*28話 アトハ吉祥メイズ2回目⑤ 急転! [TM研]の危機


 [TM研]の面々を見送った後、[脱サラ会]の人達も「そろそろ湧いた頃だから」と言って今度は中央通路に入って行った。そして、残されたチーム岡本(仮)は、丁度時刻が昼頃という事もあって休憩中に軽く食事を摂ることになった。


 ただ、食事といっても俺の場合はビスケットタイプの固形栄養食と少量の水のみ。トイレの都合とかが有るから、普通に弁当をかき込むという訳にはいかない。そこら辺は各自が独自に情報を仕入れいるようで、岡本さんは小さめのお握り一つ、飯田は俺と同じビスケットタイプの栄養食、そして嶋川は板チョコ、といった具合の食事である。嶋川のチョコレートが美味しそうなので、次回は俺も板チョコにしようと思う。


(吾輩も賛成なのだ!)


 というハム太が心配だが、まぁ、つまみ食いも少しくらいは覚悟しないといけないだろう。


 そう言えば、みんなトイレ対策はどうしているんだろう? 気になるが流石にちょっと訊き難い。ちなみに俺は、ホームセンターで購入した組み立て式簡易トイレと防臭袋・凝固剤のセットをハム太の【収納空間(省)】に準備してある。だだし、前日夜から節制しているため、今の所お世話になる必要は無さそうだ。


(そこらへんに垂れ流し・・・・でもその内消えるのだ)


 とはハム太のアドバイス(?)だ。確かにメイズ内に持ち込まれ、放置された物体は急激に風化して消滅するらしい……しかし、それは最終手段だろう。案外、ハム太の存在を明かす最も現実的な理由はこのトイレ問題になるかもしれない。なんとなく、そんな予感がしてきた。


 という事で、トイレ問題に思いを馳せつつ寂しい食事休憩を終えて、時間的にはモンスターのリスポーンが終わっている頃になった。


「よし、行くぞ!」


 という岡本さんの掛け声でチーム岡本(仮)は本日2度目のアタックを開始する。出発前の岡本さんの言葉では、今日は出来ればもう一往復したいらしい。まぁ前回が良過ぎたからか、今回のドロップが少し貧相に感じるのは仕方ない。


**********************


 ということで始まった2度目のアタックは、1度目同様、飯田と嶋川の弓矢による連携が上手く行き、そこに岡本さんの重たい一撃が加わることで……俺は空気な状態になっていた。一応、司令塔的に指示は出すのだが、流石に踏破したばかりの左側通路の構造は全員が記憶しており、しかもピストルクロスボウの命中率が好調な飯田に余裕が生まれた事で、指示が間に合わないことも多々あった。


 一方、そんな俺の唯一の檜舞台ひのきぶたいであるスライムは、何故か余りリスポーンしていなかった。行き止まりの四隅や角を注意深く観察したのだが、見つけられたのはとても小さいサイズのスライムが2匹だけだった。


 そして、3層へ降りる階段手前、最後の曲がりかどという所で、俺は角にこびり付いた3匹目のスライムを見つけると、嬉々として砂糖とガストーチを取り出す。


「それにしても、ドロップ少ないよな~」

「これくらいが普通なんじゃないですか?」

「ぜぜぜ前回が良過ぎたと」


 背後ではそんな岡本さん、嶋川、飯田の会話が聞こえる。3人ともかどを曲がり終えて3層へ降りる階段が見える位置に立っている。それで話している内容はドロップのことだが、確かに少ないと言えば少ない。2度目のアタックで遭遇したモンスターはメイズハウンド4匹と大黒蟻3匹、それに目の前にいる極小スライムを入れてスライムが3匹だ。それに対して、ドロップはといえば、2匹目のメイズハウンドから[メイズストーン]と[メイズハウンドの皮]、そして3匹目の大黒蟻から[大黒蟻の頭殻]といった具合だ。


「週1回だと少ないし、週2に変えてもいいか?」

「構いませんよ~、どうせ暇だし」

「ぼっぼくも、大丈夫です」


 会話はメイズへ潜る回数を増やす方向に流れている。そんな会話を背中で聞きつつ、俺は、


――バキッ


 と、表面を焦がして反射能力を失ったスライムに木太刀を叩き込んで3匹目を斃した。しかし、結局ドロップは出なかった。


「出ませんでした」


 と俺。対して、


「まぁ仕方ないな……それにしてもコータのリュックサックって結構物が入るんだな」

「私もそれ、思いました」

「どどど、どんな詰め方ですか?」


 岡本さんから不意のツッコミに嶋川と飯田も疑問を向けてくる。思わず返事に詰まる俺。


「え、えっと……」


 確かに、ちょっと調子に乗ったかもしれない。スライム11匹を斃すのに、ハム太の【収納空間(省)】に入れてあった砂糖7kgとガストーチのカセットボンベを2本使ってしまった。しかも、このリュックには木太刀のケースや飲料水などが入っている設定・・になっている。しかし、唯一の出番スライム戦に全力を注ぎ過ぎた結果、そんな設定を完全に忘れてしまっていた。そのため、岡本さん達の興味と疑問を誘ってしまったみたいだ。マズイ、言い訳どうしよう……。


 そんな風に俺が戸惑っている時、不意に前方の3層へ降りる階段から物音、いや明らかに人の立てる音が聞こえてきた。重い物を担いで喘ぎながら階段を上るような息遣い、そして、苦痛を堪えるような呻き声、それらが不意に聞こえてきた。そして、


「がんばれ、春奈!」

「うっ、隆夫ぉ……相川……小夏……達は」

「大丈夫だ心配するな、井田と上田が付いている」


 そんな会話と共に階段から姿を現したのは[TM研]の相川隆夫、そして背中に背負われている江本春奈だ。ただ。その様子は尋常ではない。特に背中の江本は顔面蒼白で……ってなんだ、その出血量は!


「お、おいっ、大丈夫か!」


 岡本さんの声。そして嶋川が息を呑むような小さい悲鳴を上げる。飯田に至ってはテンパってオロオロするだけだ。


「やられた! 春奈が!」


 対して、江本を背負った相川は(彼も顔面や腕にかすり傷が有る)、秀才風の顔を歪めて怒鳴るように言うと、


「ポーションか何かありませんか! 助けて下さい!」


 もはや悲鳴のような声を上げたのだった。


**********************


 床に横たえられた江本は足元に赤い線を引くように左太腿から大量に出血していた。履いているスキニータイプのジーンズには表側の太腿に3つの穴が穿たれ、そこからじくじくと出血しているのだが……この出血量は、ズボンを濡らす出血量と見合わない。ということは――


「江本さん、相川君も、緊急事態だから、ゴメン!」


 俺は、そう言いながら背中からステンレス製のハサミを取り出して、返事も聞かずに江本のジーンズのポケットにそれを差し入れ、そこを起点に鼠径部に掛けてジーンズを切り裂いた。いきおい、鮮血に染まった江本の太腿が剥き出しになる。傷口が見やすくなったことで、大出血の場所もあらわになった。表側の傷口の真裏まうら、つまり内腿の方から血を吹き出していた。傷口の具合からいって、メイズハウンドに咬み付かれたのだろう。


「メイズハウンドか?」


 穴を穿つような内腿の深い傷痕に岡本さんがそんな声を発するが、相川は目の前の大量の出血に呆然としていて答えられない。


「多分動脈を傷付けています……、止血帯! あとガーゼも!」


 俺はそう怒鳴りながら、脇に置いたリュックに手を突っ込む。果たして思った通りの物が直ぐにてのひらに押し付けられた。そして、俺は取り出したナイロン製の止血帯を、


「我慢して!」


 と言いながら、江本の腿の付け根に巻き付け、一気に締め上げた。ジャッという止血帯が擦れる音と、


「ぎゃぁっ!」


 江本が絶叫を発する声が重なる。ほっそりとした太腿に食い込む細いナイロンバンド。内腿の傷跡から噴き出す出血は勢いを弱めた。その様子に、何故か俺は随分昔の記憶を思い出していた。


――同隊ニ飯山鹿之助トイウ大酒飲ミノ陽気者アリ。全軍進撃ノ喇叭ニ勇躍シ、敵陣ヲ目指スモ敵榴散弾ノ弾片ヲ肩ニ受ケタリ。余ト他数名ニテ弾片引抜キテ止血ヲ試ミルモ、軍医ノ助ク処アラズバ何事モ儘ナラズ。而シテ四分ノ壱刻息ヲ保チテ後、小サク母上ノ名ヲ呟キテ絶命ニ至ル。顔面蒼白ニテ唇モ紫色ヲ呈シ呼吸浅迫ノ中ニ在リテ歯ヲ食イシバリテ悪寒ニ耐エントスル様ハ、凄マジキモノ也――


 とは、五十嵐心然しんねん流二代目の日露戦争陣中記の一節だった。所属する隊の1人が砲弾を受け、出血多量で死に至るまでを克明に記した一節だ。これを豪志ごうし先生は、年に一度は持ち出してきて門下生に読み聞かせていた。大体の場合は、怪我の応急処置に関する話で登場する或る意味「定番」の話だ。


――呼吸が浅く脈が速く顔面蒼白で唇も紫色、というのは出血性ショックの症状だ。多くの場合、太い動脈に重大な損傷を受けるとこのような状態になる。こうなってしまうと、直ぐに病院に運んで輸血を受けなければ助からない。出血開始から約2時間が限度ともいわれている。そこで、なるべく出血を防ぐ方法として色々な止血方法がある――


 その時の話は、色々な止血方法についてだった。流石に門下生で試す訳にはいかないのでマネキンを使って各種の止血方法の指導を受けた記憶がある。今俺がやった止血帯を使った方法もその一つになる。しかし、


「おい春奈! しっかりしろ!」


 ふと逸れた意識は、そんな相川の悲痛な声で現実に呼び戻された。横たわった江本を見ると、その顔面は土気色になり、浅い呼吸を紫色に変じた唇から切れ切れに吐き出している。意識があるのかも分からない。内腿の出血は……止まり切っていなかった。くそっ、どうすれば……


(コータ殿! もうただの止血では助からないのだ、吾輩に【回復ヒール(省)】を使わせるのだ!)


 不意に掛けられたハム太の【念話】に、失念していたスキルの存在を思い出す。後は、否も応もなく「頼む!」と念じ返していた。

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