第8話 使者

 アリアナはテオドールと共にレギウスを迎えたが、一通りの挨拶が済むとレギウスはアリアナと二人で話がしたいと言い、やんわりとテオドールに退室を求めた。テオドールはあからさまに嫌な顔をしたが、アリアナに大丈夫だと頷かれて、渋々出て行った。


 人払いが済んで二人になると、レギウスはすぐに本題を切り出した。


「アリアナ様、今回のご婚約ですが、これは間違いなく貴女様の意思ですか? カンディーナ側の政略的な意図で無理強いをされていないか、それを確認しに来たのです」


 アリアナは照れ臭そうに微笑んで頷く。


「はい。この婚約は元々は私をクリプトスから守るためにテオドール様が提案してくださったことですが、テオドール様は私を真の婚約者としてとても大切に扱ってくださっています。……私も、叶うならばこのままテオドール様のお側にいさせて頂きたいと思っています」

「そうですか。いや、それならば良いのです」

「……ヒプロスを捨てたように思われるかも知れませんが……」

「いいえ。私たちは貴女様をお守りしきれず、お辛い思いをさせてしまいました。貴女様が幸せになろうとするのを咎める者はヒプロスにはおりませんよ。どうぞご自分の幸せを第一にお考え下さい」


 レギウスは穏やかな笑顔で頷いた。


「アリアナ様にお聞きしたい事はそれだけです。殿下が外でやきもきしておられるでしょう。二人きりの会話はここまでにいたしましょう」

「はい、そうですね」


 そう言ってアリアナが立ち上がり部屋の扉を開けると、テオドールは本当にすぐ前の廊下の壁に寄りかかって待っていた。


「殿下、何もそのようなところでお待ちいただかなくても……」

「レギウス殿は女性に人気がありますからね」


 アリアナの戸惑った声にイヴァンが代わりに応えたが、テオドールはどちらも無視してさっさと室内に戻り、レギウスに話しかけた。


「話は終わったのか?」

「ええ、殿下抜きでお聞きしたかった事は一つだけでしたから。殿下とのご婚約がアリアナ様のお気持ちに沿ったものであることだけ、確認させていただきました」

「……それで、姫は何と答えたのだ」

「殿下のお側にいたいと仰られましたよ」

「…………そ、そうか」


 目の前であっさり暴露されて、アリアナは抗議するように上目でレギウスを睨み、テオドールは耳を薄っすらと赤く染めた。レギウスはそんな二人の様子を見て、納得したように頷いた。


「皇都にはいつまでいられるのだ?」

「なるべく早く戻らねばなりませんが、皇妃様や、その他にも会っておきたい方たちがいますし、二、三日はこちらにいることになろうかと思います」

「そうか、ではこの宮の客間を使うが良い。姫が日々どのように過ごしているかも、見ていかれると良いだろう」

「それは大変ありがたい。ヒプロスで待っている皆に良い土産話ができそうです」


 その日は歓迎の意味も込めて、三人で晩餐を共にした。


「それでレギウス、ヒプロスの様子はどうですか?」

「クリプトスが少しずつ動き始めています。色々と細かい言いがかりをつけて、地方の小さな神殿が閉鎖されたり、ひどい場合は打ち壊されたりしています。当然ながら、民の反発の声も次第に高まって来ていますね」

「そうですか……」


 アリアナの表情が陰る。


「統率する者もなくバラバラに抵抗すればそれを口実に弾圧されるだけですから、今は無駄な抵抗をしないように民を説得しなければなりません。一度敗れた我々が再度戦ったところで勝ち目は薄いですが、イシス島の神殿に手をかけるようであれば、我々はもう一度結集して徹底抗戦する所存です」

「先の侵攻時はヒプロスとの間に協定もなく、あまりにも急な動きで我々は何もできなかったが、次は我が帝国も協力を惜しまないはずだ。そう悲観する事はない」

「……また戦いが起きるのでしょうか……」

「勝算が全くないわけではありません。もしそうなっても今度こそきっと良い結果にしてみせますよ。そのために私も動いているのです」


 レギウスは安心させるようにそう言ったが、その言葉を鵜呑みにできるアリアナではなかった。テオドールも難しい顔で話を聞いていた。


 食べ物が喉を通らなくなって食事の手が止まったアリアナの頬を、隣にいるテオドールが指の背でそっと撫でる。アリアナは顔を上げて、テオドールにぎこちなく微笑んだ。レギウスはそんな二人を目を細めて見守っていた。


 食事が終わって自室に戻る途中、レギウスはすれ違い様、イヴァンに声をかけた。


「貴方が羨ましいですよ。私もあの二人をずっと見ていたいところだ」


 そう言ってレギウスは、ふふっと笑った。


 日増しに追い詰められるような焦燥感が漂うイシス島と違い、ここでは優しく温かな愛情が王女を包んでいる。心に深い傷を負った王女をあの皇子に託すことができて本当に良かったと、レギウスは心から安堵し、神に感謝した。






 三日後、レギウスは皇都を離れることになり、最後にまた三人で朝食を共にしていた。


 食事もほぼ終わりという頃、皇帝からの使いの者がバタバタと部屋を訪れた。


「お食事中のところ申し訳ございません! 皇帝陛下からのご伝言で、本日クリプトスからの使者が到着するとのことでございます」


 三人は目を大きく見開いて互いの顔を見た。アリアナの手が小刻みに震えだす。


 テオドールは震えるアリアナの手を片手でしっかりと握り、使いの者に告げた。


「相わかった。すぐに伺うと伝えてくれ」

「はっ。承知いたしました」


 それだけ言って、使いの者はまたバタバタと去っていった。


「というわけだ。私はすぐに話を聞きに行くが、二人はどうする?」

「出発は延期します。一緒に行ってもよろしいですか? 皇帝にはお会いできなくても、近くで待たせていただいて、すぐに殿下からお話を伺いたいのですが」

「良いだろう。姫はどうする? 来てレギウスと待っているか?」

「はい、是非そうさせてくださいませ」


 青白い顔をしたアリアナも、震える手をギュッと握り締めて気丈に答えた。


 三人はそれぞれ簡単に身支度を整えると、皇帝の執務室に向かって共に歩き出した。






 レギウスとアリアナは、案内された小部屋でテオドールの戻りを待っていた。テオドールは足早に戻って来ると、すぐに口を開いた。


「クリプトスの使者が到着するのは、今日の夕刻になりそうだ。話の内容はまだわからない。まぁ、大方予想はできるが」


 テオドールは忌々しげに吐き捨てた。


「謁見の際には私も同席するが、レギウス殿と姫は皇族の控えの間で姿を見せずに話を聞けるよう、父上に許可を頂いた」

「は? よろしいのですか? 皇帝が良くお許しになりましたね」


 レギウスは目を丸くした。国と国との話し合いを、当事者とは言え第三者に聞かせるなど、ほとんど例のないことだろう。


「二人に聞かせられないようなことをこちらが言うつもりはないし、後で説明するのが面倒だからとお願いした」


 レギウスは思わず苦笑した。つまりテオドールは、レギウス達に聞かせられないようなことを皇帝が言わないように牽制したのだ。


 本当に、よく皇帝はお許しになったものだ。もしやこの末の皇子には相当に甘いのだろうか。許してもらえるギリギリのラインを見極めて、最大限に我を通しているのだとしたら、この皇子もなかなかしたたかだ。味方にすれば心強い人物なのかもしれない。


 レギウスは第三皇子の横顔を改めて見直した。



 まだ時間に余裕はありそうだったので、一旦戻って昼食を取った後、三人は早めに控えの間に詰め、報せを待った。


 予想通り、夕方になって使者が到着したとの報せが来た。使者として訪れたのは、クリプトスの王都にある太陽信仰の大神殿に仕える高位の神官で、王に対して様々な(アリアナ達ヒプロス側から見れば迷惑極まりない)助言を行なっている大神官からの信頼も厚い人物らしい。


 謁見の間に現れた使者の様子を、三人は扉の影からそっと伺う。それからレギウスとアリアナは部屋の隅に寄り、宰相を連れて部屋に入ってきた皇帝に静かに深々と頭を下げた。チラリと二人を見て安心させるように頷いた皇帝と第三皇子、そして宰相の三人は、そのまま黙って謁見の間へと消える。残された二人はそれを見送ると、また扉近くに寄り、中の様子を伺った。


 両者は一通り無難な挨拶を交わし、本題に入った。


「それで、此度の用件は何であろう?」

「はい。ヒプロスのアリアナ元王女がこちらにいるという噂は真でしょうか?」

「確かに、我が国の海岸で倒れていたところを助けられ、たまたま南部の視察に出ていた第三皇子が見初めて連れ帰った娘がアリアナ王女だったとわかって、こちらも驚いていたところだ」


 実際とは若干異なるが、帝国内でもそういう話で通す予定だ。


「……アリアナ王女は我が国が捕らえていた捕虜です。もしその娘が本当に元王女であるならば、即刻お返しいただきたい」

「ふむ、テオドールよ、どうする?」


 テオドールは鋭い目で使者を睨み付けた。


「アリアナ姫は私が妻にと望む者、今さら手放すとお思いか!!」


 低い声で静かに話し始めたが、最後は熱のこもった強い口調で突っぱねた。


「カンディーナ帝国の皇子ともあろうお方がそのように簡単に小娘の誘惑に惑わされるとは驚きですな。皇帝陛下までもがそれをお許しになるとは、全くもって理解に苦しみます」

「皇帝陛下と皇子殿下を侮辱なさるのか!」


 シャッ!


 使者が苦々し気に皮肉を言うと、宰相が聞き捨てならぬと声を張り上げ、その場で警護に当たっている近衛たちが脅すように使者に向けて剣を抜いた。


 多勢に無勢で全く分のない使者は、憮然とした顔で黙り込んだ。


「そちらが捕らえていたと主張されたところで、こちらには何の関係もない。返してやる義理がどこにあろうか? あの姫のお陰でこの息子が随分と親の言うことを素直に聞くようになってな。余としても今さら居なくなられては困るのだ」


 皇帝は片眉を上げて意地悪くニヤリと笑って見せた。


「直ちに国に帰って王に伝えよ! アリアナ姫は既にカンディーナ皇室の身内も同然。今後また捕虜になどされることがあれば、必ず取り返しに行くだろう」


 キッパリとそう告げて、皇帝は席を立った。皇帝が退室すると同時に、使者は近衛によって城の外に追い出された。


 控えの間で待っていたアリアナとレギウスは、謁見前よりも更に深く頭を下げた。


「面を上げよ。近いうちに二人の婚約の宴を開こう。しっかりと準備をして、皆を喜ばせてやってくれ」

「は、はい」

「レギウス殿も充分気をつけて帰られよ。くれぐれもあの使者と顔を合わせることのないようにな」

「心得てございます」

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