*3話 出会い頭にゴー・トゥー・ヘルゥ!


 短い落下感。激突又は墜落を予感した俺は反射的にハンドルを強く握る。しかし、次に訪れた衝撃は予想を超えるものだった。


――ガッガッシャン


 下り傾斜に前タイヤと後タイヤが時間差で接地し、反動で車体が再び跳ね上がる。その衝撃に、俺の身体は自転車を離れて再び宙へ。同時に自転車のカゴに突っ込まれた買い物袋が中身を盛大にぶちまける。


 宙に投げ出された俺は、妙にゆっくりと感じられる時間の流れの中で、落下先に二つの小さな光を見た。LEDライトを反射したそれは、まるで夜行性の肉食獣のように赤く濁った両目でこちらを見ている。野良犬かと咄嗟に思うが、しかし、結論より先に結果が待っていた。


――ドガッシャンッ


「ギャンッ」


 自転車が墜落する盛大な金属音と、獣の悲鳴が重なる。そして、


「おわわぁ……ぐほっ!」


 俺は横倒しになった自転車の後輪部分に、受け身を失敗した格好で背中から落下した。受けた衝撃で肺の空気が叩き出され、目から火花が飛んだと思った。だが、後輪のスポークがクッションになったのか、それとも、


――グシャッ


 という何かを潰したような感触が俺の運動エネルギーを受け止めたのか、


「痛ってぇ……」


 という感想だけで済んだようだ。


「……なんなんだよ……ったく」


 状況が呑み込めない俺は、疑問とも悪態ともとれる言葉を吐いて上体を起こす。丁度横倒しになった自転車の後輪に座る格好だ。その状態で周囲を見回す。


「ここ……どこだ?」


 というのが素直な感想。


 周囲の空間は古びた蛍光灯に照らされたような明るさ。バッチリ明るい訳ではないが、近くの物を見るには不自由しないといった程度。丁度、地下道の中の明るさに似ている。そんな頼りない明るさを保った空間を見回したところ、視界の先にぼんやりと壁と天井が見えた。さっき通過しようとした地下道のコンクリ壁とタイル張り天井によく似ている。壁には等間隔で設置された蛍光灯の照明があるのだが、その照明は点灯していなかった。となると、不思議な事に光源が見当たらないのだが、強いて言うなら天井全体が明るさを発しているようだ。


「どうなってるんだ?」


 と疑問を持つが、今は自分の居場所を確認する方が大切だ。そう考え、一旦明るさへの疑問を忘れて、俺は視界を周囲に動かす。すると、この場所はホールのような円形の空間だと分かった。そして、この円形の空間に下りるための急な階段は俺の直ぐ近くにある。どうやら、この階段の上から落ちてきたらしい。その証拠に階段の降り口、つまり俺の周りにはさっき買った品々が買い物袋と共に散乱している。


「この高さを落ちてきたのか……」


 4mほど上にポッカリと空いた丸穴を見上げ、これで良く五体無事だったと我ながら驚く。どうやって落ちてきたのか? そんな事を自然に考えるが、その瞬間、俺は赤く光る一対の獣の目を思い出した。そして、


「うおぁ!」


 今頃になって尻の下のグニャリとした感覚を思い出し、その場を飛び退いた。


「……い、犬……なのか?」


 飛び退いた俺が振り返った先、つい一瞬前まで自分が尻を乗せていた自転車の下には[犬]と形容するのが一番近そうな生物(?)がぐったりと横たわっていた。恐らく落下してきた自転車と衝突し、ダメ押しで俺の体当たりボディープレスを受けたためだろう、倒れたソレは、愛嬌を一切感じさせない恐ろしげな表情で白目を剥き、口から血の泡を吐いている。しかも、小さな血溜まりの中の首はあらぬ・・・方向へ曲がっていて、どう考えても死んでいるように見える状況だ。


「野良犬だよな?」


 犬は頭から尻に掛けての体長が1mを超える大型種。しかも、青黒い体表には体毛が無いようで、ツルリというよりヌメリとした質感の皮膚をしている。珍しい犬種かもしれない。とても自分では飼いたいと思わないが、もし飼い主がいるならば、何等かの損害賠償を吹っ掛けられたりしないだろうか? 無職無収入の身で損害賠償なんて御免被る。そんな心配が湧き上がった。


 しかし、よく考えれば、こんな場所に飼い犬がいるとも思えない。そもそもここは何処なんだ? 地下道の下にこんな場所があるなんて聞いたこともない。大体、地下道にいきなり穴が開くなんて、立派な事故じゃないか。行政は何をやってるんだ。


 と、俺の疑問がその方向へ向き始めた時、不意に犬の死体が透けるように薄くなった。目の錯覚かと思ったが、間違いなく死体の下のコンクリ地面が透けて見える。


「えぇ?」


 その様子に、俺は思わず声を上げるが死体はそのまま薄くなり、やがて


――ガシャン


 と、支えの無くなった自転車が地面を打つ音と共に消えてしまった。


「……CG?」


 思わずそう呟く俺は、倒れた自転車を恐る恐る引き起こして、死体のあった場所を確認する。そこにあったはずの犬の死体も小さな血溜まりも綺麗に無くなって、その代わり、地面にゴルフボール大のガラス玉が転がっていた。


「なんだこれ?」


 ほぼ無意識にそれを拾った俺は、光源不明な明かりの下で、そのガラス玉に目を凝らす。玉の中に何かキラリとしたものが見えた気がしたが、それ以上は明るさが足りずによく見えない。


「……そんな事より、帰ろう」


 そこでふと我に返った俺は、拾ったガラス玉をジーンズのポケットにねじ込み、散らばった荷物を片付ける事を優先する。


**********************


 紙パック入りの飲料というのは、意外に頑丈だということが分かった。角が潰れているが、中身が漏れることは無さそうだ。あと、パック入りのご飯とレトルトカレーも無事そうで安心した。しかし、インスタント袋麺、君は多分手遅れだ。袋こそ破れておらず、気丈にも平然を装っているが、きっと中身はボロボロだ。だが、心配しないでくれ、俺はそんな君でも変わらずに愛する。


「とりあえず、晩飯は君だ!」


 と、無生物に対して無駄に高いテンションで博愛を宣言する。と同時に袋麺を買い物袋に入れて片付け終了。ボコボコに変形した自転車のカゴが悲惨だが、流石愛車のタフガイは、あの衝撃にパンクすらしていない。ちょっとハンドルと左のペダルとフレームと後輪スポークが歪んでいる気がするが、多分問題無い。乗り手が補正すれば良いだけだ。


 そう納得した俺は、買い物袋を改めてカゴに突っ込む。しかし、変形によって容積が縮んだのか、突っ込んだ拍子にフライパンが飛び出して、コンクリの床に落ちてしまった。


――バイィィン……


 まさにフライパンを床に落としたような音が広い空間に響き渡る。思わずビクッとして周囲を窺う俺。ざっと見渡した限りでは、さっきのような犬の姿はなかった。だから大丈夫だろうと思うのだが、その一方でこの空間の異常さにも薄々勘付いていた。


 地下通路と同じような壁が周囲を取り囲む円形の空間。ざっと説明すれば、その通りなのだが、その壁の様子がどうも不自然なのだ。有り体に言うと、同じ絵面えづらを延々とコピペしたように画一的なのだ。しかも、足元の地面には視覚しょうがい者用の誘導ブロックがあるのだが、上の地下道では真っ直ぐに敷かれているブロックが、この地下空間ではまるで崩した格子模様のようにランダムで配置されている。


 その事実を認識した瞬間から、俺は無駄に高いテンションで回収作業を急いでいた。強いストレスに対して高いテンションで対抗すのはブラック企業戦士ならば誰でも持っている基本スキルだろう。


「よ、よし、戻ろう! ……」


 落ちたフライパンを片手で持ったままハンドルを押すように登り階段へ向かう。その時、


――チッ、カチッ、カチカチッ


 背後から、妙に軽くて高い音が聞こえた。まるで、爪を伸ばした犬がコンクリの上を歩いているようじゃないか? いや、気のせいだろう……気のせいであってくれ。


――カチッカチッ……タッタッタッタッ


 自転車を殆ど引っ張り上げるようにして、勾配のキツイ階段を頑張って10段ほど登ったところで、背後から聞こえる音は無視できなくなった。いや、本能が「無視するべきじゃない」と告げている。そして、振り返った俺の視界には、元気良くこっちに突進してくる新手の犬の姿があった。どっから出てきたんだ!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る