第03話 心地よい朝

 眠にとって、今回の寝心地は最も素晴らしいものだった。

 瞼を開けて目に飛び込んできたのは、真っ白な天井。そこから釣り下がった照明が、温かなオレンジ色の光を放っている。

 いつもなら十分な睡眠が取れさえすれば寝起きは良いほうだと思っている眠だが、今回は話が違った。


(枕……)


 そう、寝床の快適さが違い過ぎる。

 それは寝ぼけた頭で漏らした枕に限らず、毛布、シーツ、さらに寝室の空気感に至るまで、眠にとって称賛に値する寝心地だった。

 ましてや、今まで硬い大岩の上で寝ていたのだ。眠れなくはなかったが、ふかふかのベッドを望んでいたことは否定できない。


「ん~……」


 もう少し寝ていたいという願望が強いが、どうやら完全に目が覚めてしまったらしく、眠は枕の感触を惜しみながら、むくり、と体を起こす。

 あたりを見回したそこは、一目で上流階級と分かる一室だった。寝ていたベッドは眠の知る一般家庭のベッドの3倍、部屋自体の大きさは二十畳はありそうだ。


 ベッドのすぐ横に顔を向けると、窓にかかった巨大なカーテンの隙間から陽の光が見え隠れしていた。


「……」


 名残惜しそうにベッドのシーツを擦りながら、眠はカーテンをシャッ、と開ける。

 突然目に飛び込んできた光の眩しさに目を背けた後ゆっくりと目を開くと、お日様が現在進行形で山の向こうから上がってきているのが見えた。


 日が差し込んで影が消え、窓の外が徐々に明らかになっていく。


 見下ろしたそこは、まさしく庭園と呼ぶべき場所だった。

 学校の花壇とは比べ物にならないほどの広さを持ち、中央には噴水、隅の方には丁寧に剪定された樹木が等間隔で並べられている。

 この庭はどうやら農園も兼ねているようで、ところどころ木の葉っぱから色鮮やかな輝きがのぞいていた。


 さらに眠が顔を近づけ視線を周囲に巡らせると、その庭園の隣には中世的な文化を思わせる屋敷がそびえ立っており、眠はその屋敷の三階あたりにいるようだった。


「……目が覚めたのか?」

「ぇっ……」


 突然かかった声に驚いた眠が後ろを振り返ると、そこには小さなサイズのマイダスが毛布の上で顔を上げていた。


「マイくん……ここ、どこ?」

「ここがどこかと聞かれれば、知らんな。我も、眠っていたからよく分からん。しかし何故だ、我が眠ることなどほとんどなかったはずなのだが……」


 眠の《睡眠促進》によって眠らされていることに気付いていないマイダスだが、眠もその原因が自分だと気づいていないため、その問いには答えようがない。

 その代わり、陽の光に照らされたこの部屋にある調度品に興味を向け、棚を開けたり閉めたりしている。


「相当高価な物だろう。あまり触って壊しでもすると、厄介なことになると思うがな。貴様がどうなろうが、我は知らんが」

「うん、多分大変」


 眠は頷くと、ゆっくりと開けていた棚を閉める。

 気が付けば、どうやら眠の服装も変わっているようだった。貧相な薄着の服一枚から、フリルの付いた真っ白なワンピースに着替えさせられている。

 そして先ほど見た棚の中身には、これの着替えと思しきものが数枚入っていた。


「取り敢えず、外に出よう。マイくん、ついてきて」

「……まあ、よかろう」


 面倒そうに毛布から這い上がり飛び上がると、マイダスは眠の隣に付く。慎重にドアノブを回すと、冷たい空気が足元を駆け抜け、裸足の眠は「ひぅ…」と肩を縮めた。


 部屋から出ると、そこに広がっていたのは長い廊下だ。左右に大きく広がり、その突き当りは信じられないほどに遠い。床には赤い絨毯が引かれ、眠はその上を歩く。

 途中、眠が出た部屋と同じような扉が点在しているのが見えた。おそらくは、眠のいた部屋と同じつくりの部屋だろう。


「……ふむ、案外静かだな。これほど広い屋敷であれば、人一人に出会いそうなものではあるが」

「……うん」


 あまりの静かさに眉根を寄せたマイダスの声が、広い廊下を反響する。一応、遠くから人の声は聞こえるのだが、それにしても遠い。

 同様に奇妙さを感じた眠も、マイダスの言葉に頷いた。


「……ん」


 すると、眠の視界の隅っこに何かが動いたのが見えた。

 スッ、と眠が振り向くと、そこには手のひら大の毛玉のような小動物――――


「……ハムスター?」


 そう、ハムスターが背筋を立ててこちらに存在をアピールしていた。


「……はむすたーとはなんだ?」

「かわいい生き物」

「……ああ、ベネギッタか。なんだ、人間はあれをはむすたーと呼ぶのか?」


 べねぎった? と眠が首をかしげる一方、眠に見られていることに気が付いたハムスターはピョン、と飛び跳ね、眠の足元を横切って全力疾走した。


「はやっ⁉」


 少なくとも、眠の知っているハムスターの速さではない。思わず声を上げ、眠は驚く。

 目にもとまらぬ速さで突き当りから曲がり角を曲がったハムスターだったが、眠を待っているかのように角から顔を出した。


「どうやら誘っているようだが。行くのか?」

「うん、行こう」


 眠は頷くと、小走りでハムスターに付いていく。奇妙なことに、ハムスターについていけば行くほど、人の気配のする場所から遠ざかっていることに気が付いた。


「罠、かもしれんな」

「罠?」

「こやつについていけばいくほど、奇妙な気配が近くなっている。何かは分からんが……」

「何で罠なんか……」


 厳しい顔つきのマイダスの方に顔をそらすと、その瞬間、眠は何かにぶつかった。


「ヴぇっ……」


 ふらふらとぶつかったものに寄り掛かると、それは今まで通り過ぎてきた扉と全く同じ扉だ。ただ一つ違ったのは、その扉には『歓迎者以外立ち入り禁止』と書かれた板が掛けられていたことだ。


 眠が足元を見ると、先ほどまで追いかけていたハムスターがいないことに気が付いた。よく見ると、その扉の下の隙間にハムスターの挟まった足がのぞき、その後ヒュッと中に入っていった様子が見える。


「……わたし、『歓迎者』ってことでいいのかな?」

「知らぬが……入ってみればよいのではないか?」


 不安な気持ちになりながら、眠は恐る恐る扉を開き―――、


「……竜使いの女の子か。とっても珍しいお客さんだね」


 多くの本の隙間の先、本を閉じてこちらを見つめる短髪の人物の歓迎を受けた。

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