*閑話1 五十嵐里奈の日常① ある休日出勤の午後


 9月の連休最終日だというのに、東京都港区虎ノ門にある[行政法人地下空間管理機構]のオフィスフロアには只管ひたすらPCのキーボードを叩く音が響いている。そんな中、


「どう、里奈りな、進んでる?」


 と、声を掛けてきたのは富岡星華とみおかせいかさん。行政法人地下空間構造管理機構の略して[管理機構]の資源開発部、関東課委託係の係長、30歳独身。私の直属の上司だ。


「データは揃っていますから、後は力業ちからわざです。多分3時頃には終わると思います」


 そんな富岡係長に、私はそう返事をした。他の面々も概ね同意のようで、データを画面に打ち込みながら頷いたりしている。そんな様子を見て、富岡係長は溜息のように息を吐くと、いつもの愚痴を繰り返す。一応、その間、係長の手もデータ入力に動いているのだから、まぁ、仕事の合間の息抜きというものなのだろう。


「まったく、旧態依然とはこの事ね……せっかく大盤振る舞いに予算を投じて導入した各メイズの受託業者確認システムと認定証データベースなのに、こちらマスター側に取り込む作業が人力なんて、笑えないわ」


 そう言いながら、Enterキーを立て続けにバンバンバンと叩く富岡係長。口では自虐気味だが、内心は相当ストレスが溜まっていそうだ。無理もないと思う。世間は4連休の最終日、テレビは政府主導の観光促進事業によって賑わう行楽地の様子や、新型ウイルスの再流行を危惧する声を盛んに報じている。その一方で、管理機構の面々私達といえば、先週から始まった[受託業者]制度の行方に一喜一憂するばかりだ。


 まぁ、連休でもやる事といったら実家に帰って道場で六尺棒を振るくらいだから、別に良いんだけどね。


 と、別に自虐でも何でもない事実を思い浮かべて作業に戻る。作業内容は[受託業者]制度開始から今日までの状況報告の纏め。連休明けの明日午前10時から管理機構と関係省庁のオンライン報告会が予定されている。その報告会で使う資料を、連休最終日を返上して作っている、という訳だ。


 ただし作業内容は単純で、ネットワーク化された各メイズのデータベースから必要な情報を拾い出して書式体裁を整えるというも。そのため、私は作業をしつつも、ついつい意識を別の方へ向けてしまう。


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 母さんの言葉を借りなくても、我ながら華の無い人生だと思う。けれど、そうかと言ってもはや夢を語る歳でもない。「出世に生きる」[キャリアを積む]というのも考えてみたが、それはどうも見込み薄・・・・だ。文科省入省1年目で内閣府下の[先々進科学技術・クリーンエネルギー開発推進局](長いので先エネ局と略す)に里子さとごに出され、そこでの激務の末に[メイズ特措法・メイズ関連法]の成立に携わったのだが、晴れて本省に戻れると思いきや、今度は独立行政法人[管理機構]に出向という状況だ。とてもじゃないが出世コースに乗っているとは言い難い。


 ならば、女の身として結婚し家庭に生きがいを求めるか? と言われれば、答えは即答で「ノー」。そもそも相手が居ないし作る気も無い。その辺の乙女心は高校3年の秋に奥太摩のキャンプ場に置いて来た。一応、その当時思い描いていた二部構成の未来設計図の内、「公務員」にはなっているのだけれど……やっぱりあの未来設計図はもう片方・・・・が揃わないと意味が無かった。


 そして、そのもう片方・・・・が揃わなくなったあの日。毎年巡ってくる8回目の大輝が姿を消した9月16日は、つい最近の事だったが、不思議なほど平然と過ごす事ができた。つい1年前までは考えられなかったことだけど、8月に彼のお葬式を上げたことで一区切りついたせいだろう。受託業者認定試験の関連で忙しかったのも理由だけど……壇に置かれた遺影の笑顔を見るにつれ、「ああ、やっぱりもう居ないんだ」と実感が持てたのは確かだ。


 そういえば、あのお葬式の後に頂いた大輝の形見分けの品はちょっと意味が分からないものだった。お葬式当日は夕方に会議があったため、翌日の夜になって箱を開けたのだが、中から出てきたのはクリアファイルにきっちりと整理されたグラビアアイドルの水着写真だった。どうも、少年漫画週刊誌の巻頭グラビアを切り取ってクリアファイルに整理したものらしい。全部でクリアファイル四冊分、160枚の写真の切り抜きがあった。


 まぁ、大輝だって男だし。水着の写真とかに興味があって当然だけど……なんでコレを私に渡すのよ? と大きな疑問を感じたものだ。もしかしたら、一緒に受け取ったコータと入れ違いになったのかな? と疑問を感じたけど、それを確かめるために大輝の実家に電話をするのは気が引けるし、コータに訊くのも……疎遠なまま関係を放置していた手前、気が進まなかった。


 ただ、そんな突拍子もない形見の品のお陰だろうか? 多分お葬式や、仕事の忙しさ、8年という月日、全てが合わさった結果、大輝への想いは過去の思い出になりつつあった。そして手元に残るのは、母親をして「華が無い」と言わしめる仕事ばかりの日常というわけだ。


 ただ、そんな仕事ばかりの日常でも、少し気になることがあった。それは、コータの事だ。まさか試験会場で顔を合わすとは思っていなかった。


 お葬式の時のコータは、8年前のあの夜から相変わらず、生気と覇気を何処かに置き忘れてきたように精彩を欠いていた。あの夜を境に、コータは変わってしまった。そんなコータの表情と雰囲気を見るのが嫌で、私は彼と距離を取ってしまった。いや、そうやって力なく所在無げに一人で居るコータを見ることで、いつも一緒にいた大輝が居ないことを思い知らされるのが嫌だったんだ。


 分かっている、悪いのは私なんだ。


 でも、鮫洲の受託業者認定試験の会場で出会った彼は少し違って見えた。勿論私の見間違えかもしれないが、後から送った私のメッセージに対するコータからの短い返答には……どこか昔のコータを思い出させる雰囲気があった。


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「……」


 そんな事を思い出しながらのデータ打ち込み作業だったが、私はネットワーク側のデータを映すモニターを見ながら手を止めてしまった。というのも、今まさに思い浮かべていた人物のデータがモニターに映っていたからだ。


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遠藤公大(えんどうこうた)

男性・26歳

認定番号2020A-0713

交付日:2020年9月17日

区分:無し

賞罰:無し

特記事項:無し


地下構造空間潜行記録

20922 14:02 ア吉 入(共)

20922 16:15 ア吉 出(共)(健)


収拾物記録

20922[メイズストーン]2,352g 

20922[メイズハウンドの皮]1枚

20922[ポーション]1本      

20922[スキルジェム]1個    

20922[スライム粘液]1㎏    


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 確か、「会社を辞めた」と言っていたけど、本格的に受託業者としてメイズに入るつもりなのだろうか? 確かに父さんからは「最近また道場に通い出した」と聞いていたが、こういうつもり・・・・・・・だったのなら頷ける。


「それにしても、凄いドロップね」


 思わず感想が口を衝いた。ずっとデータの打ち込みをしているが、ここまで高額なドロップを出したケースはそれほど多くない。しかも潜行記録は9月22日の一度だけ、それも2時間という短時間でこの成果は、多分トップクラスだ。やるわね、コータ。


 とは言いつつも、潜行記録に(共)とあるから、単独ではなく集団で行ったということだ。どんなメンバーで行ったのだろう、と思いリンクを開けてみるとコータの他に3人の名前が出てきた。男性2人に女性1人。男性2人の方は特筆する事項は無かったが、女性の方は、


嶋川朱音しまかわあかね……2015年アーチェリーでインターハイ出場……23歳かぁ、若いなぁ」


 だからどうした、という訳でもないけど、思わず気になって見てしまった。顔認証システムの元データとなっている画像は、まぁ同性の私がみても可愛らしい笑顔で映って・・・・・・いた。というか、証明写真に笑顔で映るかね?


「恋人……なのかな?」


 口を衝いた言葉が、耳から入って脳に至る。……何を言っているんだ私は。コータがどうしようが関係無い話……


 と、頭の中がゴチャゴチャし始めたころに、


「じゃぁ、もう切り上げよう。残りは明日の朝でいい。さっさと帰ろう、飲みに行くか?」


 と、富岡係長の声がかかった。勿論、飲みに行くのは遠慮しておいた(色々と面倒な性格の方なので)。


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