*2話 田中興業のビジネス
「遠藤さん、あんた、メイズ・ウォーカーをやってるんだってな」
約束の時間の5分前に田中興産の事務所を訪れた俺は、応接セットに案内されて、出迎えた田中社長から開口一番にそんな言葉を受けた。
こちらの用件は既に電話でアポを取った際に伝えている。そのため、厳つい強面の50絡みのその筋っぽい田中社長は、機嫌が良さそうだった。
「ええ、まぁ……そうです」
「そうか、やっぱり妹さんの借金返済のためか?」
そう言う田中社長は、一人で納得と感心を同時に得たような表情で、目元をハンカチで抑えた。そして、「ああ、目ヤニがな」と訊いてもいないのにそんな説明をする。
それにしても、田中社長はなんで俺がメイズ・ウォーカーをやっている事を知っているんだろう? と思う。まぁ、実質1か月という短時間で300万、正確には336万円という大金を準備する方法と言えば、犯罪行為を除けばメイズに潜るというのは妥当な選択しなのだろう。そんな風に考えていると、
「じゃぁ、さっさと清算を済ませよう、市川、領収書を持って来い!」
田中社長はそう言うと、奥へ向かって市川君(年下っぽいので君付けでいいだろう)を呼んだ。奥から「は~い!」と返事が聞こえる。そのやり取りに促されるように、俺はリュックから膨れ上がった封筒を取り出す。そして、応接セットの机にそれを置き、田中社長へ差し出した。
「確かめるぞ」
念を押すように言う田中社長に頷いて返す。そしてしばらく、3百枚以上の1万円札を数える無言の時間が過ぎた。
ちなみに、借金の元本は300万に変更されていて、借入した期間は実質1か月だ。そのため、利子分を含めた14万x24ヵ月分を支払う必要は無い可能性が高い。しかし、そこは元の貸主に対してひと肌脱いでくれた田中社長への恩義も含めて、俗に言う「耳を揃えてきっちり」返済することにした。変に尾を引いて後々難癖を付けられては困る、という理由もある。
「確かに……336万、確認した」
数え終わった田中社長はそう言うと、市川君が持ってきた領収書を俺に差し出す。宛名は「遠藤千尋殿」となっており、相応の収入印紙が貼られた正式なものだ。ただ、額面が303万円になっている。
「発生していない利子分まで持ってくるなんて律儀な男だよ……だが、これは受け取れない」
田中社長はそう言うと、元の封筒に33万円を入れ直して俺に押し付けてきた。
「しかし……」
「ダメな物はダメだ、こっちの商売にも筋ってものがある。元本の他に受け取れるのは2ヵ月分の利子相当3万円だ、それ以上受け取ると話がおかしくなっちまう」
ふと見ると、田中社長の後ろに立っている市川君と目が合った。苦笑いを浮かべつつウンウンと頷いている。
「分かりました。じゃぁ、これは引っ込めます」
必要ないという相手にお金を押し付けるほど裕福ではないので、俺は半ば諦めて封筒をリュックに仕舞う。
「遠藤さん、あんたイイ男だな……ぱっと見はそうでもないが、いやイイ男だ」
「はぁ……」
突然そんな事を言われて反応に困る。出来れば、そういう言葉は綺麗な女性から聞きたいものです。でも「ぱっと見はそうでもない」ってどういう意味ですか? などと、頭の中で言葉が廻る一方、田中社長は勝手に話を進めて行く。
「それで遠藤さん、これからもメイズ・ウォーカーを続けるつもりかい?」
「え? はぁ……そのつもりです」
「そうかい――」
そう言うと、シャツの胸ポケットから煙草を取り出して火を着ける田中社長。一服大きく吸い込んでからゆっくりと煙を明後日の方向へ吐き出し、
「11月から買取り制度が変更になる……[メイズストーン]を筆頭に素材類は依然として機構が買い取るらしいが、それ以外の物品は原則として[受託業者]に処理が委ねられる……知ってたか?」
と言い出した。勿論、そんな噂話があるのは知っているが、11月から制度が変わるというのは初耳だった。というか、11月って明後日からだぞ。最近[管理機構]のWebページチェックをサボっていたけど、それにしても随分急な話だと思う。
「正体不明の物品については[管理機構]が追加料金を取って
メイズ産品の
「……制度開始1か月で300万以上稼ぐのは恐らくトップクラスだ。そう見込んで、提案がある」
一方、田中社長はそんなことを言い出した。提案ってなんだ?
「オレの
「良い値段」というのが幾らか分からないが、まず俺の一存では決められない。だが、無鑑定品でも市場価格よりも高めに買い取ってくれるならば悪い話ではなさそうだ。そこら辺を田中社長に伝えると、
「遠藤さんのお仲間にも話を通して貰えればうれしい。12月中頃には第2期受託業者の認定証試験があるらしいから、オレの所でも活きの良い若い連中をメイズに送り込むつもりだ。だが、チャンネルは多い方が良いからな……ポーションやその他のアイテム類を拾った時は一報入れてくれるとありがたい」
という事になった。それにしても田中社長の田中興業の親会社って……いや、深く考えるのは止そう。今は、当面の目標である妹千尋の借金返済が完了したことを喜ぼう。
ということで、俺は田中興業を後にして、下北沢駅に向かう。千尋との待ち合わせには丁度いい具合の時間になっていた。
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「お兄ちゃん……ありがとう」
新宿駅前、某コーヒーチェーンの店内。借金全額を返済しきったことを伝えると、千尋はそう言って俯いてしまった。
「いいんだ、兄妹なんだし困った時は――」
それっきり、時折肩を震わせながら俯く千尋に、俺は言い様もなく月並みな言葉を並べる。目の前の千尋はひと月前に見た時よりも落ちつ付いた格好をしているが、それでもやっぱり「出勤前のキャバ嬢」然とした恰好だ。ただ、よく見れば服の生地はテラテラとして薄く如何にも安そうに見える。10月末の外の空気はもう冷たい。そんな中をこんな薄着で出勤しているのかと思うと身につまされる思いがする。考え過ぎかな?
「ちゃんと暮らして行けてるのか?」
「うん」
「そうか……」
そんな途切れがちな会話になってしまう。せめて、頼んだキャラメルココアラテは温かい内に飲んで欲しいなと思う。
「お兄ちゃん……」
「ん?」
と、そこで千尋が声を発した。躊躇いがちに考えるような素振り。ふと昔を思い出す。千尋はこんなに遠慮して喋る子だったか? もっと明け透けに何でも言ってくる妹だったはずなのに、この変わり具合が悲しい。
「あ、甘えていいかな……私……んん、やっぱり何でもない」
「え? なんだよ、俺が力になれることならなんでも言って――」
「いいの、お兄ちゃんが頑張ってくれたのに、私だけ楽をする訳にいかないもの」
「いや、それは別に全然かまわないんだぞ」
「ダメよ、私の気が済まない」
「……」
何か切っ掛けのようなモノを掴みかけて、寸前で逃した気がする。
「もう行かなきゃ……18:30に同伴の待ち合わせなの。毎週木曜はいつもよ、凄いでしょ」
「そ、そうだな」
生憎、俺はキャバクラという職場の仕組みをよく知らない。ただ、知らない人間が素人考えの口出しを出来るほど甘い世界ではなさそうだ、ということは何となく分かる。だから、
「身体に気を付けて、無理するなよ……また連絡する」
としか言えなかった。
千尋の後ろ姿を見送る間、どうしようもなく秋風を寒く感じてしまう。夜の街に立ち向かう女性の後ろ姿が、記憶の中の妹の後ろ姿に重なるようで重なり切らない、まるで他人を
(枝豆と熱燗、いっとくのだ?)
(まぁハム太お兄様、渋いニャン)
うるさいから、お前らは黙ってろ。まったく、焼き鳥でも食べて帰るか……。
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