表情になった私に、マー君は少しずれたフォローをしてくれる。そして、


「さぁ、こっち座って。田中さん、特に女の子の好みとか無ければ、チヒロちゃんのお友達を呼んでも良い?」

「あ、えっ……構いません、そうしてください」

「ありがと、じゃぁサユリちゃんとミホちゃんもよろしく」


 という事で、あの二人もテーブルに呼ぶことになった。場内指名というやつだ。すると、テーブルにフロア総取締役の三城さんがやってくる。


「深沢様、ミホちゃんに先に指名が入っておりまして……申し訳ありませんが代わりのキャストでもよろしいでしょうか?」


 えっ? と思うが、まぁそう言う事もあるだろう。マー君も、


「そうなんだ、いいよ、いいよ」


 と、こだわりが無く、三城さんについで・・・のようにシャンパンのボトルを2本頼んだ。ちなみに、一本40万円するヤツを2本だ。金持ちすげー。


 程なくして、サユリともう一人、サツキちゃんっていう最近入った子が来た。確か前回も、三城さんのオススメということで同じテーブルに入っていたはずだ。超が付くほどの美形で、しかも同性から見ても羨ましいグラマラスな体型をしている。本人もそれが売りなのか、随分とボディータッチを多用するアグレッシブなタイプの嬢だ。


 前回もマー君を挟んで私の反対側に座り、途中からグイグイと身体を押し付けていた(らしい)。ただ、マー君が言うには「ああいうのって、苦手なんだよね」とのこと。女性の好みは人それぞれって事だろう。仲が良い子なら注意するけど……まぁ、放っておこう。


 ちなみに、マー君も前回の事を覚えていたらしく、サツキちゃんの顔をみるなり、


「じゃぁ、サツキちゃんとサユリちゃんで田中さんを挟んで座ってね。今日は田中さんへの接待だから」

「あ、え、その……」

「田中さん、表情が硬いよ凄くコワイ、笑って笑って」


 などと言って、笑いを取りながら自然な感じでサツキちゃんを遠ざけていた。その間、一瞬だけ目の合ったサツキちゃんは……なんか田中社長よりもコワイ顔でこっちを睨んでいた。ひえ~、と思うが、こっちも色々掛かっているので負ける訳にはいかない。ちょっとした対抗心で、太目な体格のマー君の腕をツンツン突いて、


「マー君、今日もゲームしますか?」


 と訊いてみた。自分が出来る最上級のネコナデ声だ。


「うんそうだね、田中さんとの仕事の話も5分で済んじゃったから、アレをしよう、目隠しジェンガ!」


 ということで、その後1時間半ほど「目隠しジェンガ」という無理ゲーをやって、罰ゲームだとシャンパンを飲み、キャッキャとそれなりに盛り上がった時間を過ごす。ただ、途中から田中社長の気分が悪くなったらしく、聞いてみると、そんなにお酒が得意ではないとのこと。意外な感じだった。


「深沢さん、すみません」

「いいよいいよ、僕の方こそゴメンね田中さん」


 という事で、この夜はそのままお開きになった。サツキちゃんやサユリはまだお店が営業中なので待機状態に戻るが、私はいつものように残り時間分のセット料金を払ってもらってアフター退勤となる。


「お疲れ様でした、お先に失礼します」


 と黒服の方達に挨拶をした後、足元がフラ付く田中社長をマー君と二人で支えるようにしてエレベーターに乗り込んだ。その間、チラっと見た時計は夜の10時前。今晩は随分と早く帰れそうだ、と思った。


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