*閑話5 チーム岡本(仮)の休日 嶋川朱音の場合


――嶋川、そのまま右側の壁沿いへ――

――嶋川、大丈夫か?――


 そんなコータ先輩の声が蘇る。確かに初めてメイズハウンドを撃った時は動揺した。昔の記憶が一瞬だけ蘇ったのは確かだ。しかし、不思議な事に、そんな動揺は直ぐに治まっていた。コータ先輩の声のせいか、はたまた、撃ったメイズハウンドに同情心を誘う要素が一切無かったことが原因か……多分そうだろう。可愛いが正義なら、可愛くないのは悪だ。


**********************


 実は、動物に向けて矢を射ったのは初めてじゃなかった。8年前、当時父親の仕事の関係でアメリカカルフォルニア州サクラメントの郊外に住んでいた私は、日本への帰国を控えた15歳のサマーキャンプでハンティングを経験していた。ただ、その経験は全体として余り良い思い出ではなかった。


 その時のキャンプで初めてコンパウンドボウを手にした素人同然の私が放った矢は、標的になった小型の鹿に当たったのだけれど、急所を外していたために無用な苦しみを与える結果になってしまった。しかも、苦しんでもがく・・・鹿の様子に呆然となってしまい、次の矢を撃つことを完全に忘れてしまった。そのため、獲物になった鹿に長い苦痛を与える結果になってしまった。


 そんな初体験だったから、あの後しばらくお肉が食べられないどころか、夢に苦しむ鹿が出て来てうなされる・・・・・という事もあった。しかし、ここからが少しオカシイのだけど、あれだけ嫌な思い出になった出来事なのに、その原因になった弓については、何故か撃った感触が忘れられなかった。矢をつがえ、引き絞り、狙いを付けて、放つ、という一連の動作。放たれた矢が真っすぐ宙を走って標的に吸い込まれる瞬間の興奮。その後の鹿の可哀そうな様子を除けば、とても爽快な体験だった。


 まぁそのような体験があったから、日本に戻った私は高校の部活動にアーチェリーを選んで、そのまま大学時代も(一時期ワンダーフォーゲル部に浮気はしたけど)ずっと続けていた。また、途中でフィールド競技に出会ってからは、ターゲット競技よりもフィールドばかりやるようになっていた。早い話がハマッたのだ。


 でも、流石に社会人になってからは忙しくてやる暇はないだろう思い、スタビやサイト等の附属品を取り払ったベアボウ裸弓状態のコンパウンドとリカーブを1本ずつと、最低限の撃てる装備を手元に残し、残りの用品類は後輩に譲ってしまっていた。


 後輩に譲った件については、横浜の実家(といってもマンションだけど)に預けることができなかったのが理由だ。私の就職とほぼ同時に父の生涯二度目の海外赴任が決まり、しかもそれがベトナムだということで、母が「放っておいたら浮気するにきまってるわ!」と鼻息荒く同行することを決めていた。そのため、実家のマンションは現在賃貸物件となって既に入居者が居る状態だ。


 今となっては惜しい気もするけど、まさかアーチェリーが仕事道具になる日が来るとは思っていなかったのだし、しょうがない。それに元実家のマンションの賃貸収入は私が使っても良いことになっていたから、文句の言いようが無い。


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 そんな事をつらつらと考えている私は、現在横浜市内で用事を済ませて立川の自宅アパートに戻る途中。大きなキャリーケースを二つも引きつつ、武蔵小杉で乗り換えを済ませて南武線の各駅停車に揺られているという状態だ。平日の帰宅ラッシュ時まであと30分という時間の車内はそれほど混んでいなくて、大きな荷物を抱える私も何とか居場所を確保できている。


 横浜での用事は、仕事道具になった弓のメンテナンスと予告通り狩猟用の鏃を調達する事。向かった先は高校時代から何かとお世話になっている小さなお店だ。お店の雰囲気は当時アメリカ育ちの物怖じしないイケイケ女子高生だった私をしても、入るが躊躇ためらわれるほど怪しげなもので、それを今でも保っている。エアガン、ナイフ類に模造刀、迷彩柄の装備類を店頭に並べたミリタリーショップという雰囲気はきっと飯田先輩を連れてきたら喜ぶかもしれない。


 そのお店との付き合いは、当時日本では余り普及していなかったコンパウンドボウを取り扱っているお店、ということでアーチェリー部の先輩から教えてもらったのが始まりだ。その後、私は結局リカーブボウをメインに切り替えるのだけど、弓のメンテナンスをしっかりやってくれるお店なのでお付き合いは継続している。


 それで久しぶりに訪れたお店のオーナーは、まず私の狩猟用の鏃が欲しいという要望に、


朱音あかねちゃん、密猟でも始めるの?」


 と、ちょっと人聞きの悪いことを言ってきた。なんと言っても、日本では弓矢を用いた狩猟が禁止されているので、狩猟用の鏃そんなものを求める人は非常に少ないのが理由だろう。それにしてもうら若き23歳独身女性を捕まえて、最初の一言が「密猟でも始めるの?」とは……オーナーらしい。


「弓はどっち使う? やっぱりコンパウンド?」


 次の質問は悩ましい。一応、両方メンテしてもらい、裏のレンジで撃って決めようと思っている。そう伝えると、


「分かったよ、1時間ほど暇を潰してきて」


 となった。ちなみに弓の種類が悩ましいのは、前回の初メイズで得た経験とその他ゴニョゴニョな理由による。その内、最も真面目な理由は「威力」「取り回し」「重量」の兼ね合いだ。


 リカーブで30ポンドを引いているけど、威力を求めるなら43ポンドのコンパウンド一択になる。ただし、コンパウンドは滑車、カム、ケーブルといった機械的な部品が多いため、その分繊細で故障しやすい。それに、矢を放つ際に使うリリサーの操作に余計なひと手間がかかるため、速射は苦手だ。更に、弓そのものの重量が違う。私が持っている物同士の比較では、リカーブよりコンパウンドが約500g重たい。これはメイズでの経験から分かったことだが、競技と違い片手で弓を持つ時間が長いメイズ内の行動では、重さはダイレクトに疲労に繋がる。


 といった真面目な理由で、威力のコンパウンドか、それ以外のリカーブか、という選択になるのだが……


 一時間後にお店に戻った私は、裏のシューティングレンジ(スリングショットやエアガンにも使う20mほどのレンジ)で、射撃位置の横に設置されている鏡を見ながら、メンテ済みの両方の弓を交互に構えては首をひねる、と言う動作を繰り返したわけだ。


 理由は簡単。どちらのタイプの弓が似合うか? この一言に尽きる。だって女の子だもん。


 正直、コータ先輩はどっち系が好きなのだろうか見当もつかない。そもそも弓のタイプに好みを持っているのはアーチェリー経験者だけだろう、というツッコミが微かに聞こえてくる気もするが、意外に真剣な悩みだ。


 曲線が綺麗なリカーブか、メカニカルで力強いコンパウンドか……思い悩んだ挙句、私はオーナーに意見を求めたのだが、


「どっちでも良いんじゃない。どうせ男なんて服の下にしか興味がないから」


 ハハハ……身も蓋も無いな、このおっさん。


 という事で、悩んだ結果、結論を出せずにお店を後にし、今に至るわけだ。ちなみに、狩猟用の鏃については、厚目のブレードが4方向に飛び出たブロードヘッドを購入した。他にも、如何にも痛そうなトゲトゲした鏃があったが、


「殆ど使い捨てだよ、そういうのは柔いから」


 とのことで、使い回せる丈夫な物を選んだ。後は自宅アパートで鏃の交換をするだけだ。ゆっくりやっても、2日後のメイズには十分間に合うはず。ただ、1Kのアパートで1人黙々と鏃を交換する女って……まぁ良いか、別に見せる訳でもないし。


閑話休題


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