降り立った少女は

第01話 とりあえず一日

 岩から降りた眠は、辺りを見回した開口一番に言った。


「……どうしよう」

「……どうしよう、だと? 元居た場所に帰ればよいだけではないか」


 眠のペットなりたてのマイダスが不機嫌そうに言う。その不機嫌さを表しているように、首は項垂れ、眼は鋭かった。

 しかし、そんなマイダスの視線を受けても気にせず、眠はあっけらかんと答える。


「ここがどこなのかがそもそも分からない」

「は?」


 ポカン、とマイダスが呆然と口を開けた。

 いや、そもそもそんなことがあるのか、と眠に問いただすも、分かんないものは分かんない、と答えが返ってくる。


「……ん~」

「……? ……いや、」


 眠は眠で辺りを見回して記憶を手繰ってみようと考え、マイダスはじゃあ何でこんなところに眠がいるのか、と疑問符を浮かべた。

 やがて、両者の考えは言語化され―――。


「「全然分かんないまったく訳が分からん」」


 一致した。どちらにしても、眠が今の状況を理解していない以上、無駄なことであろう。


「どうしよう……」

「そんなこと考えるまでもなかろう。貴様は人間だろう? 最寄りの村にでも行って、食い扶持をつな、ぐ……とか……」


 頭を抱える眠に助言するマイダスは、あることに気が付いて途端に口を紡ぎ、にやりとほくそ笑んだ。


 そう、眠は人間なのだ。しかも、これからのことを竜であるマイダスに助言されるほど世間知らず。加えて危機感が全くない。マイダスが考えたのは、このまま眠が森の中を―――眠りの周囲に関しては、魔力風のせいでもう森と言えるほどの状況でもないが―――彷徨うことになれば、眠が行き倒れてくれるかもしれないと思ったのだ。

 眠の力を察するに、ここら一体の魔物が眠を殺すに至るのはあり得ないだろう。だが、空腹ならどうか? 脱水症状も悪くない。病気にかかることもあり得る。どれも命の危険があることには変わりない。


 それに加えて、自身の契約者として、眠を試したいという気持ちもある。いくらマイダスとはいえ、契約した以上、情けない契約者、ましてや自分をペット扱いする人間であっても、死んでほしいという気持ちはあれど、積極的に殺害に関与したいとは思っていない。


 眠が言いつければ、食料となる動物や果実、水場は確保せざるを得ないからだ。


 眠がこれで死ねばラッキー、マイダスは屈辱の契約かららくらく解放。逆に、死ななければがっかりはすれでも多少眠という人間を測る材料になるかもしれない。


 それに、タイムリミットはどちらにしても存在する―――森のある方向を見つめながらそこまで考えを巡らせると、マイダスは言いかけていた言葉を言わないことにした。


「ん……」


 対して、ずっと考え込んでいた眠。実は、さっきから空腹とのどの渇きを感じている。


「……‼」


 すると、何か見つけたのか、とある方向に向かって目を輝かせて疾走し始めた。


「わぁぁ……」


 しかし、眠のレベルがとんでもなく上がっている。それに伴い上昇したステータスは、眠のカメのような走りを神速の移動へと変異させていた。

 故に、その速さに慣れていない眠はなんとも気の抜けた声を上げながら走った方向へとゴロゴロと転がっていき、とある茂みに突っ込んで停止した。


 しばらくすると、バッと茂みから葉っぱまみれでご満悦な表情の眠が起き上がる。その手には果実らしき何かが握られていた。

 眠はその果実を、呆れた様子で近づいてきたマイダスに見せる。


「マイくん、これ……食べられるかな?」

「……知らんな、食ってみれば分かるのではないか?」


 マイくん、と呼ばれ一瞬硬直したマイダスだが、うんざりした表情で答えを返す。実際竜であるマイダスは果実の種類など答えようがない。

 だが、眠はそんな冷たいマイダスの答えに不服そうな顔をした後、果実に付着した汚れを最寄りの水辺で洗い流した。


「こんな山奥、来た覚えない、けど……マイくんは、ここ、何県か知ってる? あと、何森、とか」

「さあ、の……人間の国、ましてや森の名など、変わりすぎて覚えられん」

「そう……」


 もしかしたら、知っている場所かもしれない、と思った眠だが、日本の森の名前をいちいち覚えようとする物好きではないため、たとえ聞いても無駄だっただろうと諦めた。

 そもそもここは日本ではないため、マイダスが地名を知っていたところで眠には分からなかっただろう。


 洗った果実を、恐る恐る齧る。


「……ん、おいしい」


 少々青臭いが、リンゴに似た味の果実だった。空っぽのお腹にはすこし堪えるが、それでもおいしいものはおいしい。

 すると、眠はさらに一口齧ってから、その果実をマイダスに差し出す。


「……ん、なんだ?」

「お腹すいてるでしょ。たべていいよ」

「……いや、空腹ではないが」

「無理しなくていい、我慢してもいいことない」

「我慢などしていない」

「……」


 本当に空腹ではないのか、少し怪訝な雰囲気(顔は無表情であるが)で果実を差し出したまま固まる眠。

 気遣っているのか、相手への思いやりが意外と強引である。


 マイダスは顔をそらすと、


「我は竜だ。竜は食物連鎖の頂点だ。我はそこらの魔獣でもなんでもいつでも食べられる。故に、我がお腹を空かせればすぐにお腹を満たすことができる。そんな果物を食べる必要はない。何より、今の我は空腹ではない」

「……そう」


 しゃり、と果物を口に運ぶ眠。こころなしか残念そうである。


 そのまま果実を食べ終えた眠は、まだ満足はしていなかったのか、同じ茂みに向かい、同じ果実を洗って口にした。それを何度か繰り返し、眠の空腹は収まったのだった。


■ Z Z Z... ■


 それから数時間ほどたち、夕方ほどだろうか。

 空腹が満たされた眠は、眠っていた大岩の上に寝そべっていた。しかし、その眼はパッチリと開いている。


「意外だな。貴様はてっきり眠れる時機がくればいつでも眠る、怠惰の化身だと思っていたが」

「……別に、私だってちゃんとした睡眠をとれば、普通の人と同じくらい起きてはいられる」


 意外そうに問うマイダスに、空を見上げながら眠は答える。

 いくら眠といえど、むやみやたらに眠っているわけではない。ただ、普通の人より長い睡眠時間が必要なだけであって、今回の場合は溜まりに溜まった眠気が暴発しただけだ。

 無論、それでもあれだけ長期間眠ることは常人にはできないが……。


 すると、マイダスが思い出したように切り出す。


「そういえば、貴様に話をするのを忘れていた」

「……話?」

「貴様のその、力のことについてなのだが……なぜここにいるのか、ということは一度置いておこう。まだ貴様は思い出せないようであるしな。貴様、自分が強力な力を持っていることに、気が付いているか?」

「力……って、なんのこと?」

「貴様はこの“眠り森の大岩”で、急激に存在値……レベルを上げている。少なくとも、我が来たとき、貴様は強力な魔法をいくつも行使して魔獣を殲滅していたぞ?」

「そんざいち……まほー……まじゅー?」


 急に訳の分からない話―――眠にとっては―――を聞かされ、眠は疑問符を浮かべる。

 そもそも、眠にとってはあの時までただ眠っていただけなのだ。


「……まさか、分からないとでも言うのではあるまいな」

「……分からない」


 しゅん、と項垂れる眠。日本人の大部分であれば、そんなものあるわけがない、と反論するか、嬉々としてそれを尋ねるか、どちらかの反応はしそうなものだが、生憎、眠は自分が無知であることを自覚しているし、それを人から責められたことも多々あった。


 故に、無知な自分が悪いのだと反省の意を示す。そんな眠の反応を見て、マイダスも嘘ではないようだと直感的に感じた。

 眠っているときはあれだけの威力の魔法をあれだけの数打っていたのに、何故という気持ちもあるが―――。


「……なるほど、ならば今は言うべきではない。我の言ったことは忘れろ」


 ひとまず、マイダスは聞くことをやめた。そう言って振り向くと、眠は項垂れる姿勢のままに大岩に寝そべっている。

 目を閉じてすぅすぅ、と洩れる息から判断するに、どうやら寝ているようだった。


「んぅ~……抱き枕……」


 宙に両手をバタバタさせて、抱き枕を探す眠。その抱き枕とは言わずもがなマイダスのことである。


「誰が貴様の抱き枕に……など……」


 一度眠の両手をひらりと交わしたマイダスだが、途端に瞼が重くなり、ふらふらと降下して眠の両手に収まる。

 眠の《睡眠促進》魔法が発動したのだ。


「んふふ……」

「貴様の使い魔になど……なっていない……ふざけるなぁ……」


 寝言を漏らしながら、もぞもぞと大岩の上で動く眠とマイダス。

 まだ眠るには早い時間であるが、眠にとっての健康的睡眠サイクルの始まりであり、


 ―――思う存分に眠れて、その表情は可愛らしく綻んでいた。

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