第7話 皇帝

 自分の宮に戻ると、テオドールは早速、宮の主要な使用人と衛士を集めて、アリアナの紹介と置かれている状況、そして、自分がアリアナとの婚約を希望していることを説明した。


 これまで散々、宮を留守にしてふらふらしていた皇子が、今度は突然、厳重な警護を要する特異な境遇の妃候補を連れてきて宮に住まわせるなどと言い出したものだから、使用人達は騒めき、慌ただしく動き始めることとなった。


 衛士達は警護体制の見直しや増員の検討を始め、アリアナの部屋も、警護のしやすさを考慮して、客間ではなく皇子の部屋近くに用意されることになった。テオドールはそれを聞いて満足そうに頷いていたが、お目付役でもあるイヴァンとエリックは一抹の不安を感じていた。



 数日後、皇妃は皇帝に時間をもらい、テオドールの考えと二人の様子を伝えていた。皇帝は話を聞きながら笑いが止まらなくなり、腹を抱えて苦しそうにしている。


「テオドールは何をやらせても型破りで見ている分には愉快だが、妃選びまでこうもワケありの娘を選ぶとは、一体どこまで楽しませてくれるのか!」

「陛下、アリアナ王女はいたって常識的な可愛らしいお嬢さんですよ? テオに振り回されて目を回しているんじゃないかと心配ですわ。……でも、あの姫には、あれぐらい強引に道無き道を切り開いてでも我が道を行く男が必要なのかもしれません」

「なるほど、我々の第三皇子は、自分を誰よりも必要とする娘を直感的に選んだというわけだな。実に興味深い」

「それで、陛下はあの二人の婚約を認めてやってくださいますの?」

「ふむ、クリプトスはどう出て来るかわからんが、ヒプロスを落として我が帝国の目と鼻の先まで迫って来ておるのは目障りだ。揺さぶりをかけて、この国をどう見ているのか探るにはちょうど良いかも知れん。……何より、認めてやらねばテオドールこそどう出て来るか、クリプトスより余程怖ろしいわ!」


 そう言って皇帝はまた豪快に笑った。


「一度、二人揃って顔を見せるよう伝えてくれ」


 皇妃はホッと小さく息を吐きつつ、ニコリと微笑んで頭を下げた。






 ――それからさらに数日後、テオドールとアリアナは二人揃って皇帝陛下の御前にいた。


 謁見の間で跪き、深々と頭を下げる。カンディーナ帝国はアリアナが知る限り最大かつ最も力のある国家で、その皇帝に初めて対面するアリアナは緊張で小刻みに震えていた。


「二人とも立ちなさい。そのように怖がらずとも、余は優しい父であるぞ? のう?」


 皇帝の隣には皇妃が座り、壁際には宰相とテオドールの異母兄にあたる皇太子が立って見守っている。同意を求められた彼らは、ひきつった笑みを浮かべて頷いて見せた。


 おずおずと立ち上がるアリアナの様子をチラリと横目で伺ったテオドールは、左手をそっと伸ばし、隣に立ったアリアナの右手を掴んだ。


 テオドールに初めて触れられたアリアナは目を丸くし、驚いた顔でテオドールを見上げてドギマギしたが、皇帝に対する畏れとこの場に対する緊張は一瞬忘れることができた。


 片眉を上げた皇帝をはじめ、その場に集った他の面々も様々な反応をそれぞれ隠しきれずにいたが、テオドールが気にする様子は全くない。……いや、むしろ、見せつけてやる気であった。


「仲が良いことだな。……さて、婚約をしたいという申し出に相違ないか?」

「はい、相違ありません」

「少々込み入った事情のある姫のようであるが……」

「父上はお気になさいますか?」

「何?」

「私には何が問題となるのかわからないのですが」


 父の度量を問うような末の子の挑戦的な発言と強気な視線を受けて、皇帝はこみ上げてくる笑いを噛み殺した。


「しかしこの姫と縁を結ぶとなれば、そなたにも多少は腰を落ち着けて国事に関わってもらうことになろうぞ?」

「もとより、いつまでも逃げられるとは思っておりません。良い潮時かと」


 やっぱり逃げていたのか、と心の中で呟いて、宰相と皇太子は苦笑する。


「ほう。テオドールをその気にさせてくれたのであれば、アリアナ姫には逆にこちらが感謝せねばならぬかもしれないな」


 皇帝が皇妃を振り返ってそう言うと、皇妃も同意した。


「誠に、あのテオが急に男らしくなって、驚くばかりですわ」

「急にとは失礼な」


 テオドールが不満げに顔を顰めると、和やかな空気が流れ、皆からクスクスと笑いがこぼれた。


「相わかった。二人の婚約を認めよう。クリプトスには適当に釘を刺しておく必要もある。何か言ってくるようであれば、ちょうど良い機会とさせてもらおう」

「ありがとうございます。父上ならば必ずわかっていただけると思っておりました」


 息子にしたり顔で微笑まれて、父はフンッと鼻を鳴らした。そして何も言えずに成り行きを見守っていたアリアナに声をかける。


「姫よ。こうなればもう、そなたもこちらの人間だ。何かあれば遠慮せずテオドールに頼るが良いぞ」

「あ、ありがとうございます。寛大なお心に感謝いたします」


 思わず声が震えた。その瞬間、アリアナの右手を握っていたテオドールの手に力がこもる。その温かい手は、充分、アリアナを勇気づけた。


 皇帝が認めれば、この国にいる限りもう誰も文句は言えない。アリアナは、本当にこのままこの国に、テオドールの近くにいて良いのだと思うと、安堵と嬉しさに涙がせり上がって来た。その涙はなんとか堪えたが、声が震えるのは誤魔化せなかった。


 婚約の先にチラつく結婚は、アリアナにはまだまだとても自分のこととして考えられないけれど、自信に満ちたテオドールの真っ直ぐな言葉は、いつもアリアナの不安を一瞬で吹き飛ばしてくれる。暗い未来しか描けないでいたアリアナに、まだ希望はあると教えてくれる。


 アリアナはもはや、テオドールの傍が自分にとってどこよりも安心でき、前向きになれる場所になっていることに気づき始めていた。



 アリアナを部屋まで送り届ける間、テオドールはアリアナの手を一度も離さなかった。


「その手はいつまで繋いでいるんですか」

「離す理由がない」

「これで正式に婚約者ですもんねー」


 アリアナの困惑をよそに、イヴァンとエリックに何を言われてもご機嫌なテオドールであった。そしてアリアナも、恥ずかしげに視線を彷徨わせながらもその手を振り解こうとはしなかった。






 テオドールとアリアナの婚約は、徐々に噂となって皇都に、そして帝国中に広まっていった。イシス島の大神官には、無責任な尾鰭のついた噂が届く前にと、皇妃から早急に事情を説明する密書が送られた。


 アリアナは帝国内での社交に必要なしきたりやマナーを大急ぎで学ぶため、忙しい毎日を送ることとなった。ヒプロスと皇都では服装一つ取っても大きく異なる。普段は白を基調とした布一枚を纏い、帯で締めるのみのことが多い温暖なヒプロスと違い、冬には雪も降る皇都の貴族の装いには、手の込んだ厚手の織物や刺繍の入った布地、さらに季節によっては毛皮も使われる。アリアナにとっては窮屈で重く、動きづらいものだった。


 できるだけシンプルで動きやすい服を選んで着させてもらっているが、慣れない服で舞踊の手ほどきを受けた日などは、口を開くのも億劫なほどクタクタになった。しかし若いアリアナは新しい習慣や環境に慣れるのも早く、知識も急速に吸収していった。


 一方のテオドールは、父や兄達の仕事の中から南部地方に関するものを、様子を見ながら少しずつ引き継ぐことになった。アリアナの事だけでなく、南部の民の暮らしを直に見てきた経験も考慮されたらしい。


 そうしてテオドールは南方に注意を払いつつ、暇な時間はできるだけイヴァンと共に騎士団に足を運んで、騎士達と一緒に鍛錬に精を出すようになった。


 旅をしている間もイヴァンとの打ち合いは日々行って、腕が鈍らないように気をつけてはいた。感が良く身のこなしの軽いテオドールは、大剣を振り回すような力はないが、細身の剣や短剣、弓の扱いに長けている。


 以前よりも熱心に鍛錬に取り組むようになったテオドールを見て、「守るものができると男は変わるよな!」などと騎士団では囃し立てられたが、それは実際その通りで、守ると言った以上、誰よりも強くならねば、強くなりたい、とテオドールは思っていた。


 アリアナが第三皇子に良い影響を与えている事は誰の目にも明らかで、今のところアリアナを悪く言うものはほとんどいない。そういう意味では、それまでのテオドールのあまり褒められなかった態度が、ここへ来て逆に功を奏したと言えるかもしれない。


 二人が一緒に過ごせる時間は長くはなかったが、テオドールの希望で毎日朝晩の食事はなるべく一緒に取るようにしていた。朝は二人のその日の予定などを話し、夜はアリアナがその日学んだことを話すことが多い。


 アリアナが落ち込む様子を見せれば手を握って励まし、食事後の別れ際には片手を軽くアリアナの背に添えて頬に口付けるなど、テオドールからのスキンシップもごく自然に少しずつ増えていた。初めは大いに戸惑っていたアリアナも、家族のようにひとつ屋根の下で過ごす中で、徐々に当たり前のように受け入れ始め、笑顔も増えていった。



 そうしてひと月が過ぎた頃、大神官の使いとして皇都にレギウスが現れ、婚約の真相をアリアナから直接聞きたいとして、テオドールの宮を訪れた。

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