*42話 北七王子メイズ2回目③ 不穏と不安の萌芽


 3層最初の往路片道は、モンスターに背後を取られる心配が無いので、俺は岡本さんの右斜め後ろに付ける。岡本さんもそれを察して通路中央からやや左に位置取りを変えている。普段の隊列を1-2-1と呼ぶならば、今の隊列は変則的な2-2といったところだろう。


 そんな事をチラと考えながら通路を20mほど進んだところで、ハム太警報が敵モンスターの存在を報せた。例によってメイズハウンド3匹のグループだ。


「飯田は左、し、朱音あかねは右」

「はいっ!」


 定番の指示だが、朱音の事を嶋川と言い掛けて訂正する。慣れないものは慣れないんだ。対して、普段はいちいち指示に返事をすることのない朱音はやたらと元気よく返事をして矢を放つ。放たれた矢は右側のメイズハウンドの狭い額に突き立った。既に突進状態だったメイズハウンドは、その一発で転倒。後は勢いに任せてトイレ風の床をザーッと滑って止まった。


 一方、飯田の矢も左側のメイズハウンドの肩口に突き立つ。ただ、こちらは仕留めるほどのダメージはなく、精々突進が鈍る程度。立ち位置的に、矢傷を受けたメイズハウンドを岡本さんが、無傷の中央1匹を俺が受け持つ格好になる。


 既に鞘から抜き出したカタナ[時雨]を正眼に付けた俺は、突っ込んでくるメイズハウンドとの距離を測り、呼吸を合わせる。そして、


――ガァッ


 と短く吼えて跳び掛かってくるメイズハウンドを左に大きく一歩踏み出して躱しつつ、同時に裏八相(八相構えの左右逆版)の位置まで振り上げた[時雨]を首筋目掛けて振り下ろす。一連の動作、一つ一つが木太刀の時とは比較にならないほど軽く早く感じる。


――ブンッ


 という風切り音が出て、切っ先がメイズハウンドの耳の後ろに吸い込まれる。感覚的にまさに「吸い込まれる」という感じ。そのまま、跳び掛かってくるメイズハウンドの勢いを追い抜くように振り抜いた切っ先は「ピュッ」と音を立てて、耳の裏から首の側面を断ち割り、肉を切り裂きながら外へ飛び出した。切っ先を追うように噴き出すドス黒い血が床を濡らし、既に息絶えたメイズハンドがその上を転がる。


「……」


 床に転がった血塗れの死体と手の中のカタナを思わず見比べる俺。今のが斬った、ということか? 本当は、木太刀のノリで首筋を打ち据えるつもりだった。しかし、[時雨]の刀身は木太刀よりも10cmほど短く軽い。そのため狙いが外れ、結果として切っ先がメイズハウンドの急所を捉えることになった。結果オーライ、ラッキーな一撃だったのだろう。


 しかし、この時の俺は、狙いがズレた事を悔やむでもなく、かといって漸く手に入れた武器らしい武器が効果を発揮したことを喜ぶでもなく、ただ、持ち手に伝わった小さな感覚に意識を囚われていた。それは、骨や腱といった硬い抵抗もなく、スッと肉や血管を切り裂いた感覚。もっと言えば、細い筋線維の束を小気味良くスバスバと切り裂いていく感覚。ゾっとするほどおぞましくて、そのくせチリチリとした微かな快感を伴う感覚だ。


 そして俺は、無意識の内に「もっと上手く斬りたい」「もっとススッと長く大きく切り裂きたい」という欲求に囚われ始め……


「――ぱい! コータ先輩!」

「コータ殿~どうしたのだぁ?」

「……ハッ……?」


 不意に呼びかける声に気付き意識が元に戻る。と同時に何と恐ろしい事を考えていたのか、と思った。カタナで斬った感触をそんな風に感じるなんて、それにもっと斬りたいと考えていたなんて、朱音にもハム太にも知られたくない。


「凄いです! 一撃じゃないですかぁ~」

「ナカナカのひと太刀、だったのだ!」

「……そ、そうだった?」


 俺に声を掛けてきた朱音もハム太もテンションが高い。せっかく買ったカタナが威力を発揮したことを喜んでいるのだろう。しかし、そんな二人の調子に合わせられない俺は少し不自然なほどの無表情になってしまった。


「どうしたんですか、コータ先輩?」

「コータ殿……どうしたのだ?」

「い、いや……思った以上に斬れたから、ちょっとビックリしちゃって」


 朱音もハム太も俺を心配したのだろう。対して、俺は取り繕うような嘘を言った。いや、嘘じゃない。ビックリしたのは本当なんだ。


「そうですか、大丈夫なんですかぁ?」


 いかにも心配気な視線の朱音に対して視線を逸らして「大丈夫だよ」と答える。対して、


「……大丈夫なら良いのだ」


 と言うハム太の声は、何でもないような感じだった。それに少しホッとする。


かける、その槍凄いなぁ!」

「そそんなこっ事、えへへへへ」

「おっ、ドロップ発見!」


 向こうでは岡本さんと飯田のコンビが残りの1匹を難無く仕留めて、キャッキャしている。口ぶりから飯田の組み立て式槍が効果を発揮したのだろう。その上ドロップも何か出たようだ。それに対してこっちの方は……あ、さっきまでメイズハウンドの血塗れ死体が転がっていた場所にポーションが転がっていた。


「[魔素力回復:中]なのだ、あとコータ殿、使わない時はカタナを鞘に仕舞うのだ」


 素早く【鑑定(省)】を使ったハム太の言葉は妙に冷ややかだ。言われるまで気付かなかったが、俺は抜き身のカタナをずっと手に持っていたようだ。


「あはは……そりゃそうだ」

「気を付けるのだ、それは命を奪うための道具なのだ」

「うっ……」


 取り繕うように笑う俺だが、対するハム太の言葉は妙に角が有って冷たかった。黒目がちの小さな瞳が俺を真っ直ぐに見ている。思わず言葉が詰まった。まるで心の底を見透かされているような気がする。「ハムスターのくせに云々」といういつもの・・・・の文句が、こんな時に限って全く出てこない。


「そっちも大丈夫だな、じゃぁ先へ行くぞ」


 と不意にそんな岡本さんの言葉が懸けられた。それでハム太の視線は俺から外れ、俺は金縛りが解けたような軽い脱力感を覚える。


「どうしたんだ?」

「コータ先輩のカタナが思ったよりも切れ味が凄くて……コータ先輩、ビックリしちゃったみたいです」

「そうかぁ~、すごいな~」

「かっカタナ、ロマン武器です」


 そんな会話の後、チーム岡本は前進を再開した。


**********************


 その後、3層往路を進む間、問題らしい問題は無かった。


 飯田と俺の装備が整ったことで、前進する速度は前回よりも速い。その間、俺にも何度かモンスターを斬る機会があった。スライムは木太刀で処理するから論外で、大黒蟻も余り心に波風を立てない。しかし、どこか生き物めいたメイズハウンドを斬る時は心にさざ波が立ったような小さな動揺を感じる。


 もっとも、最初に感じたような妙な気持ちの昂ぶりを再び感じる事はなかった。ただ、何と言うか、心の底にあの時の感覚と欲求がくすぶっているのが分かる。そして、それを理性が押し止めていることも意識できる。


 いつかどこかのタイミングで、文字通り「魔が差す」ように心が「もっと上手に斬りたい欲求」に支配されるのではないか? そんな怯えが心の中の極小さい一画を占める屈託くったくになってしまった。


 しかし、全体としては順調そのもの。結局、前回の3分の2の時間で俺達は4層へ降りる階段へ到達していた。しかも、その階段付近の戦闘で、


「お!」


 と岡本さんが驚いたような声を上げた。どうやら【戦技(最前衛)Lv2】にレベルアップしたようだ。これには朱音や飯田、ハム太を始め俺もそんな屈託・・・・・を忘れて喜び合った。そして、スキルのレベルアップの余韻を残したまま、チーム岡本は時間調整を兼ねた30分ほどの休憩を挟み、問題の復路へ挑むことになった。


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