*幕間話 某国の陰謀


 2020年9月某日


 港区赤坂1丁目の超高層商業施設。その上層階33階から見える景色はまさに日本の中枢を全て視界に収める眺めだ。足元から伸びるような六本木通りを挟み、左右に国会議事堂と中央省庁の合同庁舎ビルが壁のように建つ。そして、通りを真っ直ぐ見渡せば皇居までが一望できる。


 こんなセンシティブな立地に、資本の半分が外資化したディベロッパーの大型商業ビルが建ち、金さえあればほぼ無審査に様々な企業が入居できる。一体この国の危機管理はどうなっているのだろう? と他人事ながら心配になるのは、なにも今が初めてではない。


「北京ではあり得ない」


 そんな独り言が口を衝くが、お陰でこちらの仕事はやり易いのだから、どうか日本はこのまま目を覚まさずにいて欲しい。ただ、日本人谷屋勝たにやまさるとして、別に日本が憎い訳ではない。そういう仕事なのだから仕方がない。それだけの事だ。


 そんな風に考えながら窓の外を見ていると、控え目なノックの音と共に部屋の扉が開く音が聞こえる。そして、


「谷屋様、大変申し訳ありません。もうしばらくお待ちください」


 そう言いながら、オフィスユニフォームをチャイナドレスに改造したような少し奇抜な制服の女性が入ってきた。このオフィスの名目上の所有者である李経世リケイセイの部下、役員秘書といったところか。随分美形な若い女性を揃えたものだと思う。


「構いませんよ、良い眺めの会議室ですから半日は飽きずに過ごせます」


 と、軽く冗談を言ってみるが、李の部下の女性は硬い表情を崩さずに応接セットのテーブルに置かれた湯飲みを新しい物に取り換えた。そして、緊張したような様子でその場に留まるが、


「李常務が来られるまで、ちょっと考え事をしたいので」


 という私の言葉に、その女性は一瞬だけ意外そうな表情を見せ、後はそれを取り繕うと、


「失礼いたしました」


 と言って会議室を出て行った。雰囲気や所作、顔立ちで分かるが、今のは日本人女性だろう。ああいった手合いが、李の部下に沢山居るという。李に言わせれば「ああいうのが受ける」らしい。分からない話ではないが、半分中国人、半分日本人の身として、少し複雑に感じるのは……まぁ彼女が悪い訳でないので、李が来たら一言苦言を呈させてもらおう。


 そしてお茶出し・・・・の女性が部屋を後にした2分後、今度はノックも無しに部屋の扉が開かれた。


「王主任! すみません、お待たせしました!」


 この時点で投げ掛けられた言葉は中国語。声の主は李常務、30代中盤のいかにもキレそうな若い経営者という風貌だ。天津空電有限公司の日本法人TJKジャパンの常務取締役という肩書になっている。しかし、その正体は党の統合情報参謀本部所属、第四部局一級在外情報工作員李経世リケイセイ、早い話が私の部下だ。


「李常務・・。いきなり中国で呼びかけるのは少し考え物だ……ここは日本なのだから」


 立場上、そのように指導する。すると、


対不起ドゥエブチー……しかし王主任、先ほどの女は気に入りませんでしたか?」


 などと、私の中国名、王永民おうえいみんの呼び方を改めもせずに訊いて来た。誰が仕事中に女の容姿に気を取られるのだ、と怒鳴りたくなるが、李の立場は私の部下でありながらも、背後には強力な太子党の父親が付いている。上司だからと言って余り乱暴な事は言えない。


「美しい女性だな、十分に役立つだろう……しかし、私にけしかけても仕方ないのでは?」

「ははは、主任とお近付きになりたくて、ついの出来心です」


 まったく、食えない男だと思う。そもそも太子党の子息である李と、国外帰化人の子息である私では歩んで来た境遇が全く違う。根本的に話が噛み合わないのは仕方ないだろう。そう思うと、急に居心地が悪く感じる。そこで、手短に要件を済ませようと私は話を急いだ。


「例のシステム納入案件は?」

「はい、万事抜かりなく、というところです。随意契約が難しい情勢でも、契約相手が納期と価格の両方で好条件を提示すれば、醜聞を掴まれた議員様も最後は『謝謝你』などと言ってくる始末ですよ」

「そうか、中身・・の方も大丈夫だな」


 日本も最近になってようやく[地下空間構造管理機構]なる組織を立ち上げ、例の魔坑メイズに力を入れ始めた。その組織の管理システム中枢に所謂いわゆるIT機器とシステムの一部を納入するのが、今の任務の第一段階だ。


 その後の任務は未だ不明だが、党本部もまずは米国の大統領選挙に注力したいはずだ。そのため、具体的な指示が出るのは来年1月以降だろうと考えている。それまでは、今回の納入する機器とシステムの稼働を確認し準備を整えておく必要がある。


「勿論です……アメリカの現政権と上院は我が国の一部企業を目の敵にしていますが、あの企業が使っているデバイス類の中身の特定までは出来ていません。逆に良い目晦ましですよ」


 その後の話で、機器とシステムの搬入は9月末の週だということが分かった。関連する事項は万事準備が整っているということなので、これはもう、そうだと受け取るしかない内容だ。それで、話は終わるかと思われた。しかし意外な事に、李の方から別件の相談事持ち掛けられた。


「深沢商事の子会社、FZマテリアルがアメリカ、南アメリカとヨーロッパでメイズ産物品のサプライチェーンを構築しつつあるようです。例の深沢元治ふかざわげんじの主導のようですが……こちらの方はどうしましょうか?」


 という話だ。深沢元治の名前が出ると、こちらも相応に構えざるを得ない・・・・・・・・。なんといっても15年前、当時の中国共産党が日本に対する強力な揺さぶり・・・・として発動した「レアアース輸出規制」を躱して、日本が対策を打つまでの繋ぎとして原材料を供給したのが深沢商事だ。その総帥である深沢元治の名が出た瞬間、こちらも相応の対応を考えなければならない。


「深沢元治には確か息子が3人いたな、後は娘が一人か……息子の方は隙があるのか?」


 結局、こういう切り口になってしまうのが情けない。


「長男は堅物ですが、FZマテリアルを取り仕切っている次男雅治は……かなり脇が甘い人物のようです。仕掛けても良いですか、主任」


 そう言う事ならば、李の部下の女性達も活躍できるだろう。それに深沢相手ならば、総帥の元治に直接手が及ばない限り、何をやっても私の権限範囲内だ。


「詳細は任せるが、公安には引き続き注意するように」


 それが今日の会話の最後になった。帰り際に、


「王主任、今晩お食事でもどうですか?」


 と李が誘うが、それは、


「中国が誇る大企業の董事が、しがない・・・・個人商社のオヤジと飯を食うのは変だろう、お誘いだけ頂戴しておくよ」


 という事で、私は赤坂のビルを後にした。多少堅物過ぎる気はするが、李のような連中と近くで慣れ合う気になれないのは確かだ。我ながら面倒な性格だと思う。


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