*14話 独立行政法人「地下空間管理機構」と五十嵐里奈


「独立行政法人、地下空間構造管理機構の五十嵐と申します。皆さまには、お疲れのところ申し訳ございませんが、後もう少しお付き合いを頂きますよう、お願いします」


 と、もう一礼。そして、一緒に入ってきたスーツ姿の男達が受講席にクリアファイルに入った書類を席に配り始める。壇上の里奈はそれが行き渡るのを見届けると、


「それでは、お手元にお配りした書類をご確認ください」


 と言う。と同時に講習室の照明が落ちて正面のスクリーンに配られた書類の見本が映し出された。


「お配りした書類は地下空間構造管理機構、長いので管理機構と省略しますが、その管理機構と皆さん方との間の管理委託契約書になります。本日この場で署名捺印を頂いた方には引き換えに認定証をお渡しいたします。一方、内容について時間を掛けて吟味したい方については、仮証をお渡ししますので、後日契約書か撤回申立書をご郵送ください。撤回申立書はそのまま納付金返還請求書になりますので、申立てが受理され次第、納付頂いた金員を順次銀行振り込みにてご返却いたします」


 流れるようなそつのない説明だ。ただ、それを里奈がやっていると思うと、不思議な感じがする。


「それでは、管理委託契約書の内容について、足早ではありますが説明いたします。スライドをお願いします」


 里奈の言葉に応じて、スクリーンの画像が変わる。そして、しばらく里奈による契約書の内容に関する説明が続いた。


「報道等により皆さんも不安をお持ちかもしれない点について、まず医療補助ですが、これは既存の健康保険とは枠組みが異なります。といっても、これは所謂メイズ内に於ける受傷に対する診療に限定されますが、この場合は政府指定病院にて診療を受けてください。窓口負担は基準診療報酬に基づき4割の窓口負担となります。一般的に言われる自由診療に該当する治療を受ける際の取り扱いは通常の健康保険と変わりはありません」


 少し講習室がざわめく。壇上の里奈はそのざわめきが少し治まるのを待って、


「でも、例えばメイズに行った後に打ち上げで飲食店に行って、そこで不運にも食中毒になったという場合は、通常の健康保険による診療受診が可能ですからご安心ください」


 と、少しくだけた・・・・調子で言う。生まれ育った環境のお陰で元からはらが据わっている里奈だから、説明を続ける声に浮ついた震えなどが一切ない。そんな口調で始まった説明が、ここで少し冗談ぽい話をしたものだから、ざわめきの一部は笑い声に変わった。


「また、先ほど申しました窓口4割負担については、空間管理受託者共済という共済基金に加入していることが前提となりますので、詳細はお手元にお配りした冊子をご確認ください」


 笑いとざわめきが治まるのを待って里奈は説明を再開する。ちなみにお手元の冊子とは、先ほどの3冊とは別にクリアファイルに契約書と共に入れられていた冊子だ。


「次に、これは皆さんにとって最も重要なことになりますが、メイズ内部で拾得した物品に関する取り決めはこのようになっております」


 里奈の言葉に合わせて正面のスクリーンが再び変わる。内容は、メイズ内部で拾得した物品に関する取扱いだ。そこには、地下空間構造メイズ内部で拾得した物品に関しては地上に出た時点で所有権が地下空間構造管理機構に移転する、と書かれていた。しかし、所有権の移転自体には強制力はなく、あくまでメイズ地上部に設置された買取窓口おける売買行為を介して行われるようだ。


「拾得物買取制度については現在のところ毎年2回基準買取価格を公表し、その買取価格に市場状況をプラスマイナス20%の範囲で反映した当日買取価格において、皆さんから一元的に買い上げることになります。また、この拾得物買取については本委託契約書内に記載されており、署名捺印と同時に承諾したことになります」


 随分回りくどい制度に見える。拾得物の流通と買取価格の統制を行いたい政府と、古典的な原始取得に対する考え方、ひいては財産権の保護に重きを置いた法曹界との妥協の産物だろうか? などと、穿ったものの見方をしてしまう。


「買取価格につきましては冊子末に2020年6月時点の基準価格が記載されています。より詳しくは管理機構の受託業者向けWebサイトにて確認できます。この受託業者向けサイトは個人名と登録番号、後日設定頂くパスワードが必要になりますが、内部の情報は現時点で発見されているメイズの場所や内部に関する情報が記載され逐次アップデートされる予定ですので、一度目を通しておくことをお勧めします」


 里奈はそこまで言うと一区切りをつける。同時に正面スクリーンが消え、講習室全体の照明が戻った。


「本日の説明は以上になります。ご質問等は冊子に記載してあります管理機構の相談窓口へ電話またはメールにてお問合せを受け付けておりますので、そちらのほうへお願いします。当日発行、または仮証発行は1階出口横に本日5時まで窓口を設置しおりますので、お帰りの際は忘れずお立ち寄りください」


 と、締め括り、里奈は壇上から一礼して講習室を出て行った。パラパラと拍手が起きるのはどういう事だろう? と少し疑問に思ってしまう。まぁ、拍手の方はさて置くにしても、今の時刻が午後4時だから、あと1時間の内に即日発行を受けるか保留して仮証を受けるかを決めなければならない。なんというか、全体的に慌ただしいと感じる。多分、前例の無いケースを初めての運用するため、里奈たち現場は相当混乱しているのだろう。ご苦労様だと思う。


「まぁ、こっちは結論ありき、だけどな」


 と独り言を漏らし、俺は管理委託契約書に必要な項目を書き込むと持参した判子を押した。署名捺印したのはメイズ内の事故に関する賠償請求権の放棄誓約書、一括買取に対する同意書、報酬受領用銀行口座の申請書、等々の書類であった。


「さて……」


 書くべき事を書き終えた俺は、そう一息ついて周囲を見回す。ざっと見たところ、サッサと署名をする人が7割、残り3割くらいが、細かい文字の契約書を一生懸命に読んでいる。そんな状態の講習室を見回して、岡本(元)MG達三人の姿が見えないことを確認した俺は、1階へ向かった。


**********************


 1階のエントランスでは折り畳み机を4つ纏めた急造のカウンターが2か所に置かれ、夫々、即日交付と仮証交付の窓口になっていた。その内、即日交付のカウンターには既にそこそこの人数が列を作っていた。契約書の記載内容を確認し、一人ずつ氏名と顔を確認してから認定証を手渡しているからだろう。


 俺はその列の後ろにつき、後は自分の順が来るのを待つ。そうこうしていると、応援のように数名のスーツ姿の男達と共に里奈も交付窓口へやってきた。そして、程なく俺の順番が回ってくる。


「はい、お預かりします……内容確認いたしました、こちらが契約書と誓約書の控えになります」


 認定証の受け渡し場所の一歩手前で契約書等の控えを貰った俺はそのまま一歩進み出る。そして、


「ええと、遠藤公太さんですね。本日はお疲れ様でした……えぇ?」


 殆ど定型文のように機械的に名前を読み上げ、挨拶をしつつ顔を上げる里奈。そこで俺の顔を見た瞬間、なんとも言えない表情をした。間近で見ると化粧で隠せないほど濃い疲労感が顔に出ている。しかし、里奈の表情は、それを覆い隠すほどの驚きを纏っていた。


「な……なんで、コータ?」

「お疲れ様でした」


 固まる里奈に対して、俺はそういうと彼女が手に持っていた認定証を摘まみ上げるようにして取り上げる。その後は一歩も振り向かずに鮫洲試験会場を後にした。別に恰好付けようとか、そんな気持ちは無い……少しあった。


**********************


 エントランスの外では岡本(元)MG達三人が俺を待ち構えていた。なんでも、再会を祝して食事に行こう、という事らしい。しかし、折角のお誘いはありがたいのだが、残念ながら今日は1か月振りの新月なのだ。時間も日没までそれほど余裕がない。そのため俺は、


「すみません、ちょっと夜に用事がありまして」


 と断りを入れる。


「残念だな。まぁパーティーの事は考えてくれよ、明日一度連絡する」


 と言う岡本(元)MGと、


「え? もしかして彼女……聞いてませんよ!」


 と口を尖らせる嶋川、


「さささ、三次元はちょっと……」


 と意味不明な事を言う飯田の三人にもう一度謝り、俺は家路に急いだ。そして鮫洲の最寄り駅に着いたころ、


**********************

父さんには相談しましたか? 未だなら一度相談してください。

あと私の立場で言うのはおかしいけれど、くれぐれも危ない事はしないでください。


里奈

**********************


 というショートメッセージを受け取っていた。俺は短く、


**********************

豪志先生には明日相談するつもりです。

それより、随分と疲れているみたいで心配です。


可愛い顔が台無しだぜベイビー。じゃ、


**********************


 と返事を送っておいた。なんとなく、高校時代のノリを思い出して懐かしい感じがした。


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