第6話 提案
流石に疲れた……。
第三皇子の宮の客間に案内されたアリアナは、混乱した頭で考えることを放棄して、その晩はもう何も考えずに休むことにした。
翌朝、目を覚ましたときには、もう日は高く昇っていた。遅めの朝食を部屋に用意してもらって、食べながら前日の会話を思い返す。
(……私はどこまで甘えてしまって良いのだろう)
「ねぇ、ミリア」
「何でしょう」
「この宮に仕える他の人たちは、私のことを誰だと思っているのかしら」
「誰なのかわからないけれど、テオドール殿下が旅の途中で見初めて連れ帰ってきた女性だと思っているようですよ」
(ええっと、つまりそれは……)
「実際、事実と然程違わない気がします」
「全然違うでしょう!?」
「そうですか? 殿下は否定していないようですよ?」
そう言ってミリアはニタリと笑った。
えええ、困った。私はこれから殿下とどう接したらいいのだろう。そう思っているところへ、当の殿下が現れた。
「おはよう、姫。食事が済んだら、もう一度母上のところへ行こう。まだまだ決めておかなければならないことが沢山ある」
「お、おはようございます。ちょうど食べ終わったところです。支度をしますので、少しだけお待ちいただけますか?」
テオドールが頷いて空いている椅子に座ると、ミリアがすかさずお茶を出す。
「姫の顔が赤いようだが、熱でもあるのか? 旅の疲れが取れていないのではないか?」
ミリアは「いいえ、お熱はないようです。大丈夫ですよ」とにっこり笑って頭を下げ、アリアナの後を追った。
別室でアリアナが身支度を整える間、テオドールは部屋の内装を見回していた。
「この部屋は、若い女性が使うには重厚すぎるな。姫が使う部屋の調度品は、姫の趣味に合わせて好きに変えて良いぞ」
「お気遣いありがとうございます。支度が整いましたので、よろしければ参りましょう。お待たせ致しました」
今回も昨夜と同じ五人で皇妃の部屋へ向かった。
にこやかに一行を迎えた皇妃は、テオドールとアリアナを五人は座れそうな大きなソファーに座らせ、アリアナにも馴染みのある、南部でよく飲まれているハーブティーを勧めた。
そのお茶を一口飲んで、テオドールが話を切り出した。
「昨日は部屋の事しか決まらなかったので、それ以外の話を」
「そうね。まず、姫のことを周囲にどう説明するかよね」
「ええ、一晩考えてみたのですが、私は姫を閉じ込めたくはありませんので、存在を秘すことはできません。かといって、身分や名前を偽り続けるのも神経を使いますし、姫の精神的な負担が大きすぎると思うのです。それに、そんなことに神経を使ったところで、長くは隠し通せないでしょう」
「……そうねぇ」
ですから、と言ってテオドールは少し身を乗り出す。チラリとアリアナを見て悪戯っぽく口の端を上げてから、挑むような視線で皇妃の目を真っ直ぐに見据え、落ち着いた口調でハッキリと告げた。
「アリアナ姫が同意してくれるなら、私は堂々と姫の名を公表し、姫と婚約したい」
六歳年上の皇子が意味ありげに送ってきた僅かに色気を含む視線の直撃を受けて思考が止まっていたまだ十六歳のアリアナは、追撃のように放たれたさらに破壊力の大きい言葉をすぐには受け止めきれず、呆然と目を瞬いた。
他の面々も言葉を失っているが、テオドールは構わず話を続けた。
「公表すれば、ここにアリアナ姫がいる事をクリプトス側にも知られてしまいますが、カンディーナの皇子の婚約者に手出しをすればどれ程の問題になるかぐらいあちらにもわかるでしょう。かの国にとってアリアナ姫の価値は、この帝国を敵に回しても、というほどではないと考えます。下手に隠すよりも、よほど安全は確保できるのではないでしょうか」
最初は唖然としていた皇妃も、次第に真剣な表情になり考え込んでいる。
アリアナは焦った。
「お、お待ちください! 私のためにそこまでしていただくわけには参りません! こ、婚約だなど、殿下にそこまでご迷惑をおかけするわけには……!」
「私は全く構わないが? というか、私がそうしたいと言っているのだ。迷惑になどなるわけがない。姫は嫌か? とりあえずは見せかけの婚約でも良い、だが先のことはわからないぞ? 嫌なら嫌と言ってくれて良いが……」
「で、でも……私と婚約などして殿下に良いことはないのでは……」
テオドールは右手を軽く握って人差し指を顎の下に添え、少しだけ思案してからアリアナの目を見つめた。
「ふむ……言い方が悪かったな。つまり私は今、とりあえず婚約した上で、私と結婚を前提に交際してみないか? と言っているのだ。最初は貴女の身を守るための仮の婚約でも良い、だが私は貴女のことをもっと良く知りたいと真面目に思っているし、貴女にも私を知って欲しい。姫が嫌だと思ったらいつでも解消してくれて構わないから、それまでは婚約者として私に守らせてはくれないか」
「帝国の……皇子様が……わ、私と? そんなことが許されるのでしょうか。私はかつて王女だったとはいえ、今は国も亡くし、家も、行き場もない……」
言っていて涙が滲んで来た。改めて我が身を振り返り、口にすると、あまりにも惨めな境遇でいたたまれない。そんなアリアナにテオドールは迷いのない笑顔を見せて、はっきりと言い放った。
「私は自由だ。貴女だってそうだろう?」
アリアナにはテオドールの笑顔がただひたすら眩しかった。
「居場所など、なければ作れば良い。後ろ盾など、私にも我が国にも必要ない」
何も心配することはない。そう言われて、アリアナはそれまでずっと――そう、もういつからかわからないほどずっと――我慢していた涙が溢れて止まらなくなった。皇妃がアリアナの隣に移動して、優しく肩を抱き寄せる。
「貴女はそう言うけれど、ヒプロスの民は今でも貴女を自分達の王女として慕っているわ。生きているとわかれば、皆貴女の幸せを心から願ってくれるはず。貴女はヒプロスの民の心の支えになれる、とても大事な人なのよ? もっと自分に自信をお持ちなさいな。そしてまたヒプロスの人々に笑顔を見せてあげて」
皇妃はしばらくそのままアリアナの髪を撫で、背中をさすってくれた。後ろではもらい泣きしたミリアがハンカチで涙を拭っていた。
アリアナが落ち着くと、皇妃がテオドールに頷いて合図を送った。
「それで、先程の私の提案だが」
「私は悪くないと思うわ。確かにテオの言う通りよ。貴方にそこまで強い意思があるのなら、私は反対しない。ただ、婚約するとなると、陛下に正式に承認して頂かないといけないわね。でもまぁ、周りには、承認を願い出ていると言うだけでも同等の意思表示になるから、すぐにはお認めいただけなくても大丈夫かしらね」
「姫は、どう思う?」
テオドールは少しだけ不安そうにアリアナを見た。
「……ありがとうございます。殿下がそこまで言ってくださるなら、私に異論はありません。本当に、私のために、知恵を絞っていただき、時間を割いていただき、感謝の言葉もございません」
「何度も言うが、これはあくまで私がそうしたくて貴女に頼んでいることだ。決して負担を掛けているなどと思わないで欲しい。……その、先ほど貴女に話した私の想いは、きちんと伝わっているだろうか?」
「……はい。あ、ありがたく、お受け、いたします」
顔を真っ赤に染めて、アリアナは俯いた。
「そうか……良かった……ありがとう」
皇妃は、いつのまにか随分と男前になった息子を誇らしく思い、嬉しそうに目を細めた。
皇妃の部屋から下がり、五人で帰途に着く。
「殿下、見直しましたよ」
「俺も、惚れちゃいそうでした」
「……茶化すな!」
イヴァンとエリックにからかわれて、テオドールは口を尖らせた。穏やかな日差しの中、気づけばミリアとともにアリアナもクスクスと純粋な笑顔を見せていた。
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