*39話 五十嵐道場、巻藁試し


 翌日火曜日、俺は普段よりも随分早い時間に五十嵐心然しんねん流の道場を訪れていた。毎週火曜日の稽古は高弟の方々が中心で、全員が何等かの仕事を持っているため、始まるのは大体夜の7時半からだ。しかし、今日の午前中に電話で豪志ごうし先生に事情を説明していた俺は、夕方6時に道場に来るように言われていた。


 実はメイズに行くようになってから豪志先生と会うのは今回が初めてだったりする。都内と千葉に幾つか道場を持っている都合上、豪志先生は武蔵村井市の本部道場に居座るという訳に行かず、結構な頻度で各道場を回って稽古を見ている。そのため、1ヵ月弱すれ違いになっていたのだ。


 そして、五十嵐宅の道場へ足を踏み入れた俺は、


「おお、来たか~」


 という豪志先生の声に出迎えられた。


「お久しぶりです」


 と返す俺に、豪志先生は手招きで応じると、次いで近くを指差す。見るとそこには普段は見かけない器具が置いてあった。器具というよりもござを丸めて立てたようなもの……あぁ、昔新年の稽古初めで何度か見たことのある巻藁まきわらだ、と気付いた。


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 「まずメイズの中の事を聞かせてくれ」と言う豪志先生の求めに応じて、俺はこれまでの経験を整理して話した。但し、豪志先生経由で里奈に伝わる可能性が大きいので、大輝関連の話は伏せる。そのため、必然的にハム太の話も伏せることになり、話の辻褄つじつまを合わせるのは大変だった。


(上手く辻褄があっているのだ、コータ殿はやはり腹黒いのだ)


 とはリュックの中のハム太の言葉。褒めているのかけなしているのか……


「ほう、そのスキルというものの効果なのかな……高橋が言うには最近のコータの太刀稽古のキレが凄いと……興味深いな」


 対して、ハム太の存在に気付くはずもない豪志先生は、俺の【戦技(刀剣)Lv2】に関する話でそう感想を述べた。ちなみに高橋という人は豪志先生が不在の間に稽古を看ている師範代の40代後半のおじさんだ。何処かの大企業の役員ということで偉いらしいが、道場に居る時は「気さくなおっちゃん」という雰囲気。木太刀の打ち込み稽古では良い音を鳴らして打ち込みを受けてくれる「受け上手」な人で、教えるのも上手い。


「それで、コータが買ったというアメリカ製のカタナを見せてくれ」


 次いで話は昨日買った[時雨]に移る。俺は木刀ケースに収めた[時雨それ]を、グルグル巻きにしたガムテープをほどいて取り出した。ちなみにガムテープでぐるぐる巻きにしたのは、万が一警察官に職質された場合に「直ぐに使える状態ではありませんよ~」と言い訳するためだ。それでも、厳密にはメイズに行く目的での携帯ではないので不当所持になる可能性は否めない。まぁ職質なんてされた事無いから大丈夫だと思うけど。


「ほ~、こういうカタナが外国で出回っているとは聞いていたが……実物は初めてだ」


 一方、俺から[時雨]を受け取った豪志先生は鞘を払って刀身を見ながらそう言う。どこか感心したような響きが声に籠っている。


「なるほど……刃文は如何にもな匂出来・・・・・・・・……地肌は均一で目立つ目肌無し、ピカピカだな」


 そう言いながら角度を変えて全体を見る。


「刀身は2尺1寸5分、先反りは新刀風の先反り……重いな……お、なかごと柄を目釘でなくかしめて・・・・連結しているのか、なるほど、なるほど」


 豪志先生は一人で納得しているようだが、俺には例の呪文にしか聞こえない。もうちょっと分かりやすい言葉で言ってくれないものかな? などと考えていると、不意に


「コータ、コレでアレを切ってみろ」


 と声を掛けられた。コレとは[時雨]のこと。アレとは少し離れたところに置かれた巻藁。しかも巻藁は何本も用意してあった。明らかに据え物斬りの準備だ。


**********************


「いいからやってみろ! どうせ使うことになるんだ、動かない的を斬れないでどうする」


 尻ごみする俺に豪志先生はそういう。笑っている感じが少し意地悪い。


「わかりました……」


 仕方なくそう応じると、俺は抜き身の[時雨]を受け取って巻藁の前に立つ。八相から袈裟掛けに斬り下ろそう、というか、それ以外に立てられた巻藁を斬りようがない。そう考えて八相構えに付ける。ここで少し違和感があった。何と言うか、手に持った[時雨]が妙に軽く感じる。木太刀を構えた時の腕から肩に圧し掛かる重さとは違う感じだ。まるで木太刀の長さを半分に詰めて持っているような感じがする。でも、これなら振りが早くなりそうだ。


「いきます」

「自分の足を斬るなよ」

「あ、はい……」


 決心したところで変なアドバイスが入るが、俺は目の前の巻藁に集中する。そして、それをメイズハウンドに見立てて、構えた[時雨]を斜めに振り下ろした。


――カンッ


 といった音と共に持ち手に衝撃を感じる。巻藁の芯に入れられた竹を斬った感触だろう。斬られた巻藁の上3分の1が弾き飛ばされるように宙を舞って道場の板の間に落ちた。


「おお、初めてなのに上手く斬ったな」


 とは豪志先生の言葉。どうやら上手く行ったらしい。なんと言うかホッとした。メイズ内のモンスターと対峙する時とは全く違う緊張感があったのは確かだ。


「よし、次はそのまま上から順に同じ巻藁を何回斬れるかだ。やってみろ」


 ただ、ホッとしたのも束の間で、新しい課題を申し渡されてしまった。そして、この課題が難しかった。3回目辺りから巻藁の残りの高さが低くなり、どうしても道場の床を意識してしまう。すると途端に振りが窮屈に感じて上手く斬れなくなった。


「余り斬ってやろうと意識せず、カタナの軌道上に藁巻きがあるんだ、くらいの意識でやるのがコツだ。ちゃんと当たれば勝手に斬れるのがカタナという武器だ」


 そんな指摘というかアドバイスを受け、その後巻藁を取り換えて2度、3度と試し、4度目でようやく同じ巻藁を4回斬る事ができた。コツは、斬り込む高さが自分のへそより下にならないよう、足を開いて体勢を落とすこと……だと思う。多分。


「上出来だ。メイズハウンドとやらも大黒蟻とやらも、体高が低く地面に近いのだろう。せっかく買ったカタナで地球を斬る訳にはいかないからな、今の感じは大切だぞ」


 なんとも不思議な言い回しだが、言っている事は分かる。現にこれまで何度も木太刀で床を強打した経験がある。木太刀だらか良いものの、こんなに軽い[時雨]で同じことをやったら、一発で折ってしまいそうだ。


「分かりました」


 俺はそう返事をすると、次の斬撃に備えて再び八相の構えを取った。


**********************


 その後巻藁の据え物斬りは3時間半も続いた。途中からは事前に話を聞いていたのだろう高弟の方達が自前の日本刀を持って道場にやって来たため、ちょっとした据え物斬り大会となったからだ。ちなみにハム太は、


(暇だから魔石に戻っているのだ)


 ということだ。


 そうやって続いた据え物斬り大会の終盤、豪志先生が俺の[時雨]を使い、試し切りをするという場面があった。この時、豪志先生はこしらえを整えたばかりの新しい刀を持ち出してきており、


「本物の日本刀とアメリカ製のカタナの違いに興味が出た」


 という事だった。俺としても興味があるのでぜひ見てみたいと思う。


 先ず巻藁1本を立てた試し切りで、[時雨]は問題無く4回同じ巻藁を斬った。ただ、俺がやると斬られた部分が結構な勢いで飛んだり床に叩き付けられたりするのだが、豪志先生がやると、まるでその場からポンッと弾みをつけたように床に落ちるだけだった。まぁ、純然たる技術の差というところだろう。


「驚いた、ここまで斬れれば殆ど遜色がないな……ただ、少し刀身にたわみが無い感じが……これのお陰で切れ味が良いのだろうが、だとすると少し折れやすいか」


 という事だ。切れ味が遜色ないということで一安心。また折れやすい(先生の補足説明だと、無茶苦茶な使い方をしない限り腕力で折るのは無理とのこと)という弱点も事前に知れて良かった、というべきだろう。


 次に、豪志先生は同じ巻藁1本の試し切りを自前の真新しい拵えの日本刀で行う。その刀の全長は[時雨]よりも15cmから20cmほど長く見える。先生曰く「太刀」という種類の日本刀らしい。鞘から抜き出された刀身は幅と厚みがあって、道場の照明を反射する光沢は[時雨]がピカッと光る感じなのに対して、ギラリと鈍い光沢を持っている。


 斬った結果は同じく4回斬り。しかし、斬られた巻藁の様子は[時雨]と明らかに違う。まるで斬られた事に巻藁が気付いていないように、刃が通り抜けたあとも一瞬その場に留まり、次いで思い出したかのようにポトリと床に落ちる感じだ。これには他の高弟のみなさんも少しどよめいた。


(流石に大輝殿の師匠なのだ……戦技スキルLv5相当はあると見た! のだ)


 とはいつの間にか魔石からハムスターの姿に戻ったハム太の【念話】。多分道場の隅に置いてあるリュックの隙間から見ていたのだろう。


「うむ……」


 対して豪志先生は、少し困ったような微妙な表情で手元の太刀を見ると、次いで俺の方を見る。そして、


「これは銘が[在武蔵野 幻舟作 平成陸年]……刀匠武蔵野幻舟、つまり大輝の父周作さんが作った太刀だ」


 と言う。ああ、あのお葬式の後の形見分けで里奈に渡された刀がこれなんだ、と直感で分かった。それと同時に、大輝が生きていることを伝えられないもどかしさ・・・・・が込み上がってくる。本人は周りみんなの「今」をおもんばかって伝えるかどうかの判断を保留している。その理由は良く分かる。でも……もしも次の新月の夜に、みんなを鏡の前に連れてきたらどうなるだろうか……


 そんな妄想に思考が向かいはじめた時、不意に近づいて来た豪志先生が俺にだけ聞こえるような小声で、


「里奈はこんなもの必要ない人生だろうし、そうならばコータにと考えていたが……少し気が変わった。まぁその[時雨]というアメリカのカタナも中々良いものだ、先ずはそっちを使い潰してみろ」


 と言って来た。予想外の言葉に、膨らみ掛けた妄想を手放し、言われた言葉の意味を考える。あれ? もしかして、これって無理に[時雨]を買わなくても、先に相談に来ていたら大輝の形見の太刀を貰えていた流れなんじゃ……いや、でも「少し気が変わった」って言ってるし……どういう事だ?


「わ……わかりました」


 返事こそそう言うものの、結局、その夜は釈然としない気持ちのまま帰路に就くことになってしまった。


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