第02話 招かれざる客

 それから数時間が経ち、夜になった頃。

 “眠り森”の中心に置かれた大岩の上で眠とマイダスが眠っている一方。


 松明を持った十数人の集団が、森の中を進んでいた。

 ある程度の人々は、全身を鎧で覆い、腰に片手剣を引っ提げている数人をまず見るだろう……俗にいう騎士である。

 その後ろに控えるのは、侍女服を着た、女性たちであった。騎士たちの武器が片手剣で統一されているのに対し、女性たちの武器は両手剣、ダガー、槍……それぞれである。


「なんか不気味な森だな……ほんとにこんな場所で騒ぎが起きたのか? あまりに静かすぎる」

「お前はあの時離れたところにいたからだろ。そりゃあもうとんでもねえ光景だったぜ、魔力の嵐がばぁ、ってな?」

「へぇ、見てみたかったな」


 前衛を務める騎士たちは不気味な森に気分がハイになっているのか、饒舌におしゃべりしている。それとは対照的に、侍女たちの方は森の方に油断なく視線を向けており、いかにも隙が無い。


 それを見かねたのか、金髪の侍女が、黒髪の侍女に声をかけた。


「ナタリア様、ちょっと、前の奴らうるさ過ぎません? あの男、一応この先遣隊の隊長ですよね。現地だって言うのに、緊張感なさすぎですよ」

「……元々、この地で騎士団が動くほどのことはほとんど起きないし、悪い意味で平和ボケしているのでしょう。

 とはいえ、私の管轄は侍女隊だけだし、彼らに何か言うことは出来ないわ。まあ、このあたりでは強力な魔獣はそこまでいないはずだし、大丈夫でしょうけど、あの魔力の嵐の影響で、生態系がどう変わっているのか分からないわ。あなたたちは油断せずに気を引き締めなさい」


 ナタリア、と呼ばれた黒髪の侍女が険しい視線を前方に向けたままそう言うと、侍女たちは気を引き締めなおしたように武器を構えなおす。

 一方、その話が聞こえていたらしき騎士の数人はおしゃべりをやめ、ようやく周囲に警戒を巡らせる。


 しかし、ナタリアの話が聞こえていなかった者、聞こえていても気にせず話し続ける者もいる。

 そしてそのまま、“眠り森”の中心付近まで来ると―――――。


「それにしても、嵐が起こったところに何があるんでしょうね」

「あそこには一応“魔力溜まり”があったはずだが、まあ、活性化することはほとんどないはずだから、関係はないだろう。我々先遣隊の調査が終われば、専門家たちも入って調査するらしい」

「へぇ、もしかしたら、貴重な古代の魔道具とかだったり?」

「あぁ。あれだけの規模の魔力風だ。相当のものが眠っている、と思いたいがな」

「おお、それは夢がありますねぇ! ねぇたいちょ……」


 しかし、騎士が隊長、と呼んで振り返った先には、その男の顔はなかった。ただその視界の一面に、純白の“毛”だけがあった。


「……ぅ」

「っ‼ あなた、そこから離れなさい‼」


 後方から焦燥した様子のナタリアの声が聞こえるが、騎士の体は蛇に睨まれたカエルのように動かなかった。

 グシャ、と何かを噛み千切るような音の後、目の前の“毛におおわれた何か”がゆっくりと上に移動する。


 ピクピクと動く耳、翡翠色の獰猛な目、続いて見えたギラリと輝く歯は赤い液体でべっとりと濡れていて―――。


「ひいぃっ!?」


 ガシャッ、と何かが倒れた後。振り返ると、そこには“隊長だった何か”が倒れていた。

 首から先がなく、ブシュッ、ブシュッ、と音を立てながら血を噴き出していた。


「くっ!」


 はるか後方から、他の騎士たちや侍女が走り出してくるのが見える。そこで騎士は自分と隊長が孤立していたことに、初めて気が付いた。

 


「あ、あぁ……」


 それから、騎士はゆっくりと前方を見た。


「グルル……」


 三つの頭を持つ、騎士の三倍ほどある巨大さを持った銀狼。実のところ、騎士はこれほどの魔獣に出くわすと思っていなかった。それどころか、人生で一度も出くわしたことはなかった。


「た、たすけ……」


 そうして騎士が恐怖に動けずにいる内、やがて銀狼は大きな口を開け―――――


 ―――血が噴き出す。


「う、うわあぁぁぁああ‼」

「落ち着きなさいっ‼」


 ナタリアはパニックになった騎士に声を荒げ、銀狼を油断なく見据えたまま、混乱した部隊の統率を測ろうとする。だが、その騎士には聞こえておらず、彼は元々通った道に沿って、一目散に駆けだそうとした。


「ヴヴゥ……」


 しかし、銀狼の目が彼を捉えた瞬間、銀狼はナタリアの目から消え失せる。


「うわあッ‼ ……たすけ、」

「なっ……‼」


 そしてその一瞬で、逃げ出そうとした騎士の頭部を齧り取っている。


(はやいっ……‼)


 あの一瞬で、部隊の前方から後方までの移動。どうやら一人も逃がすつもりはないらしい。その速さに驚愕したナタリアだが、息を吸って精神を落ち着かせる。


「ど、どど、どうするんですか、ナタリア様⁉ こんな魔獣、さすがに手に余りますよ……‼」

「そうね……」


 侍女の言葉に同意しながら、どうやら、予想通り生態系になんらかの変化があったらしい、と得心するナタリア。これほどの強大な魔獣は、相当魔力密度の濃い“魔界”でしかお目にかかれない。

 ナタリアの見立てでは、中隊規模の戦力は欲しいところだ。少なくとも、指揮系統を半分欠いたこの十人程度の人数でどうこうできるとは思えなかった。


「でも、大人しく逃がしてくれはなさそうよ。腹をくくって。調査は諦めて、撤退します! 各々、自分が使える最大の身体強化を施しなさい! 《身体能力上昇・第三段階フィジカルレイジング・フェイズ・サード》」


 ナタリアが呪文のような言葉を唱えると、その体が一瞬光のベールに包まれる。それに倣い、他の侍女や騎士たちも各々、呪文を唱えた。

 すると、突然―――。


「……っ⁉」


 銀狼が、駆け出す。そのあまりの速度に、その場にいたほとんどの人間は動けなかった。


「《筋力増加・第二段階ストレングスレイジング・フェイズ・セカンド》。ハァッ!」


 その中で唯一動いた侍女が一人、ナタリアだ。ナタリアは呪文を唱えると、地を蹴って一気に銀狼の前方に躍り出る。そして、振り下ろされた狂爪を手に持った両手剣で受け止めた。

 人の何倍もの巨体、そしてパワーを持つ銀狼の爪を受けとめる力、そして、一瞬で距離を詰めたその速さ、いずれも生身の人間が出来る業ではない。


「くっ、バカ力もいいとこね……うちの侍女長といい勝負じゃない」

「ナタリア様、気を付けて! 《火炎槍ファイア・ランス》」


 他の侍女が呪文を唱えると、宙に幾何学模様の円が浮かび、そこから炎の槍が射出される。炎の槍は銀狼に着弾すると、大きな爆発を起こし、黒煙を一体にまき散らす。

 銀狼のパワーに押しつぶされそうになっていたナタリアだったが、銀狼の力が一瞬緩んだその隙を突いて離脱しようとした。


 しかし―――。


「ぐっ⁉」


 黒い煙の中から目にもとまらぬ速度で突き出された爪に、一瞬にして弾かれる。ナタリアの小柄な体は簡単に20メートルほど吹き飛ばされ、何度か転んだあと、地を滑った勢いのまま体勢を立て直す。


「ゴフッ……」


 しかし、すぐにガクッ、と体勢を崩した。つ、と口から血の雫が垂れ、地面にちょっとした血の水溜まりが出来ている。


(思ったより……ダメージが大きい……)


 お腹を負傷しているのか、侍女服が真っ赤に染まっている。グッ、と歯を食いしばって痛みに堪え、ナタリアが顔を上げると、


「ナタリア様っ‼」


 ―――そこには、銀狼が悠然と立っていた。彼我の距離は25メートルは離れていたはず。


 銀狼の後方には、焦った表情の侍女たちが走ってきているのが見える。銀狼の移動速度に反応できなかったのだろう。そして銀狼は彼女たちに目を向けなかった。

 つまりは、最初の攻防で自分に太刀打ちできるのがナタリアのみと判断し、彼女の始末を最優先としたのだ。


「う、ぐっ……」


 痛む腹を庇うように押さえ、ナタリアは両手剣を片手で握る。せめて一矢報いようと、一歩踏み出そうとした刹那―――。


「……えっ」


 銀狼が、ナタリアに興味を無くしたようにちらりと視線を向けた。

 銀狼が目を向けたであろう方向にナタリアも顔を向ける。すると、そこには大岩があった。


(……女の、子……?)


 その大岩の上には、桃色の髪の少女が幸せそうな顔で眠っていた。眠だ。ナタリアが息も絶え絶えの現状でいる傍ら、大岩の周りに魔力から生命力を与えられた植物が生い茂っているのもあって、彼女は一人、違う世界にいるようであった。


 なぜ、こんなところに少女がいるのか、そうナタリアが疑問を発する前に、銀狼が動いた。


「っ⁉ 待てっ、ぐぅ……‼」


 眠の方向に向かって走り出した銀狼を止めようと体を無理やり起こしたナタリアだったが、突然力が抜け、地面に突っ伏す。


 一方、銀狼は必死の様相だった。まるで今すぐ食わなければ消えてしまう絶品の料理を目の前にしたように、口を大きく開け、ヨダレを垂らし、今にも食いつこうとせんばかりに四つ足を動かしている。


「……これ以上、眠れにゃい……んぅ」


 だというのに、眠の方は逃げるどころか未だにスヤスヤと眠っている。眠が発動したスキル《無音サイレント》によって、銀狼の駆ける音すら聞こえない。


「止まれぇぇぇぇ‼」


 せめてこちらに意識を向けさせようと声を上げるが、銀狼はまるでナタリアなどいなかったかのように視線すら向けない。もちろん、歩みも止めない。


「くぅ……」


 ナタリアが侍女たちの方を見るが、まだ遠い。間に合う距離ではない。そもそも、銀狼に追いつくなどできない。

 やがて、銀狼は走る勢いそのままに眠りに食いつかんとする。


 しかし、その瞬間―――。


《脅威度測定……レベル3。睡眠時自動迎撃魔法……タイプ:制止及び単体殺害。魔法選定……風神腕ふうじんわんを発動》


「ガゥッ⁉」


 眠に食いつく直前だった銀狼の体が何もないところで止まった。いや、空間に固定されたとでもいえばよいのだろうか。銀狼は何とか食いつこうと顔を突き出そうとするが、銀狼の顔は開いたままびくともしない。

 やがて、まるでそこにいる巨大な何かが紙くずでも丸めているかように、ボキボキと音を立てながら銀狼の体が捻じ曲げられる。銀狼は悲鳴を上げることすらできず、首をねじ切られると、やがてピクリとも動かなくなった。


 大岩には、発見された時と何も変わらない、すやすやと寝息を立てる眠の姿がある。銀狼からかなりの量の血が飛び散っていたはずなのに、眠の周囲にはまったくというほど血は飛んでいなかった。


「……今のは、あの子、なのか?」


 ナタリアは思わずつぶやいていた。周囲を見渡すが、今の魔術をやってのけたらしき魔術師の姿はどこにも見えない。無論、ナタリアどころか他の侍女や騎士たちですら、あの魔法は使えない。

 となると、今の魔術の行使者はあの少女以外ありえない。


(なのに、寝ているけど……保護にしろ、回収にしろ、どのみちあの子は連れて帰らないといけない)


 ちらりと目を向けると、ようやく駆け付けた他の侍女たちも、息絶えた銀狼を見て言葉を失っている。

 視界が暗転していくその刹那、ナタリアは言葉を紡いだ。


「あな、たたち……」

「っ⁉ はいっ!」

「今すぐ、ここから離れましょう……あの子を、連れて、帰、って……」


 その言葉の瞬間、ナタリアは意識を手放した。

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