*13話 無職文無しの行きつく先は試験会場
あの日、田中社長(年上だし、こう呼ぶことにする)の熱いお説教を受けた俺と千尋は、
「金は明日、この上の事務所に持って来てくれ。領収書を準備しておく」
という言葉を聞いて喫茶店を後にした。田中社長の会社 ――田中興産―― は喫茶店のあるビルの3Fに事務所を構えているとのことだった。
その後は下北沢駅近くのファミレスで千尋と少し話し、そろそろ出勤時間だという千尋を駅のホームで見送った。別れ際の千尋は「メイクが崩れちゃう」と言いながら、少し泣いていた。俺としては色々言いたい事はあったのだが、それらの大半は自分に向けた言葉だったので、千尋には「またな」と言うだけだった。
その翌日、銀行で下ろした200万を持って田中興産を訪れた俺は、田中社長ではなく、
「昨日の今日だから、きっと気恥ずかしいんですよ、あの人はああいう人なんで」
ということ。分かるような、分からないような説明だった。
そして、待つこと一週間後、田中社長から連絡があったという千尋の電話を受けた。曰く、
「10月末から毎月14万円の24回返済になったの……ちょっと厳しいけど頑張ってみる」
ということだった。対して俺は、
「本当に大丈夫か? 生活していけるのか?」
と自分の事を棚に上げてそう訊いたものだ。
実は、もうこの時には心は固まっていた。母が死んでからの3年間、連絡を取り合うこともない内に、千尋はどのような経緯で今の仕事に就いたのだろう。そう考えると正直なところ冷静さを保てなかった。自分はなんて無関心で頼り甲斐の無い兄だったのだろうと思うと、身のやり場が無い気持ちになる。そうであるからこそ、
「俺が借金を返してやる!」
と決意したのだ。そして、
「立派な決意なのだ! でもどうやって返すのだ?」
と言うハム太に、
「だからメイズに行けばいいんだろ!」
と、投げやりに返していた。
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2020年9月17日
この日の1週間前に当たる9月10日が日本に於けるメイズ・ウォーカーこと[地下空間構造管理受託業者]の第1期募集締め切り日だった。申し込みは当初ハローワークや市役所に申込用紙が置かれていたのだが、9月になってからはWEB上で申し込みが可能になっていた。その申し込みフォームを利用して俺が申し込んだのが締め切り間際の9月9日だった、という訳だ。
ネット掲示板によると、申込者が想定を遥かに下回る状態だという事らしい。そのため、急遽WEB申し込みの運用が始まったということだ。真相は不明だが、確かに未確定の情報が多い[地下空間構造管理受託業者]という仕事は、今の所、職場がメイズの発見されている東京都西部と兵庫県と大阪府に限られる上に、地上波メディアが
そのためか、選考試験会場の一つである品川区の鮫洲運転試験場に集まった受験者の数は150人前後だった。試験会場は東京で他に2か所、関西では大阪に1か所、後は東北北海道・甲信越・関東・中部・関西・中国・四国・九州沖縄の各地域に1か所という配置なので、もしかしたら第1期の受験者は全国で千人を少し超える程度なのかもしれない。
試験会場の雰囲気は余り良いものではなかった。全体的になんというか、負のオーラとでも言うようなどんよりとした空気が漂っている。もっとも、[地下空間構造管理受託業者]なる、得体の知れない資格を得て仕事にしようという連中は、まともな職に就き損ねたドロップアウト寸前の連中なのだろう。そして、自分自身がそんな会場の一員であることに、なんというか、誠に遺憾である、と言わざるを得ない。
試験の内容は、そんな受験者に向けて難易度を寄せてあるのか、とても簡単なものだった。前半が性格診断テストで、休憩を挟んだ後半が一般常識を問う100問の〇×問題だ。場所がら運転免許試験を彷彿とさせる見た目だが、内容は免許試験よりも簡単に感じた。
その後は午前の内に受験者153人中148人合格という合格発表(勿論合格した)があり、合格者は認定証書交付金(15,000円もした!)を納付し、次いで認定証に使う写真撮影と昼休憩を経て、午後13:00~講習、16:00頃に認定証を交付して解散という流れだ。
その昼休憩中に、俺は意外な人達と再会することになった。
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試験場の1Fにある長椅子の一画に座り、コンビニで買った菓子パンとPETボトルの水による昼食を済ます。180円/846Kcal也、実にコスパが良い。ちなみにPETボトルの水はそこらへんの給水機で補給したので実質0円だ。全く素晴らしい。
そうやって昼食を済ませると後は午後の講習が始まるまで暇なので、設置された大型TVに映る〇HKのニュースを眺めて過ごす。そんな俺に声を掛ける人がいた。
「ああ、やっぱりコータだ、久しぶりだな!」
「せせせ、先輩、ども」
「コータ先輩、お久しぶりですぅ!」
驚いて振り返ると、そこには岡本(元)MGと、バイトテロの心労で早々に会社を辞めた
「お、お、お久しぶりです……三人とも、メイズの試験ですか?」
ちょっと
「ああ、そうだ」
「そうです」
「そうなんですぅ」
と答えていた。その後、再会した元ブラック職場の社員4人は昼の休憩時間中、長椅子で話し込むことになった。
何でも、岡本(元)MGは二人の子供の面倒を見ながら働くという条件に合う職場が中々見つからず、奥さんからの再就職プレッシャーも日ごとに強まる環境下で、この試験を受ける事を思い付いたそうだ。元・元ヤンMGのあだ名の通り、腕っぷしに自信があるのも理由だろう。
「犬っころとかデカい蟻とかをバットでボコって、落とし物を拾うんだろ。カツアゲより簡単さ」
という事らしい。確かにあの犬 ――大輝の世界では
一方、飯田翔の方はもっと香ばしい理由だった。それは、
「だだだ、だってコータ先輩、メイズとかモンスターとか、異世界じゃないですか。だったら、中にはエエ、エルフのお姫様とかロリドドドワ娘とか居るに決まってます。それに、魔法だって使えるそうですよ、もう真面目にサササッ三十過ぎまで魔法使いになる修行をしなくても済むんです!」
というものだ。岡本(元)MGが苦笑いして嶋川がドン引きしているが、俺も二人と同じ感想だ。実に飯田らしい、と言わざるを得ない。
そして、気になるのが嶋川なのだが、彼女が言うには、
「岡本さんが辞めてから……もうセクハラが酷くて!」
ということだった。チーム岡本が解散になり、同期社員とは別々のエリアに再配属になった嶋川だが、彼女が新たに配属された埼玉エリアのMGがちょっとヤバかったらしい。基本一人行動のエリアスタッフにもかかわらず、何かと理由をつけて嶋川を同行させたといことだ。因みに移動はバンタイプの社用車になるのだが、帰社が深夜になることも頻繁で、車内・社内ともに長時間二人きりという場面がやたらと多かったとのことだ。
「道を間違えたって、ラブホ街に入ったり、偶然ぶってお尻を触ってきたり……挙句の果てに、社用車の助手席の足元にカメラを隠してたんですよ! 盗撮ですよ!」
ショートボブの丸顔系守ってやりたくなる妹属性な嶋川だが、可愛いというのは時にトラブルの種になるようだ。なんというか、ご愁傷様だ。隠しカメラはこっそり取り外して人事に叩き付けたらしいが、全く処分の音沙汰がないどころか、かえってセクハラが過激になったらしい。それで、やむを得ず2週間前に会社を辞めたということだった。
「まぁ、あいつは深沢の親戚筋だからな……なんか、悪かったな朱音」
とは岡本さんの言葉。親会社のFZグループは同族経営なので、そのエリアMGが親戚筋ならば子会社の人事部は文句も言えないだろう、会社に残れるように交渉したのがかえってトラブルを招いてすまなかった、という内容である。勿論嶋川は「そんな事ないです!」と否定していた。
「でも嶋川、何でメイズなの?」
「岡本さんに誘われて、その内コータ先輩も誘うって聞いたから……それに、私こう見えても高校時代からアーチェリーやってるし、大学のときはワンゲルとアーチェリーの掛け持ちだったんですよ」
俺のもっともな質問に、嶋川は鼻の穴を少し膨らませて自慢げに言う。前半はちょっと意味が分からないが、なるほど、活動的な嶋川らしいご趣味をお持ちのようで……
と、そこまで話すと、どうしても俺の方の理由も話さなければならない空気になる。しかし、余り妹・千尋にまつわる借金の話はしたくないので、結局、
「一攫千金ですよ、夢があるじゃないですか」
という事にした。それに対して岡本(元)MGは、
「あの生きる
と言い、
「コータ先輩、何かあったんですか? 世捨て人みたいだったのに、いきなり物欲全開じゃないですか、やだぁ」
「かかか、金目当ては感心しないですね」
と、嶋川と飯田からも少し疑う視線を受けたが……いや、視線はいいが、今なんて言われたの俺? あと、飯田、ロリドワ娘目当てのお前に言われたくないぞ。
「まぁ、嶋川が言った通り、俺達で始めてみて上手く行きそうだったらコータも誘おうかって話をしてたから丁度いい、どうだ、折角だから一緒にやらないか?」
と俺の疑問を他所に話題が移った。
「ま、考えておいてくれよ」
午後の講習開始を報せる予鈴が鳴る中、岡本(元)MGはそう言って俺の肩をポンと叩いた。三人とも顔見知りであり、共に仕事をした仲だ。悪い人でないことは良く分かっている。しかし、岡本(元)MGと一緒にって……なんかブラック気質なパーティーになりそうで怖い。
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午後の講習では、合格者全員に分厚い冊子が3冊ずつ配られた。1冊は[地下空間構造管理受託業者]向けの法令に関する冊子。もう1冊は国税庁が発行した[個人事業主]向けの開業届から確定申告までの流れを記した手引書。最後の1冊は同じく国税庁が発行した[受託業者]向けの特別税制の仕組みについてであった。
そして、始まった講習。税制に関する2冊の冊子は、
「皆さん、各自で熟読しておいてください」
ということだった。ボリュームの割に説明が投げやりなのは、講習を行う側が警視庁所管の免許センター職員だからしょうがないだろう。
一方、法令関連の冊子の方については、その一部について入念な説明がされた。
「皆さんは[地下空間管構造管理受託業者]として、その目的に於いてのみ、
まぁ、実に警察らしい話だと思う。銃砲火器を除く刀剣類という武器の所持や運搬、使用が認められる[特定受託業者]であっても、その目的に外れた運用は犯罪になる、という念押しである。しかも、
「当面は所謂メイズ付近において制服警察官の巡回が増える見込みです。皆さまは必ず認定証を携帯していただき、警察官が求める時には速やかに所持品の確認に応じて頂きますよう、ご協力をお願いいたします」
ということだ。つまり、当分は警戒を強めるから所持品検査には応じてくださいね、ということになる。多分、この所持品検査は法律的な裏付けが曖昧なのだろう。だから、このようなお願いになるのだ。そして、極めつけが
「認定証不携帯での当該物品の所持、運搬、使用については、銃刀法の処罰対象になります。運転免許の不携帯とは異なり、即現行犯逮捕となりますので、くれぐれもご注意ください。また、運搬中に於いても冊子に記載がありますように、安全面に配慮した厳重な梱包が求められます。これを怠った場合、軽犯罪法に新たに追加された『相当の注意を怠り他人の安全を阻害する可能性のある物品を扱った者』という項目に該当します。軽犯罪法ですが立派な法令違反であり科料罰金刑の対象になりますのでご注意ください」
とのことだ。まぁ、行政に頼まれて住宅地に出た害獣を駆除した猟友会有志の猟銃を、後日手続き不備により取り上げるのが日本の警察だ。日本の治安を守る警察組織としては、限定的ながらも民間人が物騒な武器を持つことが法律で認められる事態は面白くないだろう。
「とにかく、皆さんが取り扱う道具類は世間一般には武器と呼ばれる物になります。その保管、管理、運用の全てに於いて、皆さんがあらゆる責任の主体者となることを十分に認識し、しかるべく対応をしていただくよう、お願いいたします」
と、説明がひと段落したところで運転免許センターの職員と思しき人は講習室を出て行った。
これは後になってネットニュースで知ったことだが、鮫洲運転免許試験場でのこの説明はまだトーンが抑えられたものだったようだ。中には
「警察は皆さまの居住場所周辺で凶器を用いた凶悪犯罪が起こった際、真っ先に皆さまに照会を行うことになります。この点にご留意ください」
と、どストレートに「警察はお前達を犯罪予備軍だと考えている」と述べた試験会場もあったようだ。この点一つとっても、[地下空間構造管理受託業者]制度の運営に、政府内の足並みが完全に揃っていないことが分かるというものだろう。
まぁ、それはさて置き、制服姿の免許センター職員は退席したが、講習自体は終了ではない。その証拠に、入れ替わりで濃紺のパンツスーツ姿の女性が数名のスーツ姿の男達と共に講習室に入ってきた。気持ちとしては少し
壇上に立ったパンツスーツの女性は、百数十人を前に姿勢正しく一礼して顔を上げる。卵型の輪郭に整った目鼻立ちのスッキリとした美人顔のその女性は、しかし驚いたことに、俺の顔見知りだった……
「里奈……なんで?」
思わず呻き声を発してしまう俺であった。
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