*2話 無職男性、落とし穴(物理)に落ちる

*2話 無職男性、落とし穴(物理)に落ちる


 ブラック企業の[名ばかり管理職]から[26歳無職男性]にクラスチェンジした俺は、自宅アパートに戻ると、その日の午後は求人情報誌を片手にアンニュイな時間を過ごした。


 当座の生活費については、ブラック会社唯一のメリットともいえる「使う時間がない」のお陰で、直ぐに困窮することは無い。月々の給料は入社直後を除き殆ど変化無く一貫して手取り16万円(残業代ってなんだろうね?)。そこから生活に係る固定費を除いた金額が毎月通帳に積み上がっている。外食産業全体の利点なのかウチの会社だけなのか分からないが、店舗に出向いた際は厨房で賄いを喰わせてもらえたので食費が軽いのが幸いしたようだ。結果的に預金残高は200万円を少し超えている。


 さてそうなると、勤労意欲というものが余り湧き上がってこなくなる。「急いては事を仕損じる」という通り、焦った挙句に前以上のディープ・ブラック企業に就職したのでは目も当てられない。「急がば回れ」の格言に習い、ここはじっくりと腰を据えて……早い話がやる気が出ない。26歳のモラトリアムだ。


 そんな俺は、ローテーブルに頬杖を突き、求人誌を捲っては閉じる、という行為を繰り返していた。実に生産性の無い時間の過ごし方だと、我ながら呆れる。


「……なにやってんだろ」


 バカバカしくなって、手を止める。すると求人誌は「新しい資格と職業」と銘打った特集ページを広げた状態になっていた。ふむふむ……


 なんでも[地下空間構造管理受託業者]という長ったらしい名前の新しい資格試験が来月の下旬にあるそうで、その資格に関連する特集になっていた。既に同様の制度が運営されている外国の事例を紹介する記事には、米国、中国、東南アジアの[メイズ・ウォーカー]と呼ばれる人達の暮らしぶりや仕事の内容が書かれている。


「ふーん……本当に儲かるのかな、これ」


 記事では[メイズ・ウォーカー]として一攫千金の夢を叶えたベトナム人青年が、赤い高級スポーツカーを背景に腕を組んでドヤ顔を決めている写真が合わせて載っている。しかし、前半でそのように盛り上げておきつつも、記事の後半には幾つかの死亡事故や重大な怪我を負った事例が紹介されており、日本の制度では「生命保険が適用されない」「怪我の治療が通常よりも高い負担となる」「労働災害の適用外になる」などの問題点があることを指摘して締め括られている。


 全体として何が言いたいのか良く分からない特集記事だったがハイリスク・ハイリターンな職種になりそうだ、ということは分かった。最近はニュースを殆ど見ていなかったので、今の世の中はこんな事になっているのか、と浮世離れした感想が沸いてくる。


「まぁ、何か資格を取るのは良いかもしれないけど……これはないな」


 そんな結論を得た所で空腹を感じた。窓の外を見ると夕暮れ時の空の色。食欲にモラトリアムは無いらしい。仕方なく俺は近所のスーパーへ出かけることにする。ついでだから、生活費を切り詰めるため自炊に必要な台所用品も一緒に買おう。なんといっても、俺の1DKには炊飯器に電子レンジと雪平鍋一個以外、後は箸が一膳あるだけだ。インスタントとレトルトに特化した厨房設備なのだ。


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 最寄りのスーパーは西武新宿線の線路を田有駅へ向けて10分進み、そこで一度線路下の地下道を潜り反対側へ、更に10分進んだ先にある。徒歩20分の距離だ。その道のりを俺はシティバイク(通称ママチャリ)を漕いで行く。中学生時代から使っている年期の入った愛車は、数日駅の駐輪場に置きっ放しにしても盗られないほど高い防犯性を備えている。元のライトが故障して、今は後付けのLEDライトになっているが、それ以外は故障知らずのタフガイだ。


 しかし、愛車を駆って(漕いで)日暮れ前にスーパーに着いたものの、いざ自炊となると何が必要なのか見当がつかない。その結果、それほど大きくないスーパーの中を右往左往した俺は、適当に目に留まった自炊道具と、後はパック入りのご飯、レトルトカレー、インスタント麺、紙パック入り緑茶2本、紙パック牛乳1本をカゴに投げ入れ清算を済ませ、足早に店を後にした。何故か途中から、複数の視線が俺を注視しているような気がしたからだ……ジーンズにTシャツ一枚の無職男が、最初に包丁を買い物かごに入れたきり、店内をうろうろしていたのだ、警戒されたのかもしれない。偏見とは言い切れない。


「しかし、これで何を作れと……」


 夕日が沈みすっかり暗くなったスーパーの駐輪場で、愛車の前カゴに買い物袋を突っ込みながら再確認したのだが、自炊道具としては三徳包丁の他に28cmのIH対応テフロン加工フライパンと5膳10本セットになった菜箸くらいしか買えていなかった。明らかに調査不足である。


「はじめての自炊グッズ、でネットを調べたら出てくるかな……」


 そこでようやくその発想に至った俺は、長らく電源も入れずに放置していた自分用の中華製スマホの電源を入れた。


 おそらく2か月振りに電源が入れられたスマホは初期設定のままの画面表示だが、デフォルトでインストールされているメッセージアプリに10件ほど新着メッセージがあることを示している。


「あれ?」


 思わず疑問符が浮かぶ。だが、個人スマホでメッセージをやり取りするような関係の人は居ないので、おそらく新着メッセージはDM関連かアップデートの通知だろう。そう思った俺は、鬱陶しい新着通知を消すためにアプリを立ち上げる。そして、表示されたメッセージに不意を突かれて固まってしまった。


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2020/8/1 五十嵐豪志


元気にしているか?

先日広沢さんから連絡があり、大輝の葬式をするとのこと。

8月19日の午前10時からご自宅でやるそうだ。

公太にも是非来て欲しいと言っていた。

忙しいかもしれないが、出来れば顔を出してやってくれ。


あと、道場にも顔を出せ。いつでもいいから。

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2020/8/5 五十嵐豪志


返事を待っている

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2020/8/10 五十嵐豪志


忙しいのか? 返事を待っている

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2020/8/14 五十嵐里奈


父から連絡を受けました。

電話をしても繋がらないと心配しています。

大輝のお葬式は無理でも、一度父に連絡してください。

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 メッセージは昼に交換した岡本MGの電話番号以外、殆どがそんな内容になっていた。


「……やっべ」


 思わずそんな呟きが出てしまった。そして、落ち着いて返事をするためにも、早く自宅アパートに帰ろうと夜道を急いだ。後々になって思い返すことになるのだが、この時のこの行動が良かったのやら、悪かったのやら……


 とにかく家路を急ぐ俺は、恐らく高校時代以来、久々に発動した立ち漕ぎスキルに自分でも気づかないほどだ。実際、かなりのスピードが出ていたと思う。そして、線路を潜る地下道へノーブレーキで滑り込む。


 手前が緩い下り傾斜の右カーブになっており、カーブミラーもあれば、地下道内には蛍光灯の照明もある。その上歩行者と自転車専用の地下道なので、その時の俺は、ミラーで歩行者と自転車が居ない事だけを確認して、後は下り勾配によってスピードを稼ぐつもりだった。勿論地下道を抜けた先の上り勾配を一気に駆け上るためだ。あと、ちょっとしたスリルとか、ストレス解消とか……若気の至り的な何かだ。


 しかし、そんな俺が猛スピードで地下道に突っ込んだ瞬間、先を照らす蛍光灯の照明が突然、


――バチンッ


 と音を立てて消える。


「うわ!」


 と叫んだが、勢いのついた自転車は止まらない。先が見通せない暗闇に勢いだけで突っ込む。人生みたいだ、なんて事すら思う暇もない。後付けのLEDライトが何もない空間・・・・・・を照らす。え? と思った次の瞬間、自転車と俺はある筈の地面・・・・・・を失い、空中へ投げ出され――いや、明らかに落下していた。


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