第05話 騒がしき朝

 目を覚ました眠はゆっくりと起き上がると、眠そうに瞼をこする。


「よく寝た……久しぶり」


 ふぅ、と寝疲れを吐き出すように肩を落とすと、ボーッと緩んだ目であたりを見渡した。


(私どのくらい寝てたのかな……これだけ満足できたの何年ぶりだろ……ん? 何、この温かいの)


 眠は自分を囲むようにとぐろを巻いて眠る竜に気付くと、這いずってその肌に触れる。ほんのりと温かいその肌に、眠の瞼が思わず綻んだ。

 とはいえ、竜の体はちょっとした丘のように大きく、実際眠の目からはそれが竜だと気付けない。


(動いてる……)


 しかし、上下する山を見てこれは生物であると判断し始めたのか、いろんな場所をツンツンしたりコショコショしたりし始めた。


「っ、ぐぅ……」


 くすぐったそうに身を震わせる竜。一方、眠の方はというと手繰るように淡々と竜の体をまさぐり続けていた。


「……ん、なに、この穴」


 するとそのうち、眠はポッカリと開いた穴を見つける。30㎝ほどの大きさのその穴は、時折中から空気が出入りしており、竜の呼吸がしっかりと伝わってきた。

 その穴に眠が手を入れると、“草”のような何かの感触が伝わってくる。


「んんん……むぅむん……」


 唸る竜。穴の中をまさぐられ、フガフガと鼻を鳴らす。そう、この“穴”は竜の鼻の穴だった。そして、その“草”のような何かといえば、言うまでもなく“毛”であって……

 つまり―――


「えいっ」


 眠は手にした草―――竜の鼻毛・・・・を、力の限り引っ張った。


 ブッチィィィィィィィィッ!!!!


「ぁ――――ギィィァァァアアアアアア!!!!!」


 一瞬の空白のあと、竜はあまりの痛みに叫びながら思わず起き上がり、人目もはばからず地面を転げまわった。

 その巨大な体躯で地震かと見紛うほどの揺れが起きるが、幸いにも竜の転げた位置に眠は座っておらず、痛みにもがき苦しむ竜の様子をボーッと眺めている。


 しばし経って、竜は痛みの元凶を見つけようと憤怒の様相であたりを見回し始める。そして、引きちぎった竜の鼻毛を右手に持って無表情で佇む眠を見つけた。


「……」

「……」


 しばしの静寂の時間。すると間もなく、竜の巨躯と自分の手にある毛を順番に見た眠は残酷なほどにポツリと呟く。


「……ん、これ鼻毛だったんだ。意外と簡単に抜けるね」

「……」


 自分の右手に持った毛が何なのかが分かって一人得心すると、眠は竜の鼻毛をハラリと放り投げる。一方、寝ている間に鼻毛をぶち抜かれた竜は涼しい顔をして目を閉じているが、眉をピクピクと動かしていた。

 激怒していることは確かである。

 

 しかし、眠はそれを見て恐怖の表情を浮かべるわけでもなく、竜に平謝りした。


「ごめん」

「……話を聞いてやるつもりだったが、気が変わった」


 そう言って、竜が自分の発達した両腕を握るように構えると、竜の両手に青い炎が集約し8mほどの巨大な火球を作る。そして、竜が拳を開き内側に向けてへ火球を構えると、火球から伸びた炎の線が二つの火球を繋いだ。


 最後に、竜は二つの火球を押しつぶすように両手を閉じ……火球は統合され、圧縮されてさらなる熱量を持った一つの火球となる。


「本来なら、この森一帯が姿形も残らぬだろうが……安心せよ、この熱量は貴様のみに集中する。貴様のせいで他の生命が犠牲になることはあるまいよ」

「……」


 だが、眠から恐れや絶望といった負の感情は感じられない。ただ、ボーっと竜が作り出した火球を見つめていた。


「……ふん、余裕でいられるのも今の内だ」


 一瞬呆気にとられた竜だったが、キッと眠を睨みつける。多少なりとも話を聞くべき対象だとみていたが、怒りで我を忘れているようだ。合わせた拳を頭に掲げると、眠めがけて、一気に振り下ろした。

 刹那、眠の体は火球の熱量で即座に掻き消える―――


 わけではなく。


「……ぐッ⁉ ……馬鹿な」


 ビカッと視界が閃光に包まれたその後、赤い雷が竜の脳天を直撃した。

 本来、その竜の鱗が通すはずのない雷特有のしびれが、竜の体を激しく揺らし、竜の疑問の声をかき消した。


「……こふ」


 ズゥン、と地面に倒れる竜。その瞳には、今の瞬間、自分の胸に見えた紋章の形がはっきりと残っていた。あの、赤い雷とあの一瞬に見えた、自分の胸の紋章は……。

 すると、倒れた竜の瞳を屈んだ体勢の眠がのぞき込んでくる。


「すっごく、忙しいね」

「……貴様は、竜を見ても驚かぬのだな」

「りゅう? ……わかるのは、私の知らない生き物だってことぐらいかな」


 竜が尋ねると、眠はその無表情を初めて崩して―――それでもようやく察せられるくらいの変化だったが―――困ったように答えた。

 眠ほどの年齢ならば一般常識として竜が物語のみで語られる生き物であると知っていそうなものだが、生憎眠は常識としての最低限のことをする時以外では名前通り眠ってきた女である。今目の前に存在して、しかもコミュニケーションができる竜に対しても、特に何の感慨も抱かなかった。せいぜいが、まあこんな生き物もいるだろう程度のものだ。


「竜を知らない?」


 しかし、竜は“知らない”という言葉に反応した。

 

「では、何故我を……いや、そもそもどうやって眷属化テイムした?」


 そう言って竜は己の胸を、先ほど眠に対して危害を加えようとした際にチラリと見えた紋章を視線で差し示す。

 竜は知っていた。自分の胸の紋章は、主とその従魔を示す誓いの証。そして、自分に落ちた赤い雷は従魔が主に歯向かった時の罰……しつけだと。

 てっきり、竜は“強大な力を持つ”自分を眠が配下に収めるためにテイムしたのだと思っていた。

 しかし、眠は首をかしげる。


「……ていむ?」

「……まさか、知らんなどと言い出すのではなかろうな?」

「知らない」


 関わったのは短い時間ではあるが、眠が嘘をついているようには見えない。その言葉に、竜は少しの困惑を感じると同時にほくそ笑んだ。訳が分からないままテイムしてしまったのならば、眠がテイムの契約を解除するよう説得できると思ったからだ。


「……契約の解き方は知っているか?」

「……知ら、ない」


 またも首をかしげる眠に、竜は倒れたまま口を開く。


「お互いに、契約を解くことを宣言すればよいのだ。さあ、【我、汝……なんといったか」

「……」


 しかし、竜が訪ねても眠は自分の名を言わない。やはり、テイムした竜を手放すのは惜しいか……と竜が内心参っていると、その内、眠の体が傾き始め、トスン、と竜の体にその身を預けた。耳を澄ますと、眠の口からスゥスゥと息が漏れていることに気がつく。


「……まさか、寝ているのか」

「……グゥ」


 竜が呆然と言葉をこぼすと、それを肯定するかのように眠はコクリと眠りかぶる。しばらくの間静寂が続く。やがて、竜のこめかみ―――のような部分―――がピクピクと脈動し始め―――


「貴様、さっき寝たばかりであろうが!? 我を馬鹿にしているのか!」

「……うぇ? ハッ……ごめんなさ……お布団みたいにあったかくて、つい……」

「お布団……? この、我が?」


 竜の王である我が、よりによってこんな人間のお布団扱い……? と竜が内心小首をかしげていると、突如、竜の頭の中になんとも突飛な考えが浮かんできた。


「まさか……」


 この少女は、自分をお布団代わりにするためにわざわざテイムしたのではないか。

 そう考えて、竜の顔が引きつる。確かに、竜の皮膚はなめらかで、加えて常に温かい温度に保たれている。これは新陳代謝を高めることで飛行という激しい運動に伴うエネルギーを得、それが竜特有の巨体に拡散されているためだ。巨体であるため、外への熱放出は抑えられており、その特性故に、割合から見れば少ないが竜の皮膚は防寒具として使用されることもしばしばある。


 だが、この少女は寝ている間に傍に寄り添って寝たこの竜を生きたまま寝具代わりに―――どちらかというと湯たんぽの方が近い―――しようとした。


(加えて、テイムを知らなかったこと、さらに、これほどの存在値を持っていることからして……)


 “竜をお布団代わりにしたい”という『願望』だけで、眠は竜をテイムした。


 それを裏付けるように……。


「……さあ、契約を解除するぞ。名を言え。でなければ契約が解除できぬ」

「だが、断る。そもそも、私はペットが欲しかった。しゃべるし、あったかいし、布団代わりになるペットなんて、さいこー。一生、放さないから」

「……ぐぉぉぉぉ……」


 やけに流暢な口調の眠に抱き着かれ、竜は今だけは、頭を抱えたい気分になった。


(世界でも恐れられる伝説の存在が、こんな少女のペットだと? こんなことが露見すれば天竜王や旧英雄の奴等にどれだけ笑われることか……)


 テイムされれば時すでに遅し。その時点で両者には明確な主従関係が生まれる。従者は主には逆らえぬもの。その契約をどうするかはあくまでも主の選択に帰結するのだ。


「~♪」

「……ふん」

「あっ」


 何だかよく分からないが、温かい生き物をペット(湯たんぽ)にできると分かってゴキゲン気味の眠がスリスリと竜を撫でると、竜は鼻を鳴らして体を丸めた。すると、竜の体がみるみる縮み、眠の胸にちょうど収まるくらいの大きさになる。

 これで誤魔化せるとは思えないが、気休め程度でも知り合いに笑われるのだけは避けたい竜であった。


「……」

「……おい、なぜそんなに手をワキワキさせている」

「えーい」

「むぐっ!?」


 すると、小さくなった竜を眠がギュッと抱えて、ナデナデし始める。


「むふふー。湯たんぽなら、これがちょうどいいくらいかなぁ……」

「何を!? 何を言っている!?」


 自分で火炎を吐ける竜に、どうして“湯たんぽ”などというものの存在が知れるだろう。竜は眠の言っていることが理解できずとも、形容しがたい恐怖心だけは理解できた。

 こんな姿になったのは間違いだっただろうか……いや、元の姿に戻れば自らこの女の従魔であると恥を晒しているようなものだ。それに、どんな大きさに変わろうが、この女の自らに対する扱いは変わらないだろう……。


 逃げ場を見いだせず、眠の胸の中で抱きしめられている竜はため息を吐いた。


「……お主、名は?」

「……ネムリ。うん、そう。眠。私の名前は、春先眠」

「なぜ、いま迷った?」

「んー……なんか、私には別の名前があるような気がして。まあ、たぶん気のせいだと思う。あなたの名前は? 私がつけようか?」

「やめろ、断固拒否する。……我が名はマイダス。世界でも“烈火の化神”と恐れられ……」

「そう、だったらマイくん、って呼ぶね」

「マイダスだ! マイダスと呼べ、我が名は……!」

「なんか、周りがすっごい荒れてるね。ここ、どこかなぁ……?」

「聞けぇ!」


 虚しいことに、眠の胸に抱えられたまま、竜の叫びは森の奥に消えていく。

 そうして、実質最低効率と呼ばれる経験値スポットで生まれた化け物は、願望のみで竜をテイムするほどの存在値を身に着けて、初めて、大岩から地に降りた。

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