第2節 起こるべくして起こる悲劇
*1話 完済に至る道のり
2020年10月29日
この日、俺は下北沢駅から少し歩いた場所にある古びた雑居ビルを尋ねていた。そのビルに事務所を構える田中興業が目的地。訪れる理由は妹千尋の借金返済だ。
千尋とはこの用事を済ませた後に新宿で待ち合わせをしている。それまでは兄としてのこれまで1か月の努力は伏せている。というか、これが終わっても別にそれで誇ろうとか、恩に着せようとかは思っていない。ただ、叶う事ならば、昼間の仕事に就いて欲しいな、と心のどこかでちょっと思う。それくらいだ。
気持ちが急いているのか、早く到着してしまったようで、約束の15:30まではまだ時間がある。そこで、雑居ビルの1Fにある喫茶店で時間を潰すことにした。前に来た時は田中社長と子分(社員?)の市谷しか居なかったが、今日は店のマスター風の老齢の男性がカウンターの奥から「いらっしゃいませ」と声を掛けてきた。
ブレンドコーヒーを頼み、席に座る。前回は田中社長の威圧感や千尋の悲惨な状況、そして何より呼び出された緊張感で周囲が見えなかったが、改めて見ると中々良い店だと思う。年季が入った店内の調度品は、明るい今風のカフェには無い落ち着いた雰囲気を醸している。
まぁ、こうやって周囲を見回して、店の雰囲気なんかに注意が向くのは、それだけ余裕が出来たということだろう。メイズに潜ってモンスターを斃しながらドロップ品で金を稼ぐという、現代日本ではあり得ないような日常を過ごしているのだから、少しくらい神経が太くなるのも仕方ない。色々あったんだよ――
**********************
10月14日の北七王子メイズでの収益は、すこぶる良かった。どれ程良かったかと言うと、一人当たりで100万円を少し越える初の7桁達成だった。しかも、
余談だけど、その週の日曜日にアトハ吉祥メイズへ[TM研]と[脱サラ会]と共に潜った時、岡本さんが冗談で持ち込んだ競馬新聞を飯田に見せて予想させたところ、3連単という種類の予想で全レース中3割を的中させていた。3割なら大したことないな、と思ったのだけど、岡本さんは妙に興奮していた。変な事を始めなければ良いけど……と少し不安になったものだ。
ただ、良い事ばかりが続いたわけではない。北七王子メイズを消滅させた結果、チーム岡本は[管理機構]から注意勧告を受けることになってしまった。現状日本国政府の方針としてメイズから収拾される品は重要な研究資源であり、その資源が得られるメイズを潰すとは何事か、という事らしい。今後は特に[管理機構]側から指示が無い限りメイズが消滅するような行動は
随分と高圧的な態度で出られたから、岡本さんを始め俺を含めた全員が憤慨したが、しかし、生活が懸かっているため従わざるを得ない。相手の高圧的な態度から来る不快感と、メイズから得られる収入を秤に掛ければ、多少我慢してでもメイズに潜った方が良いのは確かだ。そこら辺は大人な考え方をするチーム岡本である。
そんな[管理機構]からの注意勧告とは余り関係ないが、活動状況には少し変化が出ていた。毎週水曜日と日曜日の活動は継続しているが、そのうち日曜日は[TM研]と[脱サラ会]と共同行動を取ることにしたのだ。結果的に3パーティー総勢14人のグループになるが、アトハ吉祥メイズのように各層が広い場合は各パーティーが別々の通路を受け持つことで背後を襲われる心配が減る。これが大きな狙いだった。
アトハ吉祥メイズで幅を利かせている[赤竜・群狼クラン]は現状1層と2層を占拠してしまっている。そのため3層以降に潜らなければならないのだが、[TM研]と[脱サラ会]のみでは心許ない、ということでチーム岡本にも誘いが掛かったことになる。
その結果、先々週と先週と2回、アトハ吉祥メイズの3層以降に共同で潜行して4層まで踏破することが出来た。ハム太が言うには「アトハ吉祥メイズは多分10層以降15層くらいまである筈なのだ、5層でメイズが消える事はないのだ」ということなので、次回日曜日はいよいよ5層を視野に入れた潜行になる。
また、チーム岡本単独では不人気メイズの下赤羽スポーツの森管理棟に固定化された小規模メイズと、国道17号線沿いのビックショップモール西川口北エントランスに固定化された小規模メイズに夫々1回ずつ挑戦している。結果はどちらも4層まで踏破というところ。勿論不人気メイズという事で、ドロップ内容は良かった。
それらの活動によって、俺の借金返済積立は見事に300万円を突破し、今日に至るという状況なのだ。頑張ったよ、俺。
**********************
一方、10月17日の新月の夜には大輝との3回目の交信が成功していた。しかし、前回同様、月齢がきっちりと0.0でないためか、交信の鮮明度は悪く、時間は2時間も持たなかった。
そんな交信で大輝からは、前回の話の続きとして
『魔坑は大規模―中規模―小規模という順で、徐々に人口が密集した地域へ侵食してくる。辛うじて分かった実例では、ある国の王都の内部に小規模メイズが達してから、加速度的に増加したという記録があった。それによると、王都から約200km離れた場所に大規模魔坑が発見されてから、約5年で王都の中は小規模魔坑が群発する状態になったようだ』
とのこと。
『侵食の最末端は小規模魔坑の場合が多いが、稀に中規模魔坑が最末端となり、そこから大規模な魔物の氾濫を起こして一気に勢力を拡大する、というパターンもあったらしい。しかし、小規模メイズが出現と消滅を繰り返しながら或る時固定化されるのは前にも言ったが、その一方で、そちらの世界のように半年に1度出現する、といった規則正しい周期性についての情報は見つけられなかった』
う~ん、と思う。メイズの存在が公表されたのが2018年だが、それよりも前から存在していたと仮定すると、東京に小規模メイズが爆発的に増える事態も近いのかもしれない。しかしその一方で、こちらの世界に[メイズ半年周期説]なるものがある一方、大輝の世界の方にはそれが無い。正確には元々無いのか、あったけど情報が失われたのか分からない、という感じだ。ただ、何処かのタイミングでこれまでの半年周期を破ってメイズが群発する、という可能性はある、という事だろう。
それと、やっぱり出てきた「魔物の氾濫」という
『中規模魔坑だと最深部は30層になることもある。修練値で換算すれば1,600相当だ。そのレベルの魔物が魔素外套を持たない一般人を襲うんだぞ……しかも日本の場合は立ち向かうのは警察、いや、警察でも自衛隊でも、とにかく現代軍隊の装備は魔坑の魔物に対してとても相性が悪い』
どういうことかと言うと、ミサイルや爆撃は別として、兵士個人が携帯する小火器類は、階層が深くなるほど出現するモンスターに対して効果が薄くなっていくということ。攻撃する本人の魔素外套による恩恵が銃弾に効果を及ぼさないことが原因らしい。そのため、階層が深くなっても銃火器の攻撃力は同じ、対してモンスターはどんどん強くなる。結果として相対的に効果が弱くなっていく、ということだ。少し意外だが、大輝のいるあちらの世界にも銃火器は存在するようで、実証済みの事実だということだった。
『とにかく、人口密集地付近に中規模魔坑が出現した場合は魔物を間引くか、可能ならば潰した方が良い……
大輝はそう言うと、少し間を置いてから何か思い出したように再び話し出した。
『そういえば、当時の事を調べている内に少し面白い……いや、面白くは無いが、妙な記述を見つけた。前にも話したが、こちらの世界が魔坑の力を利用して戦争を始めた頃の話なんだが――』
そう切り出す大輝が語るには、あちらの世界で人間同士が戦争を始める切っ掛けは、魔坑の魔素を利用したスキルや個人の能力強化を戦場で利用しようとしたのが始まりだった。ただ、そう都合良く、魔坑から魔物が氾濫して戦場に魔素が満ちるということは考えにくく、どのようにして、そんな状態を実現していたのかは現在でも謎なのだという。
そんな中、当時の資料を念入りに調べた大輝は一つの記録を見つけた。既に亡んだ王国王族の日誌の中にあった一文で、要約すると、
『遂に我が国も
とのこと。大輝の直感として[播種の法]という言葉が妙に気になるらしい。
『そんなスキルは見たことも聞いた事も無いが、播種……種を蒔く、魔坑を、根を巡らせる植物的に考えた時、この表現がどうも気になって……もしかしたら、魔物の氾濫を人為的に引き起こせるスキルがあったのか……』
大輝が少し濁した風に一区切りしたところで、急に交信の状況が悪化した。交信の限界時間が近づいている証拠だった。そのため、この時の交信は、この煮え切らない話題が最後になった。ただ、交信が完全に途切れる間際に、大輝は『これをなんとか里奈に渡してくれ』と言って、翡翠製の石細工を鏡経由で送って来た。そして、
『もしかしたら、次の交信は大分後に成るかもしれない、こっちは戦争が起きそうなんだ』
というなんとも不穏な言葉を残して交信は途絶えた。
**********************
(ハム太お兄様は、コーヒーという物を呑んだことはあるニャン?)
(あれは匂いはいいのだが、味が苦いのだ。あんなものを好むのはコータ殿くらいなのだ)
(そうニャン……でも気になるニャン)
(好奇心は猫をも殺すというのだ……試してみるのも一興なのだ)
さっきから、随分と我慢していたがもう限界です。頭の中が煩いのなんのって……これまではハム太のみの1ch【念話】だったものが、今はハム美というもう1回線追加されて2ch【念話】になっている。ちなみにハム美は大輝との交信終了間際に「里奈に渡してくれ」といって送り込まれた翡翠製石細工が
耳の辺りにリボンを付けていたり、鼠のくせに語尾が「ニャン」だったり、言いたいことは沢山あるが、この際それは
(抵抗が上がるのは良い事なのだ、魔坑酔いに対する耐性が上がるのだ!)
(そんなことよりもコータ様、そろそろ3時半なのニャン)
分かってるよ! と内心で返事をして喫茶店を後にする。このままだと、ストレスのせいで若くして禿げそうだ。なんとか里奈に押し付けなければ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます