第5話 皇都へ

 出発の朝、アリアナは世話になった屋敷の人々に御礼と別れの挨拶をして、馬車に乗り込んだ。レギウスもここで別れてイシス島に戻るため、屋敷の人々と一緒に見送っている。馬車にはアリアナ、侍女のミリア、テオドールの三人が乗り、エリックとイヴァンは騎馬で前後の警戒に当たることにした。


 それぞれが馬車と馬に乗り終わり準備が整うと、アリアナが窓の中から屋敷の人々に手を振り、一行は出発した。


 馬車の中でアリアナは疑問に思っていたことをテオドールに聞いてみた。


「帝国は何故、私を助けてくださるのでしょう。もしクリプトスに知られたら、外交問題になりませんか?」


「……カンディーナは大きくなりすぎた。文化も宗教も異なる地域を抵抗なく治めて行くためには、それぞれの地域の民が大事にしている文化や宗教は認め、尊重し、必要があれば保護してやらねばならない。そうしなければ、小さなきっかけで溜まった不満が爆発し、国全体を揺るがす内乱に発展することだってある。それがクリプトスにはわかっていない」


 テオドールは真面目な顔で、外を流れる景色を見ながら話した。


「海神教が根強い帝国南部の民にとってもイシス島は大事な聖地で、巡礼に行く者も多い。クリプトスはその聖地まで太陽信仰に置き換えることを目論んでいる。そんなことをされては帝国南部の民も黙ってはいられないだろう。表立って手出しは出来ないが必要な協力は惜しまないと、皇帝は皇妃を通じて大神官に約束しているのだ。これは南部地域の不安や混乱を未然に防ぎたいという国内事情があってのことで、善意だけでやっていることではない」


 だから気兼ねは要らないと言外に示唆されて、アリアナはテオドールの気遣いに心温まる思いがした。


「まぁ、私個人としてはそんな国の事情は関係なく、貴女の力になりたいと思っているが」


 何か言葉を返そうと口を開いた直後にそんなことを付け加えられて、アリアナは言うべき言葉を一瞬見失った。


「……お、お優しいのですね」

「そうだろうか」


 テオドールの視線は外に向いたままだ。左肩の上で一つに括られた青みがかった波打つ銀の髪は、ヒプロス出身のアリアナにとって大層珍しく、紫苑色の瞳も印象的だった。投げ出した左脚の膝に右のくるぶしを乗せ、肘を窓枠に乗せた左手の甲で顎を支えている。お行儀が良いとは言えない座り姿も、なんだか様になっていた。


 なんとなく気になって、アリアナはテオドールの顔をついしげしげと眺めてしまっていた。その視線に気付いたのか、テオドールも不意に横目でアリアナを見ると、二人の視線がぶつかる。その瞬間、フッとテオドールに微笑まれて、アリアナは心臓が止まる思いがした。慌てて目を逸らしたが、顔が熱を帯びてくるのを感じて、テオドールとは反対側の窓に目を向け、外の景色に集中しようと試みた。


 テオドールはそんなアリアナの様子を少し驚いた顔で見ていたが、侍女が口元を手で隠してニヤニヤと二人の様子を伺っているのに気付くと、眉間にシワを寄せてプイっとこちらも窓の外に視線を戻した。



 その後アリアナは、馬車の中ではテオドールの旅の話に目を輝かせ、宿では侍女から皇都に関する予備知識を教えてもらった。何より、騎士団で思春期を一緒に過ごした青年三人が五人一緒の食事中に繰り広げる気心の知れた掛け合いは、皆が本当に心から笑顔になれるもので、皇都に着く頃にはアリアナは、この旅が終わるのが心底残念な気持ちになっていた。こんなに笑顔になれたのは、家族を亡くして以来、初めてなのではと思う。


 数日前に初めて会ったばかりの異国の人々に囲まれて、こんなに穏やかで楽しい時間が過ごせるとは、全く予想していなかった。このままこの五人で帝国中を旅してみたい、などと叶わぬ夢に想いを馳せつつ、溜息を吐く。


「夕方には皇都に着きますよ」とミリアに言われて、思わず「もう着いてしまうのね」と呟いてしまった。


 テオドールがそれを聞きつけて、「緊張しているのか?」と尋ねて来た。


「もちろん緊張もしていますけど、何よりこの旅が終わってしまうのが残念で」


 と正直に答えれば、「またいつか共に旅をしよう」と笑われて言葉を失くした。


 一体どういう意味なのだろう、とアリアナは考える。きっと深く考えずに咄嗟に出た慰めの言葉なのだろうけれど、あまり思わせぶりな言葉を気軽に吐いて動揺させないで欲しい。ヒプロスは素朴な島国で、アリアナなど、言ってしまえば田舎の小娘だ。煌びやかな皇都の貴婦人のようにサラッと受け流すような洗練された対応は、アリアナは身につけていない。


 考えてみれば、帝国の皇子様など、アリアナとは住んでいる世界が違うのだと思い知らされた。素性を隠した旅だったからこそ、他の三人も含めて楽しく過ごせていたのだ。こんなことはもう二度とない。このたった数日間の旅は、きっと一生忘れられない良い思い出になるだろう。


 アリアナを乗せた馬車は皇都の外壁の大門をくぐり、賑やかな城下町の大通りを駆け抜けて行った。なんだかとても切ない気分になりながら、アリアナは初めて見る活気にあふれた町の様子を眺めていた。



 城に到着すると、馬車は第三皇子の宮の入口に寄せられた。エリックが差し出す手を取って馬車を降りると、執事と思われる中年の男性がテオドールを出迎えるのが見えた。彼から何事かを告げられたテオドールが、アリアナの方へと振り返る。


「疲れていると思うが、これから母上のところへ一緒に来てくれ」


 アリアナはすぐに頷いた。イルカリオス邸への滞在から今回の移動まで、皇妃様が全て差配してくれたと聞いている。真っ先に挨拶に伺うのは当然だろう。


「はい、もちろんです。このままの格好で大丈夫でしょうか?」

「問題ない。非公式の面会だし、そういう堅苦しいことは気になさらない方だ」


 この型破りな皇子のお母上なのだから、確かにそうなのかもしれない、とアリアナは妙に納得した。


 イヴァンとエリックも二人の護衛として、ミリアはアリアナの侍女として同行するため、旅を共にした五人揃って皇妃の宮へ移動した。


 応接室に通されて待っていると、皇妃はすぐに現れた。テオドールは「只今戻りました」と言いつつ片膝をついて皇妃の右手を取り、その手の甲に軽く口付ける。


 ヒプロスにはこうした風習はないので、知識としては知っていても、実際に目にするのはアリアナには初めてのことだった。なんて優雅な身のこなしだろうと感嘆しつつ、アリアナも片足を少し引いて軽く膝を折り、頭を下げた。


 皇妃に勧められてテオドールとアリアナが席に着くと、お茶と菓子が用意され、落ち着いたところで皇妃が口を開いた。


「長旅お疲れ様でしたね。アリアナ姫はずっと落ち着かない日々を過ごされていたことでしょう。ここは警備も万全ですから、まずはゆっくりと、心身の疲れを癒してくださいね」


 優しい労りの言葉と微笑みを向けられて、アリアナは少し緊張が和らいだ。


「皇妃様には私のために色々とお心を砕いていただき、感謝しております。本当にありがとうございます」


 そう言って頭を下げると、皇妃は優雅に微笑んで頷いた。


「それで、まずアリアナ姫の部屋ですが……」

「私の宮に用意させます」


 間髪入れずにテオドールが堂々と宣言した。


「はい?」


 皇妃の優雅な表情が一瞬で崩れ、眉間にシワが寄る。


「騒がしい皇妃の宮では落ち着かないし、緊張もするでしょうし、何より人目につき過ぎます。今までずっと留守にしていた私の宮なら、人の出入りも少ないし、ゆっくりできるでしょう?」

「まぁ、それは確かに……じゃなくて! 何を言ってるの? 未婚の皇子の宮に未婚の若い姫を滞在させるなんて、許されるわけがないでしょう?」

「私が信用できないと?」

「そういう話ではありません! おかしな噂が立ったら、嫌な思いをするのは姫の方ですよ!」

「そもそもアリアナ姫がここにいることは隠せるだけ隠すおつもりなのでしょう? だったら絶対に私の宮の方が都合が良い筈です!」

「ダメよ!」


 テオドールが一拍置いてフーッと息を吐く。


「……母上、この際はっきり申し上げておきますが、アリアナ姫は私が守ります」

「…………貴方が……え?」


 唖然とした皇妃がテオドールとアリアナの後ろに立っている三人に目を向けると、イヴァンは無表情を貫いていたが、エリックはニヤけそうになる顔を必死で堪え、ミリアは片手で口と鼻を覆って肩を小刻みに震わせながら俯いていた。三人とも特に驚いた様子はない。


 へぇ……あらぁ……そうなの……?


 当のアリアナはといえば、二人の剣幕に驚いて目を見開いたまま固まっていたが、その顔は次第に薄っすら赤く染まって来ていた。


 あらあらあら?


 コホンと一つ咳払いをして、皇妃はアリアナに向き直った。困惑している少女をこれ以上怯えさせない様に、改めて全力の聖母の微笑みを満面に浮かべて。


「あー、えーっと、姫としてはどうなのかしら? テオの宮でも構わない?」


 アリアナにしてみれば、皇都で知り合いはここにいる四人だけだ。この数日間でだいぶ打ち解けた四人が近くに居てくれれば、それだけで不安と緊張は大きく緩和されるに違いない、と頭で考えた。自分自身に言い訳をするように。


「は、はい……。私は皇都には知り合いも家族も誰一人おりませんし、こちらまでの道中でテオドール様には大変良くして頂きましたから、ご、ご迷惑でなければ、お近くに、居させていただいた方が、安心……です」


 最後の方は本心が少し顔を出してしまい、消え入る様に声が小さくなった。今度、明後日の方向を見ながら薄っすら赤くなるのはテオドールの番である。


 ……ちょっと何この二人、可愛いんですけど?


 うーん、でも、このままなし崩しに認めてしまって良いものかしら。とはいえ、この様子では何を言ったところでテオドールが引かないのは経験上わかっているし。口だけは達者なのよね。誰に似たのかしら? ……ええい、もう、なる様になれ! 陛下はきっと私に任せると言ってくださるわ! 三男坊だし!


 この皇妃は結構男前であった。


「しょうがないわね、姫もそう言うならテオの好きなようになさい! そこの三人、しっかり見張ってちょうだいね!」

「誰を?」

「貴方よ! 決まってるでしょう? 一応男なんだから!」


 一応、と言われるのも心外だが、ここは我慢だ。


「いい? ぜーったいに姫を泣かせるんじゃないわよ?」

「泣かせませんよ」


 言ったわね。


「もしおかしな噂が立ったら……」

「その時は彼女も連れて旅に出ます」


 えっ……


 ――その場にいた全員の心の声である。


 ちょっと待て。それって所謂駆け落ちじゃ……?

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